眺めのいい部屋

人、映画、本・・・記憶の小箱の中身を文字に直す作業をしています。

九十五歳になっちゃった?私 

2019-09-27 13:44:18 | 映画・本

3か月前、橋本治さんの
「九十八歳になった私」を読んだ。


68歳の橋本さんに、出版社から
「 "30年後の世界" をテーマに短編を」
という依頼が来る。

橋本さんは考える。

「どうせ"ディストピア”になるなら
自分抜きに安全な高みから書くより
"自分込み”の30年後を書く方がフェアーでは?」


というので出来上がった小説は
主人公(98歳の老作家)の日々の描写が
なんと今の私の日常そのまま!


・・・私は眩暈がしそうになった。


大地震だの、首都壊滅だの
人口激減(はたまたプテラノドン襲来)より
そっちの方がず~っとショック。

30年後の「近未来」を
「自分自身を抜きせずに」想像すると
なんのことはない。

既に私の「30年後」は
始まってしまっている(らしい)。


「そうかあ」


95歳も65歳も(私に限っては)
さしたる違いはないのかも・・・

と思いかけて、「そんな馬鹿な!
違わないはずないだろ? 常識的に考えて」
(私に常識なんてあったっけ)


と、に、か、く

今から30年後の私は
今よりさらに30年分
「見慣れぬ生き物」になってるはず。

68歳の橋本氏にとっても
あの本の主人公は、さすがに
「今とは違う」姿だったはず。


な~んて思ってたら、本の後書きに

「短編のはずが連作にさせられ」

「68歳の(難病を抱える)今の自分と
98歳の(認知機能が年相応に衰えた?)
小説上の自分との区別が時々つかなくなって」

それが結構キツかった・・・とあった。


なあんだ。書いた人だってそうだったんだ。

(私だけじゃなかったのね)


どんな大災害、どんな環境の大変貌より
わが身の「老い」の方が
未知の「近未来」なのかも。

でも、こっちはディストピアとは限らないし・・・


なんて勝手に思い直した自分。

(最初のショックはいつのまにやら
無かったことにされてる)


やっぱり「30年後」、95歳の自分は
既に始まってるんだと思う。

 

   
   (2019年6月14日タイトル)





(その後、ふと思い出した日記ブログの「夢」の記事です。全然違う内容ですが、どこかで繋がっている気がなぜかして・・・
備忘のために貼っておきます)
    
   http://blog.livedoor.jp/hayasinonene/archives/52684113.html「悪夢じゃなかった・・・」

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2 コメント

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Unknown (お茶屋)
2019-11-06 14:43:02
わははは!
面白かった~。
と思ってリンク先を拝読したら、怖くてかなしかったです~。
知らないって罪深いとは思うけれど、知るまでは知らないしねぇ。
身体のあちこちが痛いのは老人力の序の口なのですね。だんだんにステップアップして追いつきますです~。
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Unknown (ムーマ)
2019-11-06 16:32:39
お茶屋さ~ん
笑ってもらえてすごーく嬉しい(^^)
リンク先まで読んで下さったなんて
ホント感謝感謝です。
(でも・・・ヘンなモノ読ませてゴメンナサイね。
実は、リンク貼らない方がいいかな~って、あのとき自分でも思いました)

でもね、この小説読んだ後で、やっぱりあの「悪夢」?のこと、思い出したの。

「そうかあ・・・私もいつかあんな風に
ほんとになるんだな~ 
(既になりつつあるんだもんな~)」って
ソラオソロシクも実感した?というか。

身体のあちこちは、痛くなんてならない方がいいし
「老人力」のステップアップも、遅い方がいいんじゃないかと。
(だから追いつかないでくださいね(^^))

私はどうやら、頭の中のステップアップが先行してるみたいで
身体が追いついてくるまで待っててほしいな~って
たまに思うコトあるくらいです(^^;
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