今日は最高気温が20度越えだ。
目的は川汲の秘密の場所に生えるウドとワラビがどんな状況かの調査だ。
秘密の場所は千葉さんの秘密の場所だ。
千葉さんは森林組合長だった時に買ったあちこちの山を持っている。
私が土方歳三の進行した川汲本道を探しているときじ偶然会った。
「釣りをしているのかい」と声を掛けられた。
「いや 道を探しているんです」と言う会話から始まり親しくなった。
川汲は地元なので色々知っていて、教えて貰った。
「徳川幕府銅山」「川汲本道と間道」等々。
名前は千葉真一でアクションスターと同じだった。
以降家に良く遊びに行った。
奥さんにも何時も歓迎して貰った。
奥さんは先に亡くなり、彼も数年前に亡くなった。
土方歳三が川汲峠を越えた道は多く残っているが、下の写真は松とイタヤで旧道の側に植えられたもの。
随分大きくなった。
下の道が土方隊の通った道。
更に川汲市街側に行くと、新川汲トンネルに向かって右側に本道がある。
中々の登山道だが入口が分かりにくいので通る人は居ないだろう。
土方隊が上から撃ってくる函館府側の攻撃で立ち往生した。
下が入口だがかすかに道が見える。
下が入口だがかすかに道が見える。
中に入ればはっきりした道がある。
川汲公園キャンプ場に寄る。
トイレももう使える。
今日は誰も居ないが良い雰囲気になっている。
秘密の場所に向かう。
秘密の場所に向かう。
川汲川を渡り足跡のある道を進む。
滝がある。
確か「枇杷の滝」だと思う。
花も沢山咲いている。
大桜草も咲いている。
椎茸の木はもう朽ちていた。
なっている時は千葉さんは俺は食べないから、全部持って行って良いよと言われていて、相当世話になった。
椎茸だけでバックパック一杯になった。
残念ながらウドとワラビはまだ出ていなかった。
帰りに他の行っていない場所を探索したら、大桜草の群生を見つけた。
相当広いエリアに沢山咲いている。
良い目の保養になった。
探索を終えて千葉さんの作業場に行く。
彼が作ったベンチはまだあった。
何時もここで二人で座って語った。
北を見れば山で、秋の紅葉時期は最高の眺めになる。
近くの土方歳三が進行した道に入る。
近くの土方歳三が進行した道に入る。
まだ道は健在だった。
出て来てバイクに乗ろうとしたら車が来た。
やっぱり毛利さんだと声を掛けたのはHiさんだった。
何時も貴重な資料を提供して貰っている。
話の中で「二股台場の調査をしたかい」と聞かれ「冬に行ったが行き着けなく途中で帰ってきた」と話す。
来週行こうかとなり、土曜日に行くことに決定した。
岡山大学付属図書館の池田文書に、新政府軍の塹壕が3個載っていた。
まだ未発見の塹壕で、これが見つかれば、土方軍がここまで来て戦った事が証明出来る。
土方軍は兵の数が少ないので攻めずに、敵を引き付けて戦ったと言うことになっているが、敵陣深く攻めこんでいるのには興味がある。
楽しみになってきたぞ。
彼と別れて南茅部河川公園のキャンプ場に行く。
誰も居なかったがトイレも使えるしもういつ行っても良い。
帰り道「川汲山道駅逓跡」に行く。
帰り道「川汲山道駅逓跡」に行く。
たまたまgooglemapを見ていたら、駅逓跡再現と有った。
今まで何度通ったか分からない道のそばに有った。
駅逓の設計図と写真が有ったので忠実に再現したようだ。。
看板が古くなって良く見えないが、大正15年11月に駅逓係りを命じられらた。
その後昭和15年6月30日に廃止に至った様である。
バスが通ったのは確か大正12年なので、バスのための駅逓だった。
今は誰も住んでいない。
この駅逓の裏の方で良質の◯◯と言う鉱石が採れて函館に出荷したそうだ。
この駅逓の裏の方で良質の◯◯と言う鉱石が採れて函館に出荷したそうだ。