あまりに長い「ひとこと感想」その24。
メモには、「セナという人をひとことで表す言葉として、"天使"が浮かぶ・・・そんなアイルトン・セナ像が描かれている気がした。ドキュメンタリーとしての編集(演出?)の仕方がきめ細やかで、エンディングに若き日のセナの笑顔が映るのも胸に染みた。」とある。
個人的なことだけれど、セナがF1で活躍した頃というのは、私にとっては丁度幼い子ども2人に忙殺されていた時期に当る。チェルノブイリの原発事故も、湾岸戦争も、オソロシク遠い場所からの風聞に過ぎなかった・・・というような頃、それでもセナの名前は私の耳にまで聞こえてきた。事故の瞬間も、テレビのニュースで見た記憶がある。事故の映像自体よりも、見ている人たちの驚きと悲嘆の激しさ!に、私自身は驚いた。
今回、セナのことをちょっと調べてみて、ホンダとの関係、日本GPでの劇的なレース展開(それも何度も!)、しかも日本はバブルの絶頂期。セナの人気と共に、日本全体がF1ブームに沸いた・・・といったことを、初めて知った。この映画が「世界に先駆けて、日本で先行上映」された理由が判った気がした。
「アイルトン・セナ財団」の公認を得て製作」され、「事故死までの生涯を、肉親・関係者の証言や秘蔵映像などで振り返る」この映画の中で、セナがとても魅力的に見えるのはある種当然なのだろう。それでも映画からは、ニュートラルな地点から見たセナを描こうとしているフェアな姿勢が感じられて、そのことがこのドキュメンタリーの魅力を大きくしていると、一観客の私は思った。
セナの声や映像から「天使」などという大層な言葉が浮かんだのは、自分でも不思議だった。
でも、私の眼にはこの人は、例えば『マン・オン・ワイヤー』の主人公(フィリップ・プティ)などと同じ種類の人間に見えるのだと思う。プティが周囲と摩擦を起こし、やがては仲間たちさえ彼についていけなくなったように、セナも同じレーサー(例えばプロストもその一人)から「危険を追求し過ぎる」と批判されることがあっても不思議じゃない気がした。この人の場合、「レーサー」であることは「職業」というより「走ることを追求する人」という、もっと抽象的?な属性のように見えてしまうのだ。
信仰心に篤かったというセナが、苦しいレースであればあるほど「神」と共に走り、対話したであろうことも、私にはごく自然なものに感じられた。(ワールド・トレード・センターのツイン・タワーの間に張った綱の上での経験を、後にプティが「神と自分しかいない世界」と表現していたのを思い出す。)極限状態での脳内ドラッグのせいと言われれば確かにそうなのかもしれないけれど、セナはこの世の現実の中にいる時とは全く違った自由と喜びを、「神」の存在と共に身に感じていただろうと、映画を見ながらつくづく思った。
だから後になって、短い生涯にレーサーとしては天国も地獄も見たであろうセナが、「(走ることが)一番楽しかったのは、最初のカートの頃だ」と静かな声で語るのを見るのは、本当に痛々しく、辛いものがあった。
セナを取り巻く現実は、「好きなことを仕事にするのは苦しい」「イヤな時でも、走らなければならない」「国籍上の差別を露骨に感じることもある」しかも「富裕層に生まれた自分が、仕事で成功してさらに豊かになる一方で、故国ブラジルの人々は貧困に喘いでいる(そして実際、セナにさまざまな援助を頼んでくる)」・・・といった事柄に満ちていたことを、映画は静かに語り続ける。
それでも、走ることで彼が体験したであろう高みを想像すると、それを絶対に体験することのない私が、スクリーンに映るセナの表情の暗さをただ「悲哀」としてだけ感じるのは、おこがましいことのような気がしてならなかった。
若き日のセナの、いかにも育ちの良さそうなハンサムな顔よりも、30代になってからの彼の顔の方が私は好きだ。その顔で、もっと人生を続けてほしかったと映像を観ながらしみじみ思った。でも・・・ただただ走ることだけを追求して、それ以外の現実で身の利益を計ろうとはしなかったであろう「天使」のようなセナは、神さまから早く呼び戻される運命にある人だったのかもしれないな・・・などと、F1にも車にも、世の諸々の「現実」にも疎い私は、心のどこかで思ったような気もする。
最後に一つだけ、ライバル、アラン・プロストのことを。
同時代にタイトルを争ったプロストとの確執が、本当はどういうものだったのかは私などにはわからない。ただ、映画の中では二人は終始公平に描かれている感じで、終盤セナの葬儀の際、プロストが棺の担ぎ手の一人として映っているのに驚いた。そしてエンディングでは、アイルトン・セナ財団(慈善団体とのこと)の現在の管財人はプロストであることが文字で浮かぶ。
苦労人のプロストの眼に映ったセナが実際のところどういう人だったのかはともかく、事故から3ヶ月の追悼イベントのインタビューで、彼が語ったセナ像がとても印象的だったので以下に引用する。
「彼は、モチベーションを保つために、ライバルが必要だと感じていました。セナには僕が必要だったのです。彼は私を倒すことに熱中しました。でも、そこには互いに尊敬の気持ちがありました。」
「セナが最も私を魅了したのは、彼が100%をレースに捧げていたことです。実際に100%を捧げるのは簡単ではありません。私には家庭もあり、休養もあり、ゴルフやスキーに熱中したりもします。私の場合、98%くらいをレースに捧げているのだと思います。でも、セナにはレースが全てでした。私ならマシンにトラブルが起これば、すぐにピットに戻ります。でもセナは、本能で走ろうとするのです。」
映画を見た直後は寂しさのようなものを強く感じていたけれど、数ヶ月後の今は、同じ頃にF1の世界からいなくなった2人のレーサーのことを調べて、色々想像するのがとても楽しかった。こんなに長い感想を書くつもりは全然無かったのだけれど、新鮮な「楽しさ」だったので、このまま残すことにした。(あれからそろそろ17年、遠い風聞だった「セナ」を近くでゆっくり見ることができるくらい、私の人生も穏やかになったのだ。)
裕福な家庭に育ったと聞きましたが、彼なりの色々な苦労があったんですね。
お兄さんがファンで一緒にF1見てらしたなんて、ウラヤマシイです。
私も誰か見る人がいたら、一緒に見ていたかったな~なんて
今頃になって思ってしまいました。
セナはブラジルではもう英雄というか、{希望の星」みたいな存在だったようですが
F1の世界では色々苦労があったようです。
でもとてもハンサムで、強いレーサーで、カリスマ性のある人!っていうのが
映画からすごーく伝わって来ました。
しみじみする、いいドキュメンタリーでしたよ。
お兄さんはきっとご覧になってると思います。
kmさんも、いつか機会があったらどうぞ~。
鈴鹿で間近に走るの見たなんて凄い!!!
でも改めて、イエローフッログフィシュさんの好みにピッタリの人だと思います(うんうん)。
パネルもらえて良かったですね♪ (写真でも映像でも、じっと見ていたくなる人ですね。)
映画、ほんとに良かったですよ。
シネコンで観られて、もうほんとにラッキーでした。
これを直に見ていたなんて・・・イエローフッログフィシュさんの思い出に、私も乾杯!
今日付の拙サイトの更新で、こちらの頁を
いつもの直リンクに拝借しております。
本作を味わううえで
とても参考になる数々の言及に満ちてますね。
どうもありがとうございました。
ご無沙汰してます(^^;
直リンクとご報告、いつもありがとうございます。
いや~、それにしても
3年前にはコンナモノ書いてたんですね(→自分)。
ヤマさんの日誌ももう一度読みたくなりました。
今でも、セナの静かなモノローグの声と
棺を担ぐプロストの風情などなど・・・記憶に残っています。
思い出させて下さって
本当にありがとうございました(^^)。