眺めのいい部屋

人、映画、本・・・記憶の小箱の中身を文字に直す作業をしています。

『ペコロスの母に会いに行く』

2014-06-05 15:27:41 | 映画・本

長くなった「ひとこと感想」その16。

 原作は認知症の母親の介護体験を元にしたエッセイ漫画だとか。(映画のオープニングやエンディングの部分に、原作から作ったのかな?というようなアニメーションが使われていて、それがとっても可愛らしく温かい絵柄だった)

とても沢山の、しかも多岐にわたる事柄が含まれている作品で、認知症と言われる状態になった人の「介護」というのは、(する側にとっては)ある人の人生を丸ごと抱える?ことなんだな・・・とか、(される側にとっては)自分を丸ごと人目に晒す一方で、その大事な「自分」が時々どこかへ消えてしまう、そんな苦痛とつき合い続けることなんだな・・・とか。「記憶」というのは人間にとって、結局の所何なのか、それを少しずつ失う、或いは失うのを見続けるというのは、一体どういうことなのか・・・映画を観ていると、それが少しずつわかってくるような気がした。

撮影当時、監督さんは80代半ば。その頃既に自身「記憶が薄れつつある」のを自覚し、集まったスタッフの方たちが出来る限りのサポートをしてくれた・・・などと口にされるのを、後からTVのドキュメンタリーで見た。何もかもぜ~んぶ込み?で、全部OK。「いいよね~もう、これで」と言っているようなこの映画のなんとも言えない温かさは、原作(未読)と共通のものかもしれないけれど、監督さんが日々感じておられるさまざまなことにも、そのまま繋がっているような気がした。映画のラスト、橋の上に佇むみつえ(当時88歳?の赤木春江さん)の後ろ姿も、「本当にこれで良かった」という息子ペコロスの思いがそのまま、カメラの目になって映し出されているようだった。

随分とアイマイな書き方になってしまったけれど、私はこれまでに観た森崎東監督(「崎」の字が違っててスミマセン。正確な字の出し方が判らなくて・・・)の映画の中で、この『ペコロスの母に会いに行く』が一番好きなんだと思う。母親と息子、介護する側・される側、その両方から同等・対等に、人の人生というものが描かれている気がして。

自分がどちらの側に身を置くことになっても、こういう感覚、こういう温かさ忘れずにいられたら・・・と願っている。

 

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