まじ卍

生活の中で気が付いたことを書いています。

想像力の欠如

2024-11-28 | 反省
先日、すでに終了したTBSの『東大王』の再放送を観ていて思ったことだが
氷の出来方や鮭の切り身の脂身の位置を問う問題があり、
東大出身者にも一般芸能人回答者にも答えられない人があり驚いた。
私たち世代の人たちには常識と思える問題だからだ。

氷で言えば、昔は冷蔵庫には必ず製氷皿というものが冷凍室に入っていた。
一定した形の氷を同時に大量に作るための容器である。
アルミ製であるため早く製氷できるが、取り出す際に手がしびれるほどに冷たくて
水道水を当てて取り出す際には氷が少し溶けて損をした気分にもなったものだ。
製氷皿に水を入れる際に満タンにすると凍った時にあふれてしまうから
8分目くらいにしておかなければならないことで、凍ると膨張することを学び
氷を作ってすぐ取り出せばそうでもないが、日にちが経つと
一つ一つの氷の中心辺りが盛り上がってくるのを経験的に記憶しており
水が氷ることで中心部分から体積が増えていくことを自然に学んできた。
しかし今は製氷機が冷蔵庫に標準装備されているものも多く
引き出しを開ければ一定した形の氷を同時に大量に取り出せる。
子どもが遊ぶスコップのようなもので取り出すだけだから
自然に学ぶ機会を逸している。

鮭の切り身にしても元の3枚におろした鮭から切り出すこともなく
初めから切り分けて販売されているから、切り身の太い部分と細い部分が
魚のどの位置に当たるのかも分からない人が居たりする。
最近は食べなくなったが、若い頃は鮭の脂身が好きで皮の部分や
ハラスを好んで買っていたが、歳とともにしんどくなってきた。
昔は北海道土産といえば鮭を丸ごと一匹というのが流行した時代もあり
学生時代に友だちからもらったこともあった。

時代は変わり世の中が進化していくことで便利になり
氷は作らなくてよくなったし、鮭は切り身で買えばよくなった。
そのせいで氷を作るとか鮭を切り身にするというプロセスが無くなり
これまでなら自然に入っていた知識でさえも
わざわざ取り入れなければ入って来なくなった。
スマホで検索すればすぐに判ることとはいえ
どこの世界に一般の人でわざわざ調べる人がいるだろうか?
相当に関心でもなければ検索しようなんて思わない。

以前『トリニクって何の肉?』という番組があり、
「トリニクって何の肉?」と尋ねられて「鳥の肉」だと答えると
「どの鳥?」と重ねて尋ねられて「鶏(にわとり)」と答えられず
社会問題になったことがある。
しかも番組内で説明したうえで再度同じ質問をしても答えられず、
スマホ脳になることで、
いつでも調べられるからという理由で記憶に残らないことが
昭和世代の平成生まれ世代に対する批判番組のようになってきて
番組が終わってしまったと記憶している。
今にして思えば、スマホの普及とともにその頃から
想像力の欠如の傾向が始まっていたようにも思えてくる。

私がよく腹を立てて当ブログで書いている
道端で突然立ち止まってスマホ検索しているオジサンオバサンをはじめ
乗り降りしないのに電車のドア付近を占領しているだけでなく
スマホにイヤホンスタイルで自分だけの世界に入っている若者にしても
小学生の団体が通行の邪魔になっていても問題視しない教師など
自分中心の社会となり、社会に一員であることで他人に迷惑を掛けない
というような世の中を俯瞰で見ることが出来ない人たちが増えて
アナログ時代に生まれ育った私たち世代だけが一方的に怒り
カスハラの温床になっている。

私が生まれて初めてキャンプに行き、雨で薪が濡れてしまい
火が着かず、楽しみにしていたすき焼きをサラダで食べたことから
ガスを捻れば火が着き、ご飯が炊けることが当たり前ではないことを学んだように
もう一度原始的な原点に立ち戻ってゼロベースに戻して考えなければ
物事の豊かさや便利さのおかげで人間がバカになり、
想像力を働かせる原材料となる経験値を高めなければならない。
赤ん坊の頃からスマホを観て育ち、賢く大人しい子どもたちが増え、
親の言うことを聞かず危険な池で遊ぶ子もずいぶん減った。
私たちの世代なら親の言ういうことを聞かず、池にはまる子が居て
その子だけに限らず一緒に居た子どもたちが一斉に学習するということがあったが
そういう機会も失われた分、ますます想像力の欠如した社会になっていくのを
ただただ指をくわえながら、文句をブログに書いている。

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