ー 太巻き寿司 ー
則子は2年ぶりにシカゴから帰ってくる。
どうやってもてなそうか、恭子は早くから気にかけていた。
久し振りの再開をよろこび、
お互いに無事で元気だったことを歓び合う。
やはり千葉県の郷土料理太巻き寿司を中心に祝膳を考えていた。
お米は多古米、卵焼きを使って黄色と赤の組み合わせから
ピンクのでんぶに干瓢を使って山茶花模様を巻き込むことにした。
大和芋を使ったとろろ汁、
魚九の刺身の盛り合わせで祝膳が賑やかになる。そして、
何よりのご馳走はお互いの近況を語りあいながらのおしゃべり。
則子は来日してすぐに皆が待ち受ける多古へ向かった。
太巻きが中心の祝膳をみるなり、
「懐かし!」と云って一切れ太巻き寿司を手に取って食べた。
「私太巻き寿司が大好きなのよ……」と云って
シカゴでも鷹揚な風格がある太巻き寿司を度々作る話をした。
卵焼きと干瓢、それにピンクのでんぶで作る模様がある。
朴訥で何とも言えない大らかさがある。
シカゴ藤間流のチャリティーでは太巻き寿司を20本出品、一本10ドルから始めて
30ドル40ドルとせり上がり50ドルで止める。
それ以上の値はつくが太巻き寿司を食べていただくには最高でも50ドル、
それ以上は職人の手によるものだったら良いだろうが
主婦が作る郷土食の面目が失われてしまう。
少しでも多くの資金をあつめたい事情はあるが、
楽しみながら資金を集める趣旨から外れてしまう。
主催者のこうした配慮も又大らかで良い。
亭主に取り残された20年前、
則子と由珠母娘の生活に則子の母が加わった。そして、
始めて迎える正月に
太巻き寿司を世話になっている人たちに贈ったのが始まり。
母は千葉県匝瑳郡吉田村に生まれ育った。
水のみ百姓だが、この土地独特の大らかな風土がある。
正月の雑煮餅は半端じゃなく大きい。
普段の食生活は決して豊かとは云えない、むしろ貧しい。
ハレの日は思い切って大胆に振る舞う。
明日の食糧の心配が無い分けではない。
明日は明日の風が吹く、と云うような呑気さがある。
明日の心配は明日すればいい、
今日の振る舞いは
明日の心配事を乗り越えるエネルギーと心得ているようだった。
今日心配してもエネルギーは今日から消耗する、
エネルギーを蓄積して心配事を待ち伏せて、
迎え撃つ風土は太巻き寿司に象徴されている。