昨日に比べ暖かい日になった。
先ずはミシンの台だ。

ヤマトで発送して終了だ。

サイドブレーキ、ABS、エンジン制御の3つだ。


朝から送るミシンを車に積み込む。
重さは30kg近くあるだろう。
兎に角工業用ミシンは重い。
置いてある部屋から出すのは窓からだ。
最近何時もやる手で、少エネルギー化だ。
窓と車の間に板を渡す。
その板の上を滑らして車に入れる。
板に乗せる際は片側だけ持ち上げれば良いので15kg程度で済む。

先ずはミシンの台だ。
板の上を滑ってすんなり車内に入った。
次にミシン本体。
これも難なく積み込め、力は全然要らずの作業だった。


ヤマトで発送して終了だ。
ミシンは29.8kgあった。
帰り道自遊旅向いの整備工場フリーウエイに寄る。
車の警告灯が3つも一緒に点いたのだ。

サイドブレーキ、ABS、エンジン制御の3つだ。
サイドブレーキは引いていない。
ABSはブレーキは問題ないが、ABC独特の断続的ブレーキが効いて居ないようだ。
エンジン制御は実感として変わったのかも分からない。
工場長にテスターで見て貰った。
右の後部のブレーキセンサーの故障と思われるそうだ。
一応センサーの値段を調べて貰ったら、12月中旬の納期になり、3万円を越えるそうだ。
事務のお姉さんから電話が来て、工場長もABSは効かないがブレーキは正常なのでこのまま次期の車検まで2年間乗ったらと言われる。
昔はABSなど無かったので、断続的にブレーキを踏んでいた。
それをやれば良いのだ。
毛利さんはお金が無いから、我慢して使う方が良いよと言われてしまった。
今やらないといけないのは、ブレーキパッドの交換。
次回の車検まで減らさないように持たせなくてはならない。
幸いカローラアクシオにはエンジンブレーキがある。
これを多用してブレーキパッドの磨耗を防いでいる。
来春は自分でブレーキシューの交換を考えている。
他に夏タイヤが磨耗して1個のタイヤが使用不能になっている。
お姉さんは今履いているスタッドレスをそのまま来年の夏に使えば良いとアドバイス。
スタッドレスはもう1セット有るのでオーケーだ。
兎に角お金を掛けずに何とか車を維持していく方向だ。
整備工場も商売毛が無く無料で出来るアドバイスしてくれる。
午後から本や資料の整理をする。
20冊くらい廃棄処分した。
残した本を改めて見てみる。
懐かしい記事がある。
下の写真は砂山だ。
石川啄木小公園の側にこんな高い砂山があった。
この砂山で小学校からスキーをやっていた。
ワックスは蝋燭で板に塗っては薪ストーブで溶かしていた。
石川啄木も「東海の小島の磯の白砂に我なき濡れて蟹と戯る」と読んだのはここだろう。
この砂山も小学校6年生の頃、ダム建設に使用した。
凄い量のダンプカーが毎日、持って行きあっという間に消えてしまった。
残っていれば良い場所になっていただろう。

下の写真は馬車だ。
我が家は貧困であった。
お祖父ちゃんは馬2頭で運送業をしていた。
馬は2頭いた。
毎日仕事に出掛け帰りは何処かでお酒を飲んで帰る。
馬主が寝ていても馬は家を間違う事無く帰ってくる。
その内、郵便局に勤めていた父も郵便局を止め後を継いだ。
時代が変わって車の時代になった。
父も馬車を止めて市役所に勤務した。


蔦屋書店のフリーペーパー、ピープス函館にも良く取材を受けた。
自遊旅、土方歳三の内容が多かった。
下は土方歳三が明治元年に森町鷲ノ木から江差まで、冬期野宿で250kmを踏破した時の記事。
やっぱり若かったな。
寒さは全然感じなかった。
沿道では沢山の人の応援があった。
懐かしい。


人気のフリーペーパー「JP01」の取材を受けた。
この時の若い女性ライターは凄かった。
何度も新選組土方歳三が戦った二股口台場を案内する機会はあった。
大体が40分位登った本陣跡で止めてしまう。
彼女は全ての高所の塹壕も回った。
凄く頑張る記者だった。
女性で全ての塹壕を回ったのは後に横浜のK女史のみだ。

書類の整理をしているとついつい懐かしくなって片付けの手が止まってしまう。