眺めのいい部屋

人、映画、本・・・記憶の小箱の中身を文字に直す作業をしています。

約束を抱きしめて ・・・・・ 『クロッシング』(韓国)

2011-04-15 16:55:33 | 映画・本

あまりに長い「ひとこと感想」その26。(結末に触れています。未見の方はご注意下さい。)

メモには、「私にとっては"人の幸せ"について考えさせられた映画だった。」とだけ。これほどショッキングな北朝鮮の実情?を観た後で、なぜ「幸せ」などという長閑な言葉だけを書いたのかも珍しく覚えている。エンディング・クレジットに映っていた河原での人々の楽しそうな様子が、あまりにも強く印象に残ったからだ。これに限らずこの映画(特に前半)では、現在の北朝鮮の田舎に住む庶民の暮らしが、丁寧に描かれている。それはいかにも質素で、日本で言うなら、戦後まだそれほど年月が経っていない頃のような風景に見える。家族みんなが「お腹いっぱい食べられる」かどうかが最大の関心・願いであるような生活。けれど、それは例えば子どもは親に敬語で話し、妻は自分より夫と子どものことを気にかけ、ぼろぼろになった靴を大事に履き、仕事から帰った父親と家の前でするサッカーを息子は毎日楽しみにしている・・・そんな、人間としてのある種素朴な品の高さ(妙な表現だけれどいい言葉が浮かばない)を感じさせるような暮らしでもある。そういった本当にささやかな「幸せ」が、映画の最初と最後に映るのだ。

物語の本筋は、結核になった身重の妻のために特効薬を手に入れようと、脱北して中国に出稼ぎに行くことを決意した父親ヨンスが、11歳のひとり息子ジュニに「お母さんを頼む。」と言って、家を出るあたりから始まる。父親はなんとか脱北に成功し、素性を隠して必死で働くのだけれど、その間にも北朝鮮では妻は亡くなり、残された息子のジュニは父親を探しに一人で脱北を計り、捉えられて強制収容所に送られる・・・。

映画の前半やエンディングに映し出されるような「本当にささやかな幸せ」さえ、今の北朝鮮の体制下ではあっという間に壊されてしまう。自分のためではなく大切な家族のために、法を犯し危険に立ち向かった(それはモノ凄く大きな「賭け」だ)父親と息子に、当然のように苛酷な現実が次々と襲いかかる・・・。

現在の北朝鮮の体制を批判するような描写は一切無く、「ごく普通の親子」「ごくありふれた人々の日常」を描くことに集中しているために、この映画はプロパガンダ臭とは無縁の完成度の高い作品になっているのだと思う。そのせいもあるのだろうか、強制収容所の中の様子、北朝鮮のストリート・チルドレン、脱北をビジネスとして或いは全くの善意や人権意識として支援してくれるさまざまな人々、失敗したときのさまざまな「死」の形、成功してからも逃れられない苦しみ・・・などなど、深刻な映像を次々と見せられながらも、私にとって一番強く印象に残ったのは、実はジュニの「お父さん、ごめんなさい。」という声だった。

父親が彼に母親のことを頼んで出発するのを見た時から、私はずっと気がかりだった。危惧したとおり、その後間もなく、元々病弱な母親は亡くなってしまう。ジュニがどれほど父親との約束を真剣に受け止めたか、それを守ることができなかったことがどれほど彼を苦しめているかが、私には痛いほどだった。だから、父親と電話で話せる機会がやっと訪れた時、彼の最初の言葉が「ごめんなさい」になることも判っていた。だからあの瞬間、私が感じたのは「ああ良かった!」という、心底からの安堵の気持ちだった。

私はこの映画の中に出てくる「大人の苦労」の数々については、本当に大変だな・・・とは思っても、心のどこかに「子どものためにする苦労は仕方がない。それは親になった時から織り込み済みのものだから。」とでもいうような、ヘンな思い込みがあるのかもしれない。だから、間に合わなかったと知ったときの父親の号泣、おそらく一生苛まれるであろう後悔については、その胸の潰れるような思いが想像できたとしても、心底「可哀想」とは思わないかもしれない。

しかし、子どもは違う。

「子どもは、こういう苦しみを背負ってはいけないのだ。」という気持ちが、私の中には厳然としてあるらしい・・・ということに、この映画で初めて気がついた。「こういう苦しみ」は、要するに「大人が子どもに負わせる」ものだ。大人から見てどれほど些細なことに見えても、当の子どもにとっては「人生を揺るがす」ほどのものになることがいくらもある。

ジュニが生き延びる可能性があまりに低く見えたことと、この気持ちは無関係じゃないだろう。私はこの健気な男の子に、せめて「父親に許してもらえる」機会を与えてほしいと、痛切に願っていたのだと思う。たとえ父親が、そんな強い意味で約束したつもりは毛頭無かったのだとしても。

砂漠に身を縮めて横たわったジュニの顔に星空から一粒落ちてくる雫は、乾いた高地での単なる自然現象なのかもしれないけれど、雨が好きだった彼への天からの贈り物、もしかしたら終始彼を気遣っていた亡くなった母親の涙・・・そんな気がした。

実情を直接知ることができない北朝鮮について、今出来る最大限の努力をして制作された韓国映画というこの作品は、私などには受け止めきれない重さでのしかかってくる。私は、私自身が毎日暮らしているだけで精一杯・・・というような、ちっぽけな人間だ。

それでも、実在の事件やモデルに取材した映画という「フィクション」の形で、やっと観る機会がやってきたというだけでも、歴史が進んでいるのを感じた。韓国の映画だということは、北朝鮮という国に住む人々を見る韓国の人々の視線がどういうものであるのかを、語ってくれる映画でもあると思った。だから、描かれている人々の「人間としての心映え」を眩しく見ているような感覚に、私も共感したのだと思う。


見ることが出来て本当に良かった。
あたご劇場さん、上映して下さってどうもありがとうございました。

シドロモドロの感想を書くだけで何も出来ないけれど、北朝鮮の人々の平安を祈っています。

 



コメント (4)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« セクシー万歳! ・・・・・... | トップ | 2010年に観た映画 (劇... »

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
涙もあらた(T_T) (お茶屋)
2011-04-16 16:28:09
共感です~。
(今回の震災、原発事故でも、子どもたちが心配です。笑顔に元気を分けてもらえる存在でもあるのですが。)

私も収容所などのつらい場面より、満天の星などの場面が印象に残っていますが、「みんなのシネマレビュー」サイトを見ると、つらい場面の方が印象づけられている人もけっこういました。思うに、そういう人は、若い人や映画体験が少なめな人かな?
ムーマさんや私などの世代は、昭和を知る最後の世代と言ってもよく、ああいう貧しさを体験的に知っているし、また、あれ以上のつらい場面を他の映画で散々観ていることでもあり、それで美しい場面の方が印象に残っているのかもしれませんね。
返信する
「つらい」けれど「美しい」・・・ (ムーマ)
2011-04-16 17:44:21
>ああいう貧しさを体験的に知っているし、また、あれ以上のつらい場面を他の映画で散々観ていることでもあり、それで美しい場面の方が印象に残っているのかもしれませんね。

そういえばそうですね・・・。
若い人たちにとっては、「ああいう貧しさ」それ自体が、自分と地続きには感じにくい(もしかして感じられない?)かもしれませんね。
その上、ああいう「つらい場面」、空恐ろしいような光景!が続くとなると、「美しい場面」はむしろウソっぽく感じるかもしれないな・・・って、初めて気がつきました。

もう一つ、この記事を書いていて思ったのは、最近観た『闇の列車、光の旅』に無かったのは、こういう「美しさ」とか「温かさ」だったのかもしれないな・・・ということ。
あの映画の後味の悪さは、私からすると結局そういうところなのかな~と。

私はなかなか「みんなのシネマレビュー」まで行き着かないヒトなんですが、こういう映画の時には特に、いろんな方の感想聞くと見えてくるモノがあるのかもしれませんね。(その分のエネルギーも残しとかなくちゃ。)

「共感です~」って言って頂けて、とっても嬉しかったです。
書かないでおこうと思ってたんですが、思い切って書いて良かった!(『タクシードライバー』も、思い切って書いてみようかなあ・・・(独り言)。)
返信する
闇の列車、光の旅 (お茶屋)
2011-04-17 13:37:20
ユーモアがなかったですよね。
禁じ手なのですが、つい、ケン・ローチ作品と比べてしまいました。(それを言っちゃあ、以下寅さん(笑)。)
返信する
それを言っちゃあ・・・ (ムーマ)
2011-04-17 15:10:35
でも言いたくなります(うんうん)。
「見飽きない」作品だったので、余計に。
返信する

コメントを投稿

映画・本」カテゴリの最新記事