昨日もれっきとした公務員が強制わいせつ罪を働いて逮捕されたという報道に接した。日本に帰国してからこの種の報道にどれだけ多く接したことか。刑務所に入るのを覚悟してでも見知らぬ女性の体に触りたいという気持ちが小生などには全く理解できない。あれほどのことに社会的身分迄失う価値はないだろうにと思うのである。タクシー時代若者からよく悩みを聞かされたものだ。「運転手さん、僕ガールフレンドがおらんのです。一度もガールフレンドを持った経験もないのです。女の人と知り合える場所も機会もないのです。どないしたらいいでしょうか」こういうことを真剣に話出す若者の出現に最初は大変驚かされたが、想像以上に今の日本の若者には異性とは無縁の暮らしを強いられている人間が多いようだ。それでも健康な肉体を持っているからには性衝動はいつでもついて回るということだろう。そしてある時ブレーキが利かなくなる。何とも哀れで悲しい限りだ。自分の体験と照らして思うことは彼らは精神的には未熟であって異性を恋うるという繊細で情熱的な感情を体験していないような気がするのである。女性を崇めその女性に認められんがために自己を高め有能な人間にならんとする自己研磨の気持が微塵もないことである。そして恋愛の究極は怒涛に飛び込むほどの勇気をもって愛の告白をすることだが、女性に不自由している若者たちにはその覇気もかんじられないのだ。要するに彼らはあまりに小さくまとまって野性も冒険心も勇気もなくして大人になっている気がするのである。これは敗戦を経験して今なおアメリカの植民地に甘んじている日本文化を代表しているようにも思えるのだ。僕は2008年の夏以来女性のからだに触れていないが、これはそれ以前に充分堪能したのだから少しも悔いはない。春になって気分がざわついてくれば裸婦を描くことにしている。真剣になって裸婦を描いておれば現実に裸婦を抱きたいという衝動は不思議に消えてしまう。抱きたいと思うような裸婦を描くのがルノワールの芸術衝動だったらしいが、僕も同じことを考えている。
oil, pastel,mix 54x38cm 2011
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます