年末に昭和の遊びを特集する番組をやっていた。
手押し相撲(地面に書いた円の中で、片手または両手どおし押して倒す)
山崩し・棒倒し(砂場で山を作り頂上に枝を立て、少しずつ砂を取っていく)
靴とばし(地面に線を引き、そこから履いている靴を飛ばす。ブランコver.もあり)
お天気占い(靴飛ばしをして靴の表裏で占う)
かげおくり(晴れた日の屋外で、自分の影10秒見つめ、空を見ると残像が映る)
おしくらまんじゅう(寒い日に背中どうし組み合って押し合い、温まる)
それらを令和の子どもたちに説明すると、どの子もこの子も
「ニンテンドー Switchの方が楽しい」と必ず言う。
そりゃそうだ。ゲーム機は子どもたちが喜ぶようにプログラミングしてある。
多くの大人たちが、より好まれる物を試行錯誤しながら作っていくのだから
後発の遊びの方が楽しいに決まっている。
だから令和の楽しいゲーム機もこれから30年、50年経つと
つまらない遊びになっていくのだ。
その証拠に初めて家庭用に販売されたテレビゲームのテニスでは
タテ長の四角いラケットを上下させて四角い球を打ち合うだけの
シンプルなものだったが、どれほど楽しんだか分からない。
しかし昭和の遊びの素晴らしいこともある。
ゲーム機などの媒体がなくても遊べることだ。
そこには自分たちだけで作るルールを決めたり、工夫をしたりして
その遊び方をどんどん進化させていける。
言い換えれば、昭和の遊びは「自分たちで遊んだ遊び」であり、
令和の遊びは「遊んでもらう遊び」に変化してきた。
この現象は、山で遊ぶ、川で遊ぶ、海で遊ぶというように
自然の中で遊ぶ遊び方から、ディズニーランドやUSJのような
遊び専門に特化したテーマパークに遊びに行き
遊んでもらう手法が定着していったとも考えられる気がする。
どちらがいいか?というのではなく、自分の好きな方で遊べばいいのだけれど
敗戦後の食糧難の時代に小麦を送られているうちにコメの消費が減ってきて
自分たちの文化が知らぬ間に、外からの力で変えられてきたことの
ように思えてならない。
手押し相撲(地面に書いた円の中で、片手または両手どおし押して倒す)
山崩し・棒倒し(砂場で山を作り頂上に枝を立て、少しずつ砂を取っていく)
靴とばし(地面に線を引き、そこから履いている靴を飛ばす。ブランコver.もあり)
お天気占い(靴飛ばしをして靴の表裏で占う)
かげおくり(晴れた日の屋外で、自分の影10秒見つめ、空を見ると残像が映る)
おしくらまんじゅう(寒い日に背中どうし組み合って押し合い、温まる)
それらを令和の子どもたちに説明すると、どの子もこの子も
「ニンテンドー Switchの方が楽しい」と必ず言う。
そりゃそうだ。ゲーム機は子どもたちが喜ぶようにプログラミングしてある。
多くの大人たちが、より好まれる物を試行錯誤しながら作っていくのだから
後発の遊びの方が楽しいに決まっている。
だから令和の楽しいゲーム機もこれから30年、50年経つと
つまらない遊びになっていくのだ。
その証拠に初めて家庭用に販売されたテレビゲームのテニスでは
タテ長の四角いラケットを上下させて四角い球を打ち合うだけの
シンプルなものだったが、どれほど楽しんだか分からない。
しかし昭和の遊びの素晴らしいこともある。
ゲーム機などの媒体がなくても遊べることだ。
そこには自分たちだけで作るルールを決めたり、工夫をしたりして
その遊び方をどんどん進化させていける。
言い換えれば、昭和の遊びは「自分たちで遊んだ遊び」であり、
令和の遊びは「遊んでもらう遊び」に変化してきた。
この現象は、山で遊ぶ、川で遊ぶ、海で遊ぶというように
自然の中で遊ぶ遊び方から、ディズニーランドやUSJのような
遊び専門に特化したテーマパークに遊びに行き
遊んでもらう手法が定着していったとも考えられる気がする。
どちらがいいか?というのではなく、自分の好きな方で遊べばいいのだけれど
敗戦後の食糧難の時代に小麦を送られているうちにコメの消費が減ってきて
自分たちの文化が知らぬ間に、外からの力で変えられてきたことの
ように思えてならない。
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