町山智浩さんの紹介記事と、ポスター(黄昏時?夜明け前?の荒野を、カンテラ片手に歩く女性)を見て以来、「どうしてもスクリーンで観たい」と思い続け…
劇場公開されると聞いてからは、「うつのクマ」を後ろにズルズル引きずるようにして(^^;ムリヤリ観てきた…という、最近の私には珍しいような映画。もちろん、それだけの価値があった。私にとってはまさに「特別の映画」の1本だったと思う。
「ノマド(nomad)」というのは「遊牧民」転じて「放浪者」の意とのこと。
この映画では、「車を家代わりに、あちこち移動しながら、季節労働をして生計を立てる人たち」を指している。事情はさまざまとしても、困窮して家を失った人たちが多く、中には高齢の人も珍しくない。ヒロイン(60代の設定)のように、リーマン・ショック後にそうなった人も多いとも聞いた。(但し高級トレイラーで「旅の自由を楽しんで暮らす」人もいる様子で、一概には言えない?)
実はこの映画を観た後、何度か感想を書こうとして、私はその都度立ち往生?している(^^; どこに焦点を絞って書けばいいのか、途中でワカラナクなるからだと思う。
非常に美しい風景映像が見られる、とても詩的なものをかんじさせる作品… といえば、確かにそうなのだけれど… たとえば、その「詩的な」描き方のために犠牲になった?事柄が、映画を観ているときから(小さな疑問として)私には目についた。
たとえば、世間知らずの自分が言うのはオコガマシイのだけれど、「Amazonでのクリスマス前の配送仕分けバイトが、あのヒロイン程度のスピードで許されるとは到底思えない」…とか。はたまた「夏のキャンプ場管理のバイトって、あれほど時間的余裕があるもんだろうか(それほど人を沢山雇うだろうか)」…とか。
或いは、秋の収穫バイトや石運び(砂利採取だったっけ?)なんて、突然行って、毎日それを続けられるだろうか…とか。
まあ、自分が何しろヘタレの弱虫なもんで、ひとりでオンボロ愛車(いつ故障しても不思議じゃない)を改造して、アメリカ各地を旅してまわる(経済的には決して余裕はない)という生活が、とてもできそうにない… というのが土台にあるからなのだけれど。
要するに、タフでない私には決して「自由を求めて」する暮らし方…という風には理解できなかったのだろう。
なのに、この映画が自分にとっての「特別な1本」になったのは、ひとえにあの全編を通して変わらない寂寥感、ヒロインの感じている「寂しさ」のせいだったと思う。
ヒロインのファーン(フランシス・マクド―マンド)について、私はずいぶん妄想的な?想像をした。
この人は、自分の生まれ育った家庭、血のつながった家族、所属するコミュニティーなどに対して、ある種の違和感を感じ続けた人だったのではないか… そこから離れたくて高校卒業と同時に家を離れ、遠くの地で夫となる男性と知り合うのだけれど、彼は「天涯孤独」だったことで、ファーンを一層惹きつけたのでは?… などなど。
妹に「あっという間に結婚したわね」と言われたように、ファーンにとって最高の友人、夫、そして(もしかしたら初めての?)家族だった彼が病気で亡くなったとき、その喪失感は他の人には理解できないほどのものがあったんじゃないか… そんな気が私はした。
ファーンがそれまで大事にしてきたものも手放して、ほとんど身一つで「ノマド」として暮らし始めた後、多くの同じ「ノマド」に出会い、様々なことを教えられ、与えられ、また自分も与え… 結局、機会があっても「家」に定住する道を取らなかった気持ちが、私はよくわかった(わからせる映像、演出だった)
たとえ何をわかったのか、言葉で説明することは出来なくても。
「肉親であろうとなかろうと「人との距離」を取りたい」人。それが絶対に必要な人間はいるのだということ。
私が、ファーンの表情も行動も「妄想の目」でしか見られなかったのは、自分がそういう人種だからにすぎない。(「そういう人種」の心のどこかには、生来の気質・性格だけでなく、育ってくる間についたある種のキズのようなものがあることもある)
それでも、この映画の荒野の夜明けの美しさは、そういう人種が最愛の人を失った、その喪失感と寂寥に満ちた心象風景を、こういう形、こういう光で見せてくれていたのかも… 大分時間が経った後に、私は映画も自分の気持ちも、そんな風に整理した。
ひとことで済むような感想にたどり着くのに、長い時間がかかった映画。「特別の作品」というのは、そういうものなのかもしれないけれど。
寂寥感、まさにそれがこの映画の魅力というか、惹き付けられるところなのかも。
観てからときが経つほどに寂しくひんやりとしてきます。わたしにはこのひんやりは少しつらいかな。かいたんしじょうしと反対ですね。
自分の感じているものをどう書いたらいいのか
最後までわからなかった「感想」なので。
でも、嬉しいです。
読んで下さって、本当にありがとう!
私はこういう寂しさ、ひんやり感は
元々好きなんだと思います。
「可哀想」と感じてしまう映画は「見ててつらい」ので苦手なんですが
この映画のファーンの場合は、なぜかつらくなかった(気がする)
現実の事情に押し流されてやむなくだったとしても
それでも「自分で望んで」選んだ道…と思ったからかなあ。
『海炭市叙景』のひんやりの方が、観た後時間が経つほど
しんしんと身に染みてくるようでつらかったのを、思い出しました。
ほのかな温かみを感じていても、やっぱり「ちょっとつらい」…と。
コメント書いて下さってありがとう。
材料を頂いて?また色々考えてしまいそうです(嬉)(^^;