書きたくなかったのに、書き始めたらグダグダモタモタ、長くなってしまった「ひとこと感想」その13。
戦場ではまずあり得ないような、でも戦場だからこそ時として起こるのかもしれない・・・と観た後思った、「実話に基づく」物語。
「第二次大戦中のアメリカ(ヴァージニア州)。敬虔なクリスチャンとしてその教えを大切にしてきた主人公は、「皆と同じように、自分も国の役に立ちたい」と陸軍に志願しつつも、「兵器を手にすることは出来ない。命を奪うのではなく、助けたい」と希望する。軍側は困惑しながらも、彼の熱心さに入隊を許可し、軍事訓練が始まる。しかし「狙撃」の訓練でも銃を手に取ろうとしない彼に、上官と兵士たちの嫌がらせが始まり、命令拒否を理由に主人公は軍法会議にかけられることに・・・」
私はこういう「自分の信念に基づく主張」を「頑として変えない」人物を見ると、呆気に取られると同時に、本当に珍しいモノに出会ったと気分で、惚れ惚れと見つめてしまう?トコロがある。どうしたらここまで「自己主張」できるのだろう。「自分は間違っていない」という自信の下に、人を「説得」出来ると信じている表情で(^^;。
銃を持たない者が一人でもいた場合、戦場ではその人のために「護衛」が必要になるわけで、部隊としての「士気に影響する」のはある種当然。ここまで神経を逆撫でする者(主人公)に対しては、上官や兵士たちが嫌がらせをしても「無理ないかも・・・」などと、素人の私も思ってしまった。
「しかし意外な人物の協力もあって、紆余曲折はあったものの、彼は本格的に入隊を許可され、衛生兵として沖縄の激戦地(前田高地:ハクソー・リッジ)に向かう。そして、そこで彼が目にしたものは・・・」
切り立った崖(150m!)の上で、敵味方双方からの砲火を浴びながら、主人公の下した決断、行った行為の数々・・・その描き方が(いかにもメル・ギブソン監督らしく?)ちょっと「やり過ぎ」に見えたとはいえ、「実話に基づく」ということの重みは、私にも十分伝わってきた。
主人公は、「神」の前でゴマカシや嘘はあり得ない・・・という人なのだろう。それをしてしまったら、もう自分が生きる意味も値打ちも無くなってしまう・・・と。
万策尽きかけて「銃に触れないのは、あなたのプライドが邪魔してるだけでしょう」と言ってしまった結婚相手に、一瞬ハッとした表情を見せた彼は、それでも何かに気づいたように「信念を曲げたら(自分は)生きていけない」と呟く。(この映画の中で、私にとっては最も印象的だったシーン)
「負傷した仲間たちより自分の命に、価値があるとは思えなかった」という(戦後になってからの)本人の言葉を見たときも、表面だけ、字面だけのものとは思わず、本当にそういう人だったんだろうな・・・と、私も納得する気持ちになった。そういう人の残した事実であり、「物語」なんだな・・・と。
それでも、「映画」としては(主人公より)第一次大戦で「人が変わってしまった」父親の人物造形や、入隊を正式に許可する上層部の軍人さん(肩書き忘れた)の決断の仕方の方が、記憶に残っているようで、自分でも不思議だ。「戦争」とはいえ、まだ「人の顔が見えていた」時代の空気を感じたからだろうか。
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