登場人物たちの顔が今も浮かぶのに、自分でも驚いた「ひとこと感想」その4。
『ノマドランド』と同じく、観た後何度か感想を書こうとして、結局書けなかった1本。書けなかった理由は、多分、宗教(キリスト教)的なものを強く感じたせいだと思う。(それがイヤなのではなく、「自分によくわからないことについて、ただ感じるままにかは書かない方がいい」という気持ちが強かったから)
私の目には、畑仕事を手伝ってくれたあの「風変わりな隣人ポール」は、どこか親しみを感じさせる人物像だった。水不足のときも、採れた野菜が上手く売れないときも、若い主人(夫)に「あきらめなくていい」と言い続けた彼が、休日には十字架を引きずって歩いていても、私にはさほど違和感がなかった。
映画の物語の中では、もしかしたら少し浮いて見える存在だったのかもしれないけれど、作り手の中では違和感なくしっくり馴染んで、的確な位置を占めるキャラクターだったのだろう…などと、ド素人の私は後から考えたりもした。
農業の成功を目指して移住してきた韓国人夫婦の派手な?喧嘩(妻があんなに言いたいこと言えるなんていなあ(^^))。末っ子の男の子の腕白ぶりと、それを見守る(ちょっと変わった?)祖母の大らかさ。一家が住むことになったトレーラーハウスの巨大さ! そして、アメリカの田舎の土地の広さと人の少なさ(これはいつ見ても私には新鮮に映る)等々…
そのどれもがリアルに見えるのは、韓国系の移民二世で、アメリカの田舎町で育ったという作り手の実体験から来ているのだろう。一方で、私の目にはどこか物珍しく映るのは、当たり前のことながら、韓国とアメリカという外国の、それも「移住者」の物語を見ているからなのだろう… そんなことも思った。
公式サイトには、タイトル(原題も同じ)について、「『ミナリ』は、韓国語で香味野菜のセリ(芹)。たくましく地に根を張り、2度目の旬が最もおいしいことから、子供世代の幸せのために、親の世代が懸命に生きるという意味が込められている」とあった。
「セリ」のことだとは聞いていたけれど、そこまでの意味が込められていたのだとは知らなかった。確かに「親世代」の努力に向けて、作られた映画だったのだと思う。
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