[写真は、カシュガル・エイティガール広場近くの街並み]
今回は、三年前に中国西部の新疆ウイグル自治区にウイグル族の友人Rさんを訪ねた時の話。
東京から北京までは飛行機で3時間、時差は1時間だ。北京で乗り換えて新疆ウイグル自治区の行政中心ウルムチまではさらに4時間、時差も2時間ある(ただし公式には中国全土が北京時間なので、新疆のはローカル時間である)。新疆は遠い。
ウルムチは人口200万人弱の高層ビルの並ぶ近代的な大都会で、遠くには天山山脈が望める。現在では住民の八割が漢族で、ウイグル族より多い。街の様子は北京や上海とかけ離れてはいないが、看板などには漢字だけでなくアラビア文字に似たウイグル文字が併記されている。
私が訪れた時期は、イスラームの断食月ラマダーンだった。敬虔なムスリムであるウイグルの人々は、日の出から日没まで食事をせず、そのぶん朝・夜に食べる。日没の頃に到着した私は、さっそくRさん一家のその日の断食明けの食事のお相伴にあずかった。家長である夫君のお父さんの「いただきます」で始まった食事は、さまざまな羊肉料理や果物、甘いお菓子など。ウイグルの人々はフレキシブルなところもあって、私の訪問中はラマダーン中でもみんなお昼を付き合ってくれた。ただし豚肉はタブーで、私は新疆滞在中に羊の料理の多彩な美味しさに開眼させてもらった。
漢族とは生活習慣が違うが、現在のウイグル族の大半は生まれた時から中華人民共和国公民で、ウイグル語で中国人としての教育を受けてきた。ウルムチでは数十年の間、おおむね漢族とウイグル族は平和的に共存してきた。ウルムチのウイグルは日常的に漢族と交流があり、ウイグル語と漢語(中国語)のバイリンガルな生活が身についている。だが近年、急速に漢化が進み、大学の授業もウイグル語ではなく漢語で行うようにという指示も出て、穏やかなインテリのRさんも、これではウイグルの文化を伝えられないのではと、心配していた。専門家によると、指示はウイグルの幹部自身が今後のために決定したものだという。市場化・中央化への対応と民族文化の保持との関係は、難しい問題である。
さらに西に向かい中国最西端のカシュガルに行く。ここでは住民のほとんどがウイグル族、カザフ族などのトルコ系だ。街並みもぐっと中央アジア風になり、スカーフの女性が多いし、トルコ帽の男性も見える。インタビューに訊ねたお宅では、マンションのドアを開けると中は絨毯に座っての生活で、ウルムチのRさん宅がイスとテーブルの暮らしなのより伝統的だ。中央アジア最大のモスク、エイティガール寺院もあり、トルコ系の人々が、この地で豊かな伝統と優れた文化を育んで来たことが実感される。郊外にはウイグル農民の耕すブドウ畑の濃い緑が遠くまで広がっていた。
カシュガルは、ユーラシア大陸の真ん中に位置して8つの国と国境を接する新疆ウイグル自治区の交易の中心だ。バザールには、トルコやアフガニスタンなどの製品も多い。そういえばRさんの親族も、北京だけでなく、ロシア、カナダ、日本などへも留学しているといい、シルクロードの民のネットワークは四方へ広がっている。
当時のカシュガルには、まだ高層ビルは多くなかったが、経済特区としての開発計画が始まっていた。前年2009年の漢族とウイグル族の大きな衝突の後、中央政府が大規模な投資によって新疆の中でも貧しいカシュガル地区の開発を図っているのは前向きな対応だと思えた。とはいえ開発が進んでもウイグルの貧しい人々はなかなかその利益に与れない、という問題もまた発生する。Rさんは流暢でない漢語で観光ガイドをしているウイグルの若者を見て、市場化の中でウイグルの同胞は頑張っている、といった。その後の新疆とウイグルの人々が気になるこの頃である。(滄媚)
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滄媚のペンネームで今年『粉体技術』に連載した「中国風信」は以上です。来年から、掲載後、間をおかずにブログに転載します。
来年がよい年になりますように。
[下の写真は、カシュガルの野菜市場にて]