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出会いから学ぶ

2018年12月13日 | 教育
これまで接した子を振り返る

 これまで様々な子に出会った。以前に接したあの子はなぜ、あれほどまでに激しい
行動を見せたのか。見た目で軽率な判断をし、相手を傷つけることはなかったか。
 多くを学んできた今だからこそ立ち返って再確認したい。

1 心が通ったとき真実が見えた

 学生のころから、障害のある人達とのかかわりを持っていた。福祉モデル工場へ毎
週行き、そこで暮らしながら働く知的障害のある人達と談笑したり学習したりした。
小学校の特殊学級へ行き、子どもたちと遊んだり、先生の手伝いをしたりした。肢体
不自由養護学校へ行き、サブティーチャ―として活動した。

 そんな中、障害のある人達と旅行に行くこともよくあった。
 ある泊りがけの旅行で、Aさんの担当となった。場所は軽井沢付近、湖のそばのす
がすがしいところだった。Aさんは脳性まひで、体がペタンとして薄い感じである。
腕は曲がったままで動かせない。顔も横を向いて曲がった状態で、声など出せる状態
ではなく感じた。

 私のすることは、車椅子を押しながら話しかけ、食事の介助をすることだった。食
事の介助ではスプーンで口に入れるが、半分は口から流れ出てしまう。できるだけや
わらかくしてあるが、噛んで飲み込むことが難しいようだった。

 車椅子を押して森の中を歩く、山に登る。一緒にいながらとにかく話しかける。し
かし、返事はない。
「私の言っていることはほとんど分からないんだろうなぁ。」そう思いながらも、と
にかく3日間話しかけ続けた。
 そして最後の日。帰るまでに少し時間があったので、湖のほとりに車椅子を押しな
がら出た。

心地よい風が吹いてきた。

「きもちがいいですね。」と話しかけた。
「そうだねぇ。」

 一瞬耳を疑った。(えっ)

「分かるんですか!」
 うなずくAさん。

 Aさんは分かっていたのだ。会話も一つ一つ聞いていたのだ。しかし、話をするこ
とは筋力の弱いAさんにとって大変な労力を要する。そのことが学生の私にはまった
く分からなかったのだ。人を見た目で判断してはいけない。できないと思い込むと相
手を見誤ってしまう。

2 ほめることの絶大な力

 小学校に研修交流で勤務した最初の年、小5を担当した。その学級に、低学年のこ
ろから授業中に教室を抜け出し、校舎内のどこかに隠れてしまう子(B男)がいた。
当時、そんな子の指導について良く知らなかった私は、とにかく学級を自習にさせて
B男を探しにいくことしかできなかった。当然、学級は荒れる。そして、B男も良く
ならないどころか、学級を騒乱に陥れる中心となっていった。学級は男女が真っ二つ
に分かれて、言い争うような状況が生まれた。

 今にして思うと、私の指導力のなさに尽きる。ただ、B男も、他の子とは違ってい
たのは確かだった。思いつめるとすぐに行動せざるを得ないところがあった。1学期
騒乱を抜け出せないまま夏休みを迎えた。
 ところが、2学期からB男の態度が一変したのだ。私のそばにいて、何かあると手
伝おうとする。反抗してくる女子がいると、それに反論し始める。
学級の騒乱は収まっていないのだがB男だけはとにかく変化した。「どうしたの?」
と聞くと、「僕が先生を守る!」と力強く言った。当然、学級から抜け出すことはな
い。学級の係りや役員などで、誰も出ず困っていると、「僕がやります。」と出てく
る。

「いったいどうしたのだろう」そう思っていた矢先、B男の母親と会う機会があった
ので聞いてみた。すると、その変化は夏休みの入ったときから始まっていた。

 理由は通信表だった。私はどの子の通信表もとにかく良いところをほめた。それが
B男の心を捉えたのだ。母親に聞くと、B男は「学級がぐじゃぐじゃになったのは僕
のせいだ。僕は悪いことばかりした。それなのに、先生は一言も悪いことを書かず、
ほめることばかり書いてある。2学期は僕が先生を守る。」ということを言ったそう
だ。
  
 今まで出会ったことのない人と接するとき、今までにない状況に遭遇するとき、そ
のときが学ぶチャンスである。発達障害の子どもに出会ったとき。それもまた、神の
与えてくれた学びのときである。
コメント
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