「映画館のスクリーンの大きさで、北斎の「富士」を見たら、きっときれいだろうな~」
ただそれだけの理由で観る気になった映画。
私はこどもの頃から、あの有名な何枚かの「富士」が好きだった。幼い私の目にも「現実の富士山は、ああじゃないよね~」だったけれど、そのシャープなトンデモナサと、あの濃い「青」の色合いは、そのまま私の好みだった。
北斎の伝記なんかを読める歳になると、トンデモナイのは絵だけじゃないと思った。百回ほども引っ越して、何十回?と名前を変えて… はっきり言って「ほんとにヘンな人」
しかも、人が短命だった時代に九十歳まで長生きして、全部で何万枚という絵を描いたのだと。(なんだかモンスターに見えてくる)
今回、この映画を観てよかったのは、その「ヘンな人」の晩年が、生身の人間として私の記憶に定着したことだと思う。
それくらい、田中泯の北斎は(私の目には)実在感があった。「北斎はきっとああいうトコロのある人だっただろう… 」と、輪郭をくっきり描いてくれた気がした。
こどものような好奇心。
でも「絵」のこと以外は、アタマにない人。
卒中を起こして震えやマヒが残っても、「絵」から離れず、ひとりで旅に出ようとする…
旅先では「不思議なモノ」「面白いモノ」「見たことのないモノ」に出合うたび、驚き、目を瞠り、邪気も計算もない笑いが浮かぶ…
「ベロ藍」という名前を言葉としては聞いたことがあっても、どういう顔料、物質、色合いなのかは、後で調べてようやく知った。映画を観ている間は、田中泯がなぜ雨水で薄まった青い絵の具を、嬉しそうに頭から被るのか、私は意味がわかってなかった。
ただ、私が好きなあの「青」に出会った瞬間だったのかな… などと思っただけ。
「ベロ藍」はベルリンで作り出された化学染料で、あの(油絵具で見た)プルシアン・ブルーのことだと判ったときは、謎が解けたのか、さらに深まったのか、自分でもよくわからなかったけれど…
それでも、「ただただ嬉しい」と人は走り出して、雨に打たれて踊り出す(あれを踊りと言うならば)ものなのだろうということは、あの姿を見ながら、わかる気がした。
柳亭種彦の最期を、あれほどの残虐なシーンとして想像したのも、絵金の芝居絵などの血みどろを思うと、同じ絵師の北斎にとってはああいう風に浮かぶのだろうと。種彦の人間性をよく知る北斎には、「切腹して介錯を受けた」とは到底思えなかったのだから。執拗なくらいの「赤」も、私はあざとい?とは思わなかった。
作品としての冗長さ。廓の中での、意味なく見えるほどの鮮やかな色彩。全体として演出が上手なのか下手なのかわからない(ド素人のくせにそう感じてしまった)のは、脚本の練り上げ方が足りないのかな…などなど、「一本の映画をちゃんと観た」という気持ちには、結局なれなかったけれど…
それでも最後は、あの「男波」「女波」の絵も見られて、私は十分満足した。「絵を観にきた」のだから、それで良かった。
「柳楽優弥君の切れ長な目も、若き日の口下手な北斎には似合って見えたし…」なんて、楽しい気分で家に帰れるだけで、今の私にはとても嬉しかったのだと思う。
田中泯の北斎、よかったですね。
舞の人だからでしょうか、身体表現が目に定着しますね。
顔の表情も身体表現の一部のような・・・。←言っている意味がわからない(笑)。スンマソン。
本人も、「自分は踊りの人間で、俳優ではないと思っている」
な~んてどこかで言ってた気が。
彼もかなり「ヘンな人」やと、実はずっと思ってます(ゴメンナサイ)
だから「北斎に見えた」のかも…って(^^;