私の音楽人生 5️⃣
大学の集団トイレで、小をしながら剣道2段の寮友が「お前・どこ就職 決まったんだ?」
と聞いてきた
「俺は音楽に生きるので、別にこれといって就職活動はしていない」
ヨシノブの兄:一緒に先輩に嫌って云うほど、やきを入れられたガッチリした武道マン
「馬鹿だなぁ お前 銀行でもどこか決めておいて音楽は続ければいいじゃないか !」
と強めに言われた
・・・
まぁ 人生を振り返れば・・エスカレーター式に行けば家電メーカーの課長位になって
30代か40代で、自力でマイホーム一戸建てでもローンを組み持ち
若奥さん子供達と住んでいたような気がする・・。
◇
でも、その時はハングリーでも音楽で身を立てるべく気持ちは真っ直ぐだった
ただ、取り敢えず食っては行けないので、作曲をし、・コンテストやオーディション
を目指す傍ら配送の運ちゃんをバイト的にしていた。
所が飛び込みで入ったそこは一応・正社員となり厚生年金が引かれ
ボーナス2回と臨時の「名刺」と云う。裏に何十万円の金額が書かれている報酬もあり
満足できていた。そして
2年経ち・・
あれは丸井のクレジットか、それを組み現時点の月給ではきつくなりアルバイトニュース
を買い兼業先を見つけ延滞しないように募集雑誌をめくっていた・・
!
「弾語り募集・時給1,000円(当時の相場は550円くらいと思う)六本木」
と云うのがあった
連絡するとオーディションで決めると云う・ギターを持って来てください・となる・・
履歴書を持参し、心もよう等3曲位歌い五人位来てたみたいだが、その中で自分が採用された
・・・
ここからセミプロとしての第二段階が、始まる・・・
銭を取って歌うことになって行くんだぁ