[写真は崇明島の農村の様子](日本粉体技術協会の機関誌『粉体技術』滄媚のペンネームで連載しているエッセイを、同協会からの許可をえて転載しています。)
陽春の三月、上海から史跡調査のため崇明島へ出かけた。長江河口に浮かぶ崇明島は、中国では海南島に次ぐ大きな島で、上海特別市に属する。道中で体感した現代中国の交通事情と、垣間見た郊外農村の様子をお知らせしよう。
崇明島までは、上海中心部のホテルから車で一時間余りである。市内西側の旧市街から、まず市内を流れる黄浦江底のトンネルを通って浦東区へ。テレビ塔や101階建ての金融センター等のある浦東区は改革開放とともに出現した新市街だ。1990年頃には何もない更地と農村で、旧市街からは渡し船か、二本だけの渋滞のひどいトンネルで行くしかなかった。ところが浦東の開発に伴って、最初1991年末に南浦大橋が開通し、その後楊浦大橋、廬浦大橋、徐浦大橋も相次いで完成した。同時にトンネルも増えて、最新の2013年版地図で数えてみたら、外灘観光トンネル以外に12本が通っていて、さらにもう一本建設中である。こうして上海の市街地は東西にぐっと広がった。
浦東区から崇明島へは、2009年に開通した上海長江トンネル橋で行く。まず長江南岸から途中の長興島までトンネルで水面下を潜る。これはあらかじめ区画毎に作ったトンネルを沈めて繋ぐ工法のもので、地下を掘ったのではない。長興島から崇明島までは美しいフォルムの釣り橋の上海長江大橋だ。昔はフェリーで渡るしかなかったが、橋が架かってうんと便利になった。さらに道路は崇啓大橋を渡って、長江北岸まで延びている。ちなみに長江を跨ぐ橋は、以前は武漢長江大橋(1957年開通)と南京長江大橋(同1968年)だけだったが、現在は各地に架けられて数十本になり、まだまだ増える勢いだ。
崇明島は長江の運んだ砂が堆積して出来た平坦な島で、肥沃な土地で農業が行われている。水田が広がっている外、野菜畑がたくさん見え、都市近郊農業も盛んなようだ。村の中を歩くと、最近改築したとおぼしき二階建て、三階建ての立派な農家が多い。バイクの停めてある家も見え、村の道は最近コンクリートで舗装されたようで、農村の暮らしが近年急速に便利になっている様子がわかる。これは農業発展によるというよりは、上海都心などへの出稼ぎの成果だろうが、リーマンショック後に内需拡大のために政府が進めた農村に電化製品を普及させる政策の後押しもあろう。都心には少ない電動器付き自転車や荷台をつけた三輪スクーターなども活躍している。
崇明島の、近年の新興産業は観光開発である。広い森林公園などの豊かな自然と上海に近いロケーションとを活かして休暇村の建設が進んでいる。コンセプトは「農家の楽しみ」で、都会人に田舎の風情を味わってもらう。「生態系に配慮した島作り」も掲げられており、屋根に太陽電池を乗せた家もちらほら見える。大規模なマンションの開発も進んでおり、「農場の家」として不動産屋で売りに出ていた。値段は1平方㍍当り一万元前後(1元=約15円)で、上海の中心部より一桁安く、都会人が週末の別荘用に買うことを期待しているようだ。観光開発が軌道に乗るのかどうかはまだよくわからない。でも昼食に食べた地元の魚も野菜も、素材の新鮮さが活きて美味しかったから、自然を求めてきた都会人を、かなり満足させられそうだ。屋台の量り売りの苺(8元/500g)も、よい香りを漂わせていた。
この日の史跡調査では、寿安寺という古いお寺にも行った。きれいに整備された広い伽藍に、天王殿、功徳堂、鐘楼、鼓楼、大雄宝殿などが立ち並んでおり、立派な様子に驚く。20世紀前半の文献では、ここはひなびた田舎の寺という印象だった。近年、善男善女の寄付を得て、どんどん敷地を拡げ建物も建て増しているという。中国の経済発展と伝統回帰を目の当たりにした感じだった。
急速に社会が変化する時、「伝統」的なものが見直されてノスタルジックな観光資源になることがあるが、現在の中国では、あちこちでその現象を見ることが出来る。
陽春の三月、上海から史跡調査のため崇明島へ出かけた。長江河口に浮かぶ崇明島は、中国では海南島に次ぐ大きな島で、上海特別市に属する。道中で体感した現代中国の交通事情と、垣間見た郊外農村の様子をお知らせしよう。
崇明島までは、上海中心部のホテルから車で一時間余りである。市内西側の旧市街から、まず市内を流れる黄浦江底のトンネルを通って浦東区へ。テレビ塔や101階建ての金融センター等のある浦東区は改革開放とともに出現した新市街だ。1990年頃には何もない更地と農村で、旧市街からは渡し船か、二本だけの渋滞のひどいトンネルで行くしかなかった。ところが浦東の開発に伴って、最初1991年末に南浦大橋が開通し、その後楊浦大橋、廬浦大橋、徐浦大橋も相次いで完成した。同時にトンネルも増えて、最新の2013年版地図で数えてみたら、外灘観光トンネル以外に12本が通っていて、さらにもう一本建設中である。こうして上海の市街地は東西にぐっと広がった。
浦東区から崇明島へは、2009年に開通した上海長江トンネル橋で行く。まず長江南岸から途中の長興島までトンネルで水面下を潜る。これはあらかじめ区画毎に作ったトンネルを沈めて繋ぐ工法のもので、地下を掘ったのではない。長興島から崇明島までは美しいフォルムの釣り橋の上海長江大橋だ。昔はフェリーで渡るしかなかったが、橋が架かってうんと便利になった。さらに道路は崇啓大橋を渡って、長江北岸まで延びている。ちなみに長江を跨ぐ橋は、以前は武漢長江大橋(1957年開通)と南京長江大橋(同1968年)だけだったが、現在は各地に架けられて数十本になり、まだまだ増える勢いだ。
崇明島は長江の運んだ砂が堆積して出来た平坦な島で、肥沃な土地で農業が行われている。水田が広がっている外、野菜畑がたくさん見え、都市近郊農業も盛んなようだ。村の中を歩くと、最近改築したとおぼしき二階建て、三階建ての立派な農家が多い。バイクの停めてある家も見え、村の道は最近コンクリートで舗装されたようで、農村の暮らしが近年急速に便利になっている様子がわかる。これは農業発展によるというよりは、上海都心などへの出稼ぎの成果だろうが、リーマンショック後に内需拡大のために政府が進めた農村に電化製品を普及させる政策の後押しもあろう。都心には少ない電動器付き自転車や荷台をつけた三輪スクーターなども活躍している。
崇明島の、近年の新興産業は観光開発である。広い森林公園などの豊かな自然と上海に近いロケーションとを活かして休暇村の建設が進んでいる。コンセプトは「農家の楽しみ」で、都会人に田舎の風情を味わってもらう。「生態系に配慮した島作り」も掲げられており、屋根に太陽電池を乗せた家もちらほら見える。大規模なマンションの開発も進んでおり、「農場の家」として不動産屋で売りに出ていた。値段は1平方㍍当り一万元前後(1元=約15円)で、上海の中心部より一桁安く、都会人が週末の別荘用に買うことを期待しているようだ。観光開発が軌道に乗るのかどうかはまだよくわからない。でも昼食に食べた地元の魚も野菜も、素材の新鮮さが活きて美味しかったから、自然を求めてきた都会人を、かなり満足させられそうだ。屋台の量り売りの苺(8元/500g)も、よい香りを漂わせていた。
この日の史跡調査では、寿安寺という古いお寺にも行った。きれいに整備された広い伽藍に、天王殿、功徳堂、鐘楼、鼓楼、大雄宝殿などが立ち並んでおり、立派な様子に驚く。20世紀前半の文献では、ここはひなびた田舎の寺という印象だった。近年、善男善女の寄付を得て、どんどん敷地を拡げ建物も建て増しているという。中国の経済発展と伝統回帰を目の当たりにした感じだった。
急速に社会が変化する時、「伝統」的なものが見直されてノスタルジックな観光資源になることがあるが、現在の中国では、あちこちでその現象を見ることが出来る。