以前映画館で観た『ゴジラー1.0』(監督・脚本:山崎貴 2023)のモノクロ映像版だとか。
カラー版の方を観たときには、全体の色調の美しさと、戦後まもなくという時代設定が、自分のアタマの中でうまくかみ合わない気がして、でも「今の時代に作るとこうなるのは当たり前」と、自分の感覚の方を修正しながら、それでもドキドキ楽しんで観た。
作り物である「ゴジラ」の凄さと、戦争の傷を抱えて生きる人たちの人間模様という、2本の柱がちゃんと立っている感じで、娯楽作品としては(わたしなどが言うのはナンですが)上出来の作品。「世界中の人たちに観てもらえるといいなあ」と、本気で思ったし、実際そうなった(らしい)。
でも…「ゴジラ」というのは、あの最初の映画(1954…私の生まれた年)のイメージがあまりに強いせいか、モノクロで観た方がいいような感じはどうしても残る。
なので、今回『ゴジラー1.0/C』(ゴジラマイナスワン/マイナスカラー)の噂を聞いて、さっそく観た。
わたしの眼には(というか好みでは)このモノクロ版の方がいいと思った。あの青白い光の「青」はなくなっても、ゴジラの怖さはモノクロの方が強く感じた。
何より、「色調として美しすぎる」感じがなくなって「余計なモノが目に入らなくなる」のが、わたしには有難かったのかもしれない。戦後まもなくという時代設定とも合って見えたし、映画は創作とはいえ「作り物感」が目立たなくなるのは、この場合プラスになると思った。
その後『シン・ゴジラ』のモノクロ版もあると知って、『シン・ゴジラ・オルソ』も観てみた。カラー版の方も、そのあと再見したけれど、こちらはカラーの方がいいと思った。
当然のことだけれど、映画によって違うのだと。『シン・ゴジラ』は現代の話なので、カラーの方がむしろ自然に映る気がした。ゴジラ自体も変態を重ねるし、色があった方が「身を灼いている」悲劇性のようなものを感じさせて、モノクロにするのは惜しいとも。
わたしは『シン・ゴジラ』はなぜか好きで、映画館で観た後、いつかまた観ることがあるかもしれないな…と思った。(こういう映画でそんな風に思うのは、わたしには珍しい)
なので、今回観る機会があったのは良かったけれど、『ゴジラー1.0』の方は、もう一度観ることはまずないと思っていた。それが、モノクロ版が出来て、しかもそちらの方が好みに合っていた…ということで、いつものことながら「思い込みって良くないな~」と、ちょっと反省しました(^^;
しかし、カラーorモノクロを選べるとは、すごい時代ですね。デジタルならでは。
ただ、わたしデジタルは克明すぎて、人の肌が汚く見えることがあるので、デジタルにこそ紗を掛けてほしいです。
今回初めて知りました~(^^)
ハリウッド版は全然観てないし、日本製の方も
ごく初期(自分小学生)のものしか記憶にないんですが
「-1.0」と「シン」は特別だったのかなあ。
でもまあ、ほんとに「すごい時代」ですね。
わたしはデジタル版とかに疎い(鈍感?)らしく
何事によらずあまり気にならないんですが
「肌が汚く見える」のには気がつきました。
あれってデジタルのせいだったのかあ…と
今頃納得してます。
俳優さんがちょっとかわいそうですね。
(ゴジラはいいんですが(^^;)
もしかして、そのうちほんとに「紗がかかる」ようになるかもって
お茶屋さんに言われて初めて思いました。
なんでか東京をメチャクチャ破壊しちゃうって
何これ?みたいな映画だったわ(・_・;)
ゴジラ映画なのよね。
たまには地方に出没することもあるのかなあ。
何これ?って方が健康な感覚の気もするね(^^;