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コロナショックを ぶっ飛ばせ 18

2020年04月19日 | アドバイスコラム

コロナ ショックを ぶっ飛ばせ  18


外国ではいくつかの国で、これ以上自粛・外出規制による売上ゼロが続くと


大変困るので、店舗や飲食店経営者などの大勢のデモが政府近くで起きて来た。


以前から指摘していた通りである。


要するにウイルスで肺炎などで死亡するよりも経営破綻で資金がショートし


自殺する死亡率の方がもう時期優って来るのです。


1年以内にこんな事を実施し続けているとそうなるでしょう。


破綻で死にたくないから大勢が集まりデモになっているのです。



今日ススキノ近くでパンを買った帰り、横を車から見ると居酒屋の方が表に台を出し弁当


500円で販売していました。


昨日客が全く来ずロスしたくないので、居酒屋の食材を弁当にして出しているのでしょう。


業者が大変困っているのが、分かります。


でも地方の市・札幌市の財政は厳しい為、休業補償する資金は不足しているはずです。


ここ北海道のインフラは何年も前からひどい状況がこのコロナ以前から続いています。


もっと以下の様な事を出来ないものでしょうか。


60歳か65歳以上の高齢者に対し金銭的に保証して買い物はデリバリーなどにして


移される機会を極端に減らす代わりに年金をこのコロナ期間だけ増量する


若者は圧倒的に死者は少ないので、以前と同じように活動・働く


個人事業主や飲食の年配者や基礎疾患がある方へは50歳前後までの若い方へ


この期間だけ任す。1人親方の場合だけ休業補償をします


抗体検査を早急に法律を変更し数年間でも良いので、費用を政府が負担する


資金を投入するところは素早く行い、全く問題がない若者は老人の接触は禁じ


普通に働きに出し学校も休校にはしない。


この様にメリハリを付けて政府・知事・市長は運営する事が求められます。



これらをする事により50%以上の方は働け経済は停滞しない、とにかく移されない様に


の一点張りだけでなく、輸入食品も規制する事と免疫機能をこの時期高める必要がある。


冊子やネット広告を大々的に出しかかっても悪くならない軽度で済む様に全国的に触れ回る


こと


報道のあり方も毎日不安を煽るだけではなく、通算でと云う表現は避け昨日よりも


感染者が少なかった事をきちんと報道する事・不安はストレスを高く受け免疫機能を


弱めるのです。








高音への拘り

2020年04月19日 | 音楽コラム

高音への拘り


中学の時 姉の買って来るシングルレコードのジャケットを手に持ち


いつも英語で、歌っていた


ビートルズの曲ではジョンはほぼ100%出せる、しかしポールの高音は


いくら挑戦しても出ないものがある。普通そこで諦めるが、俺等はなぜ同じ人間で


できない・・と考えていた。


悩み音楽友と集団浴場で語り合い、俺はレイチャールズをコピーしている


「外人は違うので、日本人には高い声は無理なんだろうか」と云うと


「そんな事はない、同じ人間だ」と言っていたのを思い出す。


でも、「アイムダウン」は何とか出せる様になっていたが、「のっぽのサリー」と


「オーダーリン」はどうしても不可能だった


アビーロードを聞き10年経っても歌えない・・。ちくしょう


時はたち、ヘビーロック、ハードロック時代がやって来てターゲットはそちらへ


向かった。レッドツエッペリン、ローリングストーンズのギミーシェルター、


ディーパープル、ジェームスブラウン、サム&ディブ、ジグソー等常に


参考にして、乗り越えて来たが、コツを掴んだのは音質を変える事だった


そうすると変な「ケンちゃん」みたいになるが、出ることは出る。


それを一音ずつ上げて行くとしまいに裏声の領域に入る。


ローバートプラントは出るのとでないのがある。イアンギランの場合


、「チャイルドインタイム」など有名なものはほぼ出させるになって来た、


それからポールヘ戻った


腹筋を鍛え、背筋も回数を増やし「のっぽのサリー」へ向け


出だし身体をパンパンにし、それを筋肉を抜かずぶつける様に出し続けると・出来た。又


「オーダーリン」のサビの部分とラスト部分も出せる様になって来た


要は身体の体幹を鍛えて挑戦すれば出る事に気ずく、しかし


ジェームスブラウンの息を吸っている様な高音は出せなかった。


彼はヘビーボクサーを経験しており身体の鍛え方が、半端ない


JBはメンズメンズワールドは出るが、他の曲では何をどうしても出ない



むしろヤングの時期よりそれから年月が立ってからの方が結果が良かった


思えば、東京時代・弾語りのダンシングタイムにオールディーズを原調にこだわり歌


って乗らせることで本物感が出たのだと思う。





私の音楽人生 6️⃣

2020年04月19日 | 音楽回想

私の音楽人生  6️⃣


と云うことで「ススキノ」へと北海道へ戻る・・・(弾語り物語はバックナンバー


を見てね)


アローナイツから教えられ「赤レンガ」と云う店を教えられその番号へ連絡すると


今はレーザーカラオケブームの到来で箱は極端に少ない、どこもソロの弾語りはうまっていて


「トラ*」でさえ難しい・と言われたきり赤レンガから一向に連絡は来なかった。


赤レンガの場所さえ分からない・・


実は西屯田通りに赤レンガと云うラーメン屋があるが、そこへ10年前に移動したのかもしれない・・



その間、一時的に何処か 勤めようと北海道エア.ウォーター(昔はほくさん)に飛び込み・・・


~ん、一応履歴書を持って来い・と言われ採用された。


あらゆる機会はカラオケおじさんとなったり公園で自分をスタンドビデオで撮り


ジョギングの後すぐ、雪の日もたまに練習していた・・。


ウォーキングをしていた年配の女性達が立ち止り二、三人聞いてくれたっけ・・


小鳥もライバルと捉えすぐ近くまで来て恋を邪魔しないでよ・と聞こえピーチクパーチクと


一緒に歌って来た。


作曲は続け、ヤマハの防音室を借りエレキを持ち良く練習に行ったり


猫のカラオケボックスのレンタルルームでギター持ち込み練習していた


作曲は続けコツは完全に分かってとてもいい感じになって来た


・・


でも、いたずらに時日は流れる・・


同期会で高校時の天才ギタリスト達と二次会で飲むことになり


俺は「オーダーリン」を原調で歌った


友はびっくりし、こいつロックしてる !  と倒れそうになる俺を支え、凄いぞとハグして来た


それからその友と何回か飲みに誘われ、高校生の歌好きは三名天才を入れプロになっている


と云うそして



この天才ギタリストから思わぬ話が来る・・・



注釈:トラ→ 


業界用語でエキストラの略。箱で歌っていた弾語りが病気・緊急事態で休まざるを得ない時に


ピンチヒッターで、代役が臨時で演奏する役割のミュージッシャン