朝からセカセカ動き回っていたらアサゴハンを食べそこなった。
作るのも面倒だし、
いい天気だし、
土曜日だし、
ちょっとだけ遠くの町にあるカフェに川を越えてお出かけ。
cafe shibakenのランチ
鶏肉のアジアンソテープレート
ペロリたいらげ、向かいの公園の緑やテラス席のワンたちを眺めてノンビリしてる。
明日から始まる稽古に備えリーディングの台本を持参してきたものの、
あまりの気持ち良さに開く気も起きずボケー。
花屋を覗いて帰ろう。
24日付けの朝日新聞2面の「ひと」は12歳の俳人“小林凛”くん。
生まれしを幸かと聞かれ春の宵
いじめられ行きたし行けぬ春の雨
仲直り桜吹雪の奇跡かな
紅葉で神が染めたる天地かな
真っ直ぐな表現が心にグングン届いてくる。
ああ、わかるわかる、このツラさ。
言葉をこんな風に使えるあなたは本当に12歳?
写真の中で微笑む少年に思わず声をかけてしまった。
ところでトップニュースは三浦さん。
前日からテレビのニュースも新聞も「勇気を貰った」のオンパレード。
鍛錬を続け挑戦する情熱には敬服する。
単純にスゲエ!と感心する。
でもさ、とへそ曲がりの私が囁く。
「勇気を貰う」ってホント?「勇気」って貰うモン?
ましてや高齢者に勇気と希望を与えた、なんて聞くと怖くなる。
「三浦さんはエベレスト登れるのに私は2階の階段も足が痛くて上がれない、ああ情けない」
「三浦さんは80歳でエベレスト登ったというのにウチのオジーちゃんはまったく…もっと頑張ってよ」
なんてことにならないことを祈るわ。
彼を支える多くの人がいたから成し遂げられたんでしょ?
“高齢者が夢を叶えるには本人の強い思いだけではダメで、周りの人たちの理解と協力が必要なのです”
と誰か言ってくれないかしら。
あっ、脱線した。
言いたかったのは言葉のこと。
勇気や希望を貰いたがったり、与えたがったりするのも変だし、
簡単に言葉に出しすぎてやしませんか?
と感じる今日この頃。