
10月19日、第49回衆議院選挙が公示され、12日間の選挙戦が始まりました。報道によれば465の議席を目指し、小選挙区と比例代表を合わせて1051人が立候補したということです。
新型コロナウイルスの感染拡大が初めて認められてからもうすぐ2年。大きな環境の変化を経た日本における初めての全国規模の国政選挙となることから、新型コロナの今後の感染対策や、経済や暮らしの立て直しなどをめぐって与野党の公約が出そろった模様です。
各党の主張にはどのような違いがあるのか。公示日となった10月19日のNHK「WEB NEWS」は、主要各党の(特に)経済対策の特徴的な公約を以下のとおりまとめています。
■自民党
地域・業種を限定しない事業継続・再構築の支援を規模に応じて実施、非正規雇用者や女性、子育て世帯などコロナで困っている人に経済的支援
■立憲民主党
消費税の税率の5%への時限的な引き下げ、生活困窮者への現金給付や事業者支援を盛り込んだ30兆円以上の補正予算案の編成
■公明党
18歳までの子どもを対象に1人当たり一律10万円相当を給付、感染収束を前提に「新・Go Toキャンペーン」を実施
■共産党
収入が減少した家計を支援するため1人10万円を基本に「暮らし応援給付金」を支給、消費税の税率を5%に引き下げ
■日本維新の会
2年間を目安に消費税の税率を5%に引き下げ、年金保険料の支払いの免除
■国民民主党
「積極財政」に転換し「給料が上がる経済」を実現、一律10万円の現金給付や時限的な消費税率の5%への引き下げ
さて、こうしてみると、与野党を問わず経済対策の柱は「給付金」のオンパレードで、今回の総選挙の争点は、まさに「分配の仕方の違い」にあると言っても過言ではなさそうです。
前回の総選挙から4年の歳月を経て、アフターコロナの日本の針路を決める大切な選挙であるにも関わらず、自民党から共産党まで、なぜこれほどまでに各党の政策は似通ってしまったのか。
その理由に関し、『週刊プレイボーイ』誌の10月11日発売号に、作家の橘玲(たちばな・あきら)氏が『「政治が変われば日本は変わる」という幻想』と題する興味深い一文を寄せています。
自民党総裁選の討論会で、第27代総裁に選出された岸田氏は、コロナ対策のほか、新自由主義(ネオリベ)から脱却し、「『成長と分配の好循環』による新たな日本型資本主義」を掲げ、「令和版 所得倍増計画」で経済格差の是正を目指すと主張した。
(岸田氏は)「真性保守」の安倍元首相が頑強に反対してきた選択的夫婦別姓では党内の推進議連に参加しており、同性婚についても「多様性を認めるということで、議論があってもいい」と述べたと橘氏は話しています。
このように見ると、岸田氏が掲げる政策は「リベラル政党」である立憲民主党にとてもよく似ていることがわかる。立場の違いは大きいはずなのに、なぜこんなことになっているのか。その理由は、そもそも日本の政治には、既に「選択の余地」がほとんどないからだというのがこの論考における氏の認識です。
人類史上未曾有の超高齢社会に入った日本では、2040年には国民の3分の1が(ほぼ確実に)年金受給年齢の65歳以上となる。1980年に年25兆円程度だった社会保障費は2010年に100兆円を超え、40年には200兆円にまで膨らむと予想されている。その時の現役世代人口を5000万人とするなら、これは単純計算で1人年400万円の負担になるということです。
一方、日本国の借金はすでに1200兆円を超え、歳出の半分以上が社会保障費と国債費(借金の返済)で消えている状況にある。こうした状況の下では、縮んでいくパイに既得権層が群がって小さなカスを奪い合うしかなく、「もうちょっと公助を増やそう」というか(リベラル)、「もうすこし自助で頑張ってもらわないと」とするか(ネオリベ)は、たんなるレトリックの問題に過ぎないと氏は説明しています。
外交にしても同じで、日本にはもはや世界を動かすような国力はなく、アメリカと中国の超大国にはさまれて、どちらの逆鱗にも触れないようになんとかやっていくしかない。エネルギー政策も、化石燃料を減らしたぶんを原発で補う以外に「2050年に二酸化炭素排出実質ゼロ」の実現は不可能というのは専門家の常識だと氏は言います。
しかしこれらはいずれも「不都合な事実」なので、大っぴらに言うと選挙で勝つことはできない。その結果、候補者のちがいは、靖国神社に参拝するかどうかといった些細なことになってしまうというのが氏の見解です。
旧民主党時代を「悪夢」と呼んだ安倍晋三氏は、実際は旧民主党の野田政権が目指した「消費税増税」「TPP参加」「原発再稼働」などの重要政策をそのまま引き継いで長期政権を実現した。それを考えれば、誰が自民党総裁になっても日本の政治はたいして変わらないし、さらにいえば野党(共産党を除く)に政権交代したとしても同じだろうと氏はこの論考の最後に綴っています。
菅元首相が総裁選への不出馬を表明して以降、混迷する政局に様々な政策議論が戦わされているように見えるこの一か月ですが、冷静に考えればその内容は、確かに新型コロナへの経済対策として現金をいかにばら撒くかに終始していると言えるのかもしれません。
結局のところ、誰が自民党総裁になっても、どの党が政権をとってもさして変わらない。しかしこれではあまりに夢がないし、なによりエンタテイメント性に欠けてメディアが困るので、「政治が変われば日本は変わるという幻想をみんなで一生懸命守っているのです」と(半ば諦め気味に)語る橘氏の指摘を、私も興味深く読んだところです。
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