3か月前、橋本治さんの
「九十八歳になった私」を読んだ。
68歳の橋本さんに、出版社から
「 "30年後の世界" をテーマに短編を」
という依頼が来る。
橋本さんは考える。
「どうせ"ディストピア”になるなら
自分抜きに安全な高みから書くより
"自分込み”の30年後を書く方がフェアーでは?」
というので出来上がった小説は
主人公(98歳の老作家)の日々の描写が
なんと今の私の日常そのまま!
・・・私は眩暈がしそうになった。
大地震だの、首都壊滅だの
人口激減(はたまたプテラノドン襲来)より
そっちの方がず~っとショック。
30年後の「近未来」を
「自分自身を抜きせずに」想像すると
なんのことはない。
既に私の「30年後」は
始まってしまっている(らしい)。
「そうかあ」
95歳も65歳も(私に限っては)
さしたる違いはないのかも・・・
と思いかけて、「そんな馬鹿な!
違わないはずないだろ? 常識的に考えて」
(私に常識なんてあったっけ)
と、に、か、く
今から30年後の私は
今よりさらに30年分
「見慣れぬ生き物」になってるはず。
68歳の橋本氏にとっても
あの本の主人公は、さすがに
「今とは違う」姿だったはず。
な~んて思ってたら、本の後書きに
「短編のはずが連作にさせられ」
「68歳の(難病を抱える)今の自分と
98歳の(認知機能が年相応に衰えた?)
小説上の自分との区別が時々つかなくなって」
それが結構キツかった・・・とあった。
なあんだ。書いた人だってそうだったんだ。
(私だけじゃなかったのね)
どんな大災害、どんな環境の大変貌より
わが身の「老い」の方が
未知の「近未来」なのかも。
でも、こっちはディストピアとは限らないし・・・
なんて勝手に思い直した自分。
(最初のショックはいつのまにやら
無かったことにされてる)
やっぱり「30年後」、95歳の自分は
既に始まってるんだと思う。
(2019年6月14日タイトル)
(その後、ふと思い出した日記ブログの「夢」の記事です。全然違う内容ですが、どこかで繋がっている気がなぜかして・・・
備忘のために貼っておきます)
http://blog.livedoor.jp/hayasinonene/archives/52684113.html「悪夢じゃなかった・・・」
面白かった~。
と思ってリンク先を拝読したら、怖くてかなしかったです~。
知らないって罪深いとは思うけれど、知るまでは知らないしねぇ。
身体のあちこちが痛いのは老人力の序の口なのですね。だんだんにステップアップして追いつきますです~。
笑ってもらえてすごーく嬉しい(^^)
リンク先まで読んで下さったなんて
ホント感謝感謝です。
(でも・・・ヘンなモノ読ませてゴメンナサイね。
実は、リンク貼らない方がいいかな~って、あのとき自分でも思いました)
でもね、この小説読んだ後で、やっぱりあの「悪夢」?のこと、思い出したの。
「そうかあ・・・私もいつかあんな風に
ほんとになるんだな~
(既になりつつあるんだもんな~)」って
ソラオソロシクも実感した?というか。
身体のあちこちは、痛くなんてならない方がいいし
「老人力」のステップアップも、遅い方がいいんじゃないかと。
(だから追いつかないでくださいね(^^))
私はどうやら、頭の中のステップアップが先行してるみたいで
身体が追いついてくるまで待っててほしいな~って
たまに思うコトあるくらいです(^^;