私の音楽人生 3️⃣
羽田空港へ着く。雲が下に見え上はこんな晴れているのに、雲を突っ切り下へ出ると雨
なんだこりゃぁ・・
モノレールに乗り品川に着いた→山の手線→
大学寮に付き、自分の音楽をどう進めるか・と:この怖い寮の規律を体現して行く
◇
おっ ここには学園祭がある
バンドは一人で無理だが、バンド感を出したくて自分でカラオケを作ることにした
ドラムはダンボールを叩く
コーラスやハモリを多重録音し、次はベース・質屋で4千円の物を買い弾いてみる
リードギターが自分・本当はリズムギターのリードボーカル・曲が変わり
コーラスや、上の高いパートを出すのですが・・
こうして「ハートブレイカー」のカラオケを自作した
ステージで、オープンリールを合図で流しエレキはファズを踏む等して
音を広げる。所が、ボランティアの友が、足で電線を引っ掛けバックの音が
しなくなった・・・
れ?
それならそれでいいのだが、よせばいいのに彼は又電線コードをつないだのだ
やバァ
合わない・合わないと観客の学生、ガヤガヤ
歌いながら後ろ振り抜き、(線・外して~ !)
聴こえない・・
もう 最悪
何とか白けずに続けられた・さすが学生
そんな事もあった
今度は卒業生を送る壮行会?のようなステージも
バンド風に多少出来たがドラムなしで、フォークギターが二本自分はエレキ
で「朝日のあたる家」を歌うも先輩から「いいじゃねぇか・アンコールすれよ・ワイワイ」
では、もう一度行きます。ハイ
3年生の時は学園祭で、陽水の「人生が二度あれば」や三橋美智也の歌も2曲歌う
(担当の先生も隠れて見ている)
この辺が自分の変わったところで、いい歌はいい歌と差別しない・ジャンルにこだわらない
あとあと、この事が弾き語りで活かされて行く
大学時代は4度か5度ステージに立った
その合間はとにかく高い声の練習で、レッドツェぺリン、ディーパープルを原調で
屋上洗濯室で歌い・気狂いと言われた。
4回生の先輩からは
君は好きなものを持っていていいねぇ・と感心されたこともあった
ここは規律がとても厳しい寮だったが、趣味・音楽に対しては理解を示してくれ
あれだけ馬鹿にされてた同期が「この寮を代表して出ると言うんじゃけん
どうだ皆んな応援してやろうじゃないか」
そう言われ、10人くらい観客で来てくれて本当に涙が出るほど嬉しかった
同期よ
ありがとう
今・何してるかなぁ・・・