彼はヒットラーに焦がれていた時期があり、仮面舞踏会ではちょび髭をはやし
そっくりな格好で演出した。
日本の置かれている立場は遅れてきて登場した植民地獲得国であり、ソフトな出来るだけ
敵を作らない方向性で中世から続く世界大国と同じ様に広げようとしたのである。
それが第一次世界対戦 以降の事である。
ここから大東亜戦争に傾くまでにモルガンなど大きな世界金融組織の許可を得て近衛は
進んでいった。
それには反対派は、更迭や和平工作の邪魔を行いある時はメディアの長として情報を管理
操作し政党も一つに集め彼の尊敬するドイツのファシズムを目指していたと伺えるであろう。
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大政翼賛会という組織を作った。これは日本共産党他少数を含まず81.8%の議席を取る政党が
大同団結して集ったがこの翼賛会の総裁である。
これは結社ではあるが事実上の大型の政治組織と思って良いだろう。
この組織の元で、日独伊三国同盟に加わり国家動員法(いわゆる赤紙という召集令状にて戦地
へ行く)を発令し当時としては何兆円にも及ぶ国債を発行しインフレまじかの国家的借金を
行い、空母、戦艦、爆撃機等の軍需産業ほかの軍費用を捻出していった。
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9月23日に仏印進駐
1941年1月 風見章らと国防国家成立で意見が一致し対米戦機運を醸成し大政翼賛会を通じ
国民運動を組織化し世論を大きく求めていった。
翼賛会の下部組織として道府県支部、大都市支部、市区町村支部、部落会、町内会、青年会
などがあり「バスに乗り遅れるな」や「勝ち馬に乗り遅れるな」のスローガンのもとに
日本全国民の気運がこぶしを突き上げ大戦へ向かっていったのである。
1941年 日ソ中立条約締結
近衛たちは三国同盟を骨抜きにする修正案を米に送ったが米に黙殺された。
かくして独ソ戦が始まり、日本はソ連に対してどう出るか思案したが、国境近くで
演習を行い仮想敵国ソ連を威圧する様な態度を示し裏では、これを時に軍事衝突が
起きればやるつもりでいた。
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現在、ソ連が一方的に日ソ中立条約条約を破った汚い卑怯な国と思っているが
当時の近衛主導の軍部は、日本側からいつでも中立条約を破るつまりでいた。
当然、コミンテルンのスパイは入ってきており日本の意識が当時どういうつもりでいたかは
理解していたからこそ、敗戦色が濃くなりソ連軍は一方的に北を攻めて来たのであろう。
戦争である、どっちもどっち 力が優っている方が勝つのだ。
では、日本は今はどうなんだろう・・となるのである。
国力がないイコールいつどちらからも攻めて来られても対処できない・となるではないか
平和を確かな形で維持する上にも抑止となる軍事力は必要であると思う。
それが戦争をしましょう、侵略しましょうであってはもちろんいけないのです。