cobaのきまぐれブログ

私もやってみようかな?と
かる~い乗りでブログを始めてみたのですが・・・

昨日の続き

2018-05-08 | Weblog

昨日の話にはまだまだ続きがあって・・・

お寺さんを回ったけれど、大した収穫はなく、その後3人で妹の家に寄ってしばらく話し込み、ようやく実家にたどり着きました。

実家で従妹会をやろう!と。

ちょうどその日はお祭りの宵宮の日でした。

私の実家は湖西では唯一山車が出るお祭りです。

写真を撮ったのですが、うまく撮れなかったので、こちらを見てくださいね!→大溝まつり

私の子供の頃は女が山(山車)に上がったら山が倒れる?(だったかな?)と言われて引き綱を引く事さえも許されてはいませんでした。

女の子は着物を着せて貰って、山車の後をついて歩くだけだったのです。

時代は変わるものです。久しぶりに見たお祭りでは、法被を着ている女性もみかけたし、引き綱は大勢の女の子も引いて居ました。

結局従妹会は、仕事を終えた姪一家をしつこく呼び出し、私はノリの悪い我が家の息子たちの代わりに我が家の代表で従妹会に名を連ね、義姉を含め8人で色々思い出話に花が咲き、懐かしく楽しいひと時でした。

腰を上げたのが何時頃だったかな?、まだ日は変わっていなかったはずだけれど・・・京都へ帰る姪を堅田駅まで送って、琵琶湖大橋を渡りました。

湖周道路のカーブの連続の辺りを走っている時、携帯が鳴りました。

急には出られない・・・

それより私の携帯は車の後ろのトランクの中に入っているはず。

間を置いては鳴る呼び出し音も無視して走り続け、だいぶ進んだところでやっと、車を止め、携帯を出してきました。

でも、私の携帯ではなかった。

姪が携帯を忘れて行ったのです。

わっ!こりゃあ大変!私たちでも携帯が無かったら不便なのに、今時の若い人がひと時も携帯がなかったら・・・と思うと・・・

こちらから電話をかけるわけにはいきません。だってここに或るんだもん。

向こうからかかってくるのを待つだけしかなかったのです。それも、スマホ。暗闇の中で受け方もよくわかりません。

やっと家にたどり着き、ガレージに車を収めた時、かかってきました。

その時はゆっくり、スマホに向き合うことができ、やっと話すことができました。

もう、電車がなかったんだとか・・・!

そして、もう旦那さんに堅田まで迎えに来て貰えることになったということでした。

もう・・・~~~~~本当にゴメンね!もっと早くに気づいて引き返すべきだったのに・・・本当に悪いことをしてしまった。

京都へ着いてからの電車の時間のことはちょっと気にしていたのに、まさか、湖西線がなかったとは思いもしなかった・・・

本当にごめんなさいm(__)m

明日持って行くと言ったけれど、向うから取りに来てくれることになりました。と、今日はここまで。



 


日常に戻りました

2018-05-07 | Weblog

ゴールデンウイークが終わって、普段の生活に戻りました。

久し振りの日常の始めは雨の日のサークルから始まりました。

毎年のゴールデンウイークは、列島の大移動をよそに、家でグータラ過ごしていたのですが、今年は少し違ったGWになりました。

先ず、東京に住んでいる甥が、大津のお墓にお参りすると言うので、私も久しぶりに行ってみたいと思って合流したのです。

実家のお墓もご先祖様のお墓ですが、大津にもご先祖様のお墓があり、小さい頃は親と一緒に歩いてお参りしていました。

車に乗るようになって、そのお墓の入り口はよく通るのですが、何しろ狭い入口、急な坂道、上って行った先がどうなっているのかわからないのは不安です。

と、いって何しろ国道1号線。車を止めるスペースもありません。

登って行った先に車がUターンできるところがあるのか?

もしも途中で降りてくる車があったら、どう対処したらいいのか?不安はつきません。

幸い、今回は甥が運転してくれて、久しぶりにお参りすることができました。

今回は京都に住んでいる姪と3人でお参りしました。

姪はそのお墓の存在を初めて知ったそうです。

甥は小さい頃から祖母(私には母)と参った時、この墓地の中の3つのお墓はちゃんとお参りするようにと言われていたと言います。

その内の一つは私の祖父の父に当たる人のお墓だと思われますが、後の2基はどういう関係の人なのか?今回甥はそういうことをすごく熱心に、調べ、精力的に動いていました。

何しろ江戸時代のお墓です。

小さい頃から、墓石をたわしで擦って洗ったりする習慣はなかったので、苔むしたお墓を今さら磨いたりしたら、どこから崩れてくるか、怖くてそうっとそのままお水をかけただけでした。

姪は過去帳から家系図を作ってきてくれていました。

私の知らない部分もありました。

兄が書き残していったものもあったようです。

今になると、もっと両親から色々聞いておけばよかったと思うことばかりです。