も~さんブログ

日常の生活を書いています。

7月6日 自転車で43kmのトレーニング

2022年07月06日 | 日記
キャンプ場の朝は清々しい。
お年寄りは目覚めるのが早く5時に目が覚めた。
今回は1泊なので帰宅準備をする。
30分もしない内にっパッキング完了。
霧が発生しているので、ヘルメットのフェースも濡れるので、手で拭きながら走る。
気温は分からないが丁度良い。
車の交通量も少ないのでのんびりと走行する。
釜谷には入ると人が沢山居る。
昆布干しの手伝いだ。
昆布を採って陸揚げした昆布を皆で干すのかな。
全ての家に昆布が無いので、交互に昆布を採って、漁の無い日の人一家が手伝いに来るように思う。
青森と北海道の最短距離は17.5kmと近い。
過去に橋を掛けて車を通す計画もあって、大きな看板も有ったが、今は何処に行ったのか見当たらない。
費用効果を考えれば、無理な話だろう。

戸井線のアーチもまだ健在だ。
列車は一度も通ることが無かった。

家に着いて朝食を食べ、今度は自転車でトレーニングに行く。
最近、右の足に違和感がある。
歩くときふわふわ感が有って、歩きにくい。
四国一周自転車の旅は足も好調だった。
恐らくここ2年はバイクに乗ることが多くなって、足の筋肉が少なくなって来ていると思われる。
元々右足はスキーの事故でアキレス腱が伸びて力が入らない。
それに運動不足が加わり、全く鍛えて来なかったせいだと思う。
やっぱり自転車だなと思い、急遽自転車をひっぱり出して走る事にした。
自転車を漕ぐのは全く問題なかった。
結構な負荷を掛けて走られる。
途中海峡フェリーターミナルに寄る。

フェリーを見ると旅に出たい気持ちが⤴️⤴️するな。
青函連絡船慰霊碑の前に来たら、大勢の人がいる。
今日はこの慰霊碑が立った日だった。
遺族の方が参拝しているのだろう。
沈んだ船の方向が書かれていた。
この海難が有ったとき私は小学校6年生だった。
通っていた小学校の近くに慰霊堂がある。
函館大火で亡くなった人の霊を慰めている。
ここに遺体が運ばれたのだった。
大きな広間に遺体がびっしり並べられていて驚いた。
今でもその時の光景は忘れられない。
北斗市の中心部に入った。
市役所の向かいに石が並べられている。

この石は近くに有った種田篤左衛門の家の礎石なのだ。
明治2年の箱館戦争で松前に向かう土方隊の土方歳三が泊まった家だ。
種田は九州秋月藩の流れを汲む家で旧上磯地区の名士である。
多くの種田名の家がある。
松前藩寄りだったので、土方が来たときは台所で縛られていたとの古文書が残る。
ここから旧大野町に向かう。
道が長い❗
ようやく着いて写真撮影。
明治2年時には本陣とされていた場所を撮影。
今執筆中の本に挿入したい。
1つはガソリンスタンドになっている。

もう1つは空き地のままだ。

明治2年の地図で水路が書かれているが、今でも規模は大きくなって健在だ。

ここから一気に自遊旅に戻る。
後半はかなり足に来ている。
それでも何とか43kmを走りきった。
膝も痛くはならず意外と快調だった。
更に足の筋肉が付けば、歩くにも支障が無くなりそうな気がする。
自転車を降りて歩いてみたが良い感じだ。
如何に自転車を継続するかだな。
結構疲れたので今日はぐっすり寝られそうだ。