先週、母が永眠いたしました。
2年間の闘病生活の末の旅立ちでした。
長文になります。
私事なので興味のない方は飛ばしてください。
このようにブログに記すのもどうかと思いましたが、
一つの区切りとして、お伝えすることといたします。
お友達、同僚、お客様の中にも心配してくださったり、
容態はどうなの、と気にかけてくださったり、
優しいお言葉をたくさん頂いておりました。
ここであらためてお礼を申し上げます。
皆さま、本当にありがとうございました。
「孝行したい時に親はなし」(ことわざ)
本当にそうだと思います。
なんといってもこの2年間はコロナ禍でしたから、
バリから日本へも自由に行き来できず、
もどかしい思いをして過ごしておりました。
まだ母も元気でコロナも騒がれていなかった2年以上前、
2019年の10月、私は一時帰国で日本にいました。
あのときが最後のチャンスだったのに。
あのとき、もっと優しくしてあげればよかった。
物忘れが多くなって同じことばかり聞く母に、
もー、今日は夕食いらないって、さっきも言った!
冷たい言い方しないで(何度でも)答えればよかった。
どこかへ一緒に行けばよかった。
ヨーカドーに行くけど、オマエも一緒に行く?
ちょっとパチンコ行こう、オマエもやってみる?
母の趣味のパチンコに一回くらい付き合えばよかった。
母のお気に入りの靴がボロボロだったので、
バリに戻る前に同じ靴を買ってプレゼントした。
靴だけじゃなくて、他にも買ってあげればよかった。
美味しいものでも食べに連れて行ってあげればよかった。
もっと話し相手をしてあげればよかった。
今思えば、後悔ばかりです。
あのときは2年も会えないとは思わなかったし、
本当に最後まで心配かけて、最後まで
(いつ日本に帰ってくるんだい?と言われ続け)
帰らなくて、親不孝な娘だったなぁ、と思います。
ただ一つ良かったこと。
去年、年越しが無理かもしれないと分かったとき、
無理をして帰国しておいて良かったと。
意識のしっかりしている母に会えたから。
病院への面会も(コロナのため)予約が難しく、
滞在中たった3回(一回15分)しか許可されなかった。
それでも、一回りも二回りも小さくなった母に寄り添い、
伸びた爪を切ってあげることができました。
年が明けてバリに戻る直前の最後の面会。
じゃーねー!またすぐ戻ってくるからね!
もう会えないとわかっていたけど、
無理やりの笑顔を作っで病室を後にした。
そして母は一月を持ちこたえ、2月も頑張って、
先週3月22日に永眠いたしました。
あと2週間ほどで誕生日だったのになぁ。
桜の美しい季節の旅立ちです。
悲しいことに、お通夜もお葬式も私は参列できず。
ちょうどビザの更新手続きに入ったところで、
パスポートがイミグレに入ってしまいました。
手続き終了までは少なくとも二か月はかかります。
その間はどこへも動けないのです、残念。
海外に住むということは親の死に目に会えない、
そういうこともあり得るということです。
分かっていたことだけどね (T_T)
どうか、天国に行けますように。
その前に、ちょこっとバリにも寄り道しないかな。
は~、マジで、コロナのバカ野郎です(-_-メ)
2年間の闘病生活の末の旅立ちでした。
長文になります。
私事なので興味のない方は飛ばしてください。
このようにブログに記すのもどうかと思いましたが、
一つの区切りとして、お伝えすることといたします。
お友達、同僚、お客様の中にも心配してくださったり、
容態はどうなの、と気にかけてくださったり、
優しいお言葉をたくさん頂いておりました。
ここであらためてお礼を申し上げます。
皆さま、本当にありがとうございました。
「孝行したい時に親はなし」(ことわざ)
本当にそうだと思います。
なんといってもこの2年間はコロナ禍でしたから、
バリから日本へも自由に行き来できず、
もどかしい思いをして過ごしておりました。
まだ母も元気でコロナも騒がれていなかった2年以上前、
2019年の10月、私は一時帰国で日本にいました。
あのときが最後のチャンスだったのに。
あのとき、もっと優しくしてあげればよかった。
物忘れが多くなって同じことばかり聞く母に、
もー、今日は夕食いらないって、さっきも言った!
冷たい言い方しないで(何度でも)答えればよかった。
どこかへ一緒に行けばよかった。
ヨーカドーに行くけど、オマエも一緒に行く?
ちょっとパチンコ行こう、オマエもやってみる?
母の趣味のパチンコに一回くらい付き合えばよかった。
母のお気に入りの靴がボロボロだったので、
バリに戻る前に同じ靴を買ってプレゼントした。
靴だけじゃなくて、他にも買ってあげればよかった。
美味しいものでも食べに連れて行ってあげればよかった。
もっと話し相手をしてあげればよかった。
今思えば、後悔ばかりです。
あのときは2年も会えないとは思わなかったし、
本当に最後まで心配かけて、最後まで
(いつ日本に帰ってくるんだい?と言われ続け)
帰らなくて、親不孝な娘だったなぁ、と思います。
ただ一つ良かったこと。
去年、年越しが無理かもしれないと分かったとき、
無理をして帰国しておいて良かったと。
意識のしっかりしている母に会えたから。
病院への面会も(コロナのため)予約が難しく、
滞在中たった3回(一回15分)しか許可されなかった。
それでも、一回りも二回りも小さくなった母に寄り添い、
伸びた爪を切ってあげることができました。
年が明けてバリに戻る直前の最後の面会。
じゃーねー!またすぐ戻ってくるからね!
もう会えないとわかっていたけど、
無理やりの笑顔を作っで病室を後にした。
そして母は一月を持ちこたえ、2月も頑張って、
先週3月22日に永眠いたしました。
あと2週間ほどで誕生日だったのになぁ。
桜の美しい季節の旅立ちです。
悲しいことに、お通夜もお葬式も私は参列できず。
ちょうどビザの更新手続きに入ったところで、
パスポートがイミグレに入ってしまいました。
手続き終了までは少なくとも二か月はかかります。
その間はどこへも動けないのです、残念。
海外に住むということは親の死に目に会えない、
そういうこともあり得るということです。
分かっていたことだけどね (T_T)
どうか、天国に行けますように。
その前に、ちょこっとバリにも寄り道しないかな。
は~、マジで、コロナのバカ野郎です(-_-メ)