とにかく、「身も蓋も無いような現実」とか、所謂「悪い人」は出てこない。それがこの作品の気持ち良さなのだと思うのだけれど、ストーリーの途中、12歳の主人公(ピアノと数学の天才!)がネット上の投資で巨額の利益を上げ、それで大好きな祖父や経済危機に陥りかけた両親へ「資金援助」をするようになる辺りから、なんだか妙な感じがしてきた。(その後は全てがハッピーハッピーになって、それまでのきめ細かな描写の仕方とあまりに違うように見えて、私はなんだかガッカリしてしまったのかもしれない。)
ところが、映画のラスト、彼が舞台でシューマンのコンチェルトを演奏する場面に来て・・・・・私は本当に驚いた。
こういう場合当然のことなのだけれど、映画で見るピアニストもバイオリニストも(それが子どもの場合は特に)、実際に聴衆を前に舞台で演奏している最中とそれが終わった直後くらいは、全く演技をしていないように見える。この映画の主人公ヴィトスも、演奏会では私には全く別人の顔に見えた。テオ・ゲオルギュー(本名)という1人の天才ピアニストに戻っているのだと思った。
その若きピアニスト(テオ)は、いかにも少年という身振りで演奏の最後の音を叩き、その後拍手に応えて聴衆にお辞儀をした。指揮者の眼差しがとても暖かく、それを感じた彼はちょっとはにかんで、でも慌てたようにもう一度前を向いて頭を下げる・・・。それは「音楽をする」者にとっての最高の幸せを感じさせる光景だった。
なぜなのだろう。私はそういう初々しさ、いかにも伸びやかに育った人なのだろうと感じさせるその少年ピアニストを見ているうちに、この映画の終盤の乱暴さ?が気にならなくなった。
あのお金の儲け方(祖父に「働いていないのに、なぜ預金が増えるのか?」と言われ、「お金を働かせているのさ」と答えるような)も、大事な人たちの危機に際して12歳の子どもには何が出来るのか・・・という、古今東西子どもが子どもなりの必死さでもって、編み出してきた解決の仕方の1つなのかもしれないと。銀行業の歴史の古いスイスの映画で、PCを見て育ったような現代の子どもなら、ああいう解決の仕方にも当然「夢」を感じるのだろうと。
私がここに書いているのは、理屈に合わず、辻褄も合ってないような感情だ。それでも、私にとっては映画は「解釈」よりも、その時自分がどう感じたかの方がはるかに重要なのだと思う。
この映画は決して子ども向きに作られたものではないけれど、天才少年がどうやって自分に納得できる成長の仕方を発見し、自分自身の人生を作り上げていくか・・・という成長物語であると同時に、(主人公が大変な「天才」であるが故に、)「子どもの夢」を描いた作品でもあるのだろう・・・と、私は勝手に納得し、最高にステキだった彼のオジイサンを思い出しながら、家路についた。
川べりの道を自転車で走る間ずっと、あの何ヶ国語かが混じって聞こえるような、スイスに住む人たちの交わす言葉の優しい響きと、それに相応しく、決して攻撃的には聞こえてこない柔らかなピアノの音色が耳に残った。
ところが、映画のラスト、彼が舞台でシューマンのコンチェルトを演奏する場面に来て・・・・・私は本当に驚いた。
こういう場合当然のことなのだけれど、映画で見るピアニストもバイオリニストも(それが子どもの場合は特に)、実際に聴衆を前に舞台で演奏している最中とそれが終わった直後くらいは、全く演技をしていないように見える。この映画の主人公ヴィトスも、演奏会では私には全く別人の顔に見えた。テオ・ゲオルギュー(本名)という1人の天才ピアニストに戻っているのだと思った。
その若きピアニスト(テオ)は、いかにも少年という身振りで演奏の最後の音を叩き、その後拍手に応えて聴衆にお辞儀をした。指揮者の眼差しがとても暖かく、それを感じた彼はちょっとはにかんで、でも慌てたようにもう一度前を向いて頭を下げる・・・。それは「音楽をする」者にとっての最高の幸せを感じさせる光景だった。
なぜなのだろう。私はそういう初々しさ、いかにも伸びやかに育った人なのだろうと感じさせるその少年ピアニストを見ているうちに、この映画の終盤の乱暴さ?が気にならなくなった。
あのお金の儲け方(祖父に「働いていないのに、なぜ預金が増えるのか?」と言われ、「お金を働かせているのさ」と答えるような)も、大事な人たちの危機に際して12歳の子どもには何が出来るのか・・・という、古今東西子どもが子どもなりの必死さでもって、編み出してきた解決の仕方の1つなのかもしれないと。銀行業の歴史の古いスイスの映画で、PCを見て育ったような現代の子どもなら、ああいう解決の仕方にも当然「夢」を感じるのだろうと。
私がここに書いているのは、理屈に合わず、辻褄も合ってないような感情だ。それでも、私にとっては映画は「解釈」よりも、その時自分がどう感じたかの方がはるかに重要なのだと思う。
この映画は決して子ども向きに作られたものではないけれど、天才少年がどうやって自分に納得できる成長の仕方を発見し、自分自身の人生を作り上げていくか・・・という成長物語であると同時に、(主人公が大変な「天才」であるが故に、)「子どもの夢」を描いた作品でもあるのだろう・・・と、私は勝手に納得し、最高にステキだった彼のオジイサンを思い出しながら、家路についた。
川べりの道を自転車で走る間ずっと、あの何ヶ国語かが混じって聞こえるような、スイスに住む人たちの交わす言葉の優しい響きと、それに相応しく、決して攻撃的には聞こえてこない柔らかなピアノの音色が耳に残った。
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