ある宗教者の文章の中に対話とはどういうものかを書き記してありました。
気に留まる文章だったのでご紹介します。
『対話とは、他者の固有性を認知することが前提であって、異論、異質性を異端邪見とし
て履滅することできない。』
わたくしは、はたして日常のなかで相手の固有性をを認知することを前提にした対話をし
ているだろうか…
自分を認知してほしいとばかりに対話をしているように思えるのです。
言葉はコミュニケーションのツールのひとつだけれども、心の琴線にふれるような言葉は
その言葉を生み出す方の内側にあるお人柄や人間性が表面化するのだろうと思う。
言葉は大事ですね。
今朝、わたくしにある方から頂いた言葉
『遠慮は罪をつくることがありますよ。』
有り難くこころに留めておきます。
気に留まる文章だったのでご紹介します。
『対話とは、他者の固有性を認知することが前提であって、異論、異質性を異端邪見とし
て履滅することできない。』
わたくしは、はたして日常のなかで相手の固有性をを認知することを前提にした対話をし
ているだろうか…
自分を認知してほしいとばかりに対話をしているように思えるのです。
言葉はコミュニケーションのツールのひとつだけれども、心の琴線にふれるような言葉は
その言葉を生み出す方の内側にあるお人柄や人間性が表面化するのだろうと思う。
言葉は大事ですね。
今朝、わたくしにある方から頂いた言葉
『遠慮は罪をつくることがありますよ。』
有り難くこころに留めておきます。