今週はよく本を読んだ。木田元著「闇屋になりそこねた哲学者」、メルロ・ポンティ著「眼と精神」、プロ教師の会 諏訪哲二著「なぜ勉強させるのか?」、工藤順一著「文書術」、林達夫「歴史の暮方」、久しぶりに「文芸春秋(七月号)」、池内了著「物理学と神」、産経新聞大阪社会部「生活保護が危ない~『最後のセーフティネット』は、いま」エトセトラだ。
週に2度はシフトの勤務なので火曜・木曜の終了時間が午後の6時になる。6時20分発の三次行きは混む。6時40分の下深川行きが到着するまでの約25分間を、本屋さんでぶらつくという至福の時間を楽しむ。
「哲学は人生の役に立つのか」を読んで以来、興味を引かれるまま木田元さんの本を一冊づつ買いそろえている。「闇屋になりそこねた哲学者」は木田の半生記だ。哲学を生業とする者のなかにも実直で一本気な生き方を全うした人間がいる。
木田はメルロ・ポンティをフッサール現象学の正統な後継者だと評価する。フッサール、ハイデッガー、メルロ・ポンティについて辞典レベルの理解はしているし「世界の名著」ほかでも数冊の著作に当っている。全体像が見えにくい厄介な哲学者たちだから、木田さんの助けを借りながら改めて読みなおそうと思う。
著作「眼と精神」のなかの「哲学をたたえて」で、メルロ・ポンティは「哲学者であること」は「自分は何も知らないのだということを知っていること」だと述べ、哲学の講座を担当する喜びをスタンダールも言うように、「おのれが情熱をを燃やすことを仕事とする」のは幸福なことであるだけに率直に自分の任務を喜ぶと、その序言を締めくくっている。
元哲学する営業マンで現在は末端の行政を担う私は、自分は何も知らないのだということを知っている典型的な哲学的俗物だ。そして目下、青年たちの学習に関わる仕事を担当できるかどうかが試されようとしている。できれば、スタンダールの「おのれが情熱を燃やすことを仕事」にしたいと思ってはいるものの、競争相手の殆どが博士課程の修了者ともなると敗色が濃い。
そういえば、ソクラテスの無知の知の問いかけの対象に商人はいたっけ。「ソクラテスの弁明」を読みなおさなければならない。これだから哲学は面倒で楽しい。
週に2度はシフトの勤務なので火曜・木曜の終了時間が午後の6時になる。6時20分発の三次行きは混む。6時40分の下深川行きが到着するまでの約25分間を、本屋さんでぶらつくという至福の時間を楽しむ。
「哲学は人生の役に立つのか」を読んで以来、興味を引かれるまま木田元さんの本を一冊づつ買いそろえている。「闇屋になりそこねた哲学者」は木田の半生記だ。哲学を生業とする者のなかにも実直で一本気な生き方を全うした人間がいる。
木田はメルロ・ポンティをフッサール現象学の正統な後継者だと評価する。フッサール、ハイデッガー、メルロ・ポンティについて辞典レベルの理解はしているし「世界の名著」ほかでも数冊の著作に当っている。全体像が見えにくい厄介な哲学者たちだから、木田さんの助けを借りながら改めて読みなおそうと思う。
著作「眼と精神」のなかの「哲学をたたえて」で、メルロ・ポンティは「哲学者であること」は「自分は何も知らないのだということを知っていること」だと述べ、哲学の講座を担当する喜びをスタンダールも言うように、「おのれが情熱をを燃やすことを仕事とする」のは幸福なことであるだけに率直に自分の任務を喜ぶと、その序言を締めくくっている。
元哲学する営業マンで現在は末端の行政を担う私は、自分は何も知らないのだということを知っている典型的な哲学的俗物だ。そして目下、青年たちの学習に関わる仕事を担当できるかどうかが試されようとしている。できれば、スタンダールの「おのれが情熱を燃やすことを仕事」にしたいと思ってはいるものの、競争相手の殆どが博士課程の修了者ともなると敗色が濃い。
そういえば、ソクラテスの無知の知の問いかけの対象に商人はいたっけ。「ソクラテスの弁明」を読みなおさなければならない。これだから哲学は面倒で楽しい。