murota 雑記ブログ

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日本国憲法、何が問題なのか。

2018年04月06日 | 通常メモ
 1947年5月3日に日本国憲法が施行されてより70年を過ぎた。日本国憲法は人類の歴史の中でたどった一つの到達点でもあった。1945年8月の敗戦の後、米軍が日本を占領し、そこから憲法制定が始まったと考えがちだが、実際には、アメリカはすでに42年43年44年という段階において、戦争に勝利した後、日本を占領統治することを想定し日本という国の骨格を考えていた。憲法とは英語でコンスティチューションというが、法学でいうコンスティチューションとは、国家を統治する際に基準となる基本原理であり、骨組みのことだ。アメリカは終戦の3年前から、国務省内の地域政策局や軍部とのやりとりの中で、日本を統治する際の基本原理について討議してきていた。それが終戦の1年前の44年に、戦後計画委員会(PWC)による、PWC108文書「アメリカの対日戦後目標」に集約されていった。 . . . 本文を読む

興味深い法華経の話

2018年04月04日 | 通常メモ
 日本人は長らく法華経を、僧侶は漢訳経典を音読で、在家の多くはその漢訳を読み下して読誦してきた。もともと法華経はサンスクリット語で書かれていた。いまはその写本のうちのネパール本・中央アジア本・カシミール本の写本が残る。原題は『サッダルマ・プンダリーカ・スートラ』、すなわち『白い蓮華のように正しい教えの経典』。それが漢訳・チベット語訳・ウイグル語訳などをへて、近代になると英訳・仏訳・日本語訳などとなってきた。漢訳は「六訳三存三欠」といわれるが、笠法護(じくほうご)や鳩摩羅什(クマーラジーヴァ)らの6種類の翻訳となり、さらにそのうちの3種だけが現存する。『妙法蓮華経』というのは鳩摩羅什の訳になる。 . . . 本文を読む

日本史の視点に疑問

2018年01月08日 | 歴史メモ
 井沢元彦氏が「『誤解』の日本史」の中で書いている。山本七平氏の「私の中の日本軍」で紹介している文言だが、「戦争、なぜ終わらないのか、それは軍人の戦時加俸(昇給)がなくならないためだ」、戦争中からこういういいかたがあった。つまり戦争が続いているかぎり、軍人の給料は上がり続けるという。日本の戦国時代は戦さが日常的だった。武士は戦さで活躍し、そして出世してゆく。司馬遼太郎の小説「功名が辻」の主人公の山内一豊は、信長、秀吉そして家康に仕えて功名をたてた。ここでいう功名とは、敵を殺せば、領地も増え、城ももらえるということ。出世を望む武士なら誰でも功名をあげたいと考える。それを実現した最大の成功者が豊臣秀吉であった。その秀吉が戦国の世を終わらせて天下を統一した。 . . . 本文を読む

日本史の中で見えたこと。

2017年11月05日 | 歴史メモ
 日本史の中で、応仁の乱以前と以後とでは、国の支配構造に大きな違いが出ている。応仁の乱によって室町幕府が衰退し始め、その後に戦国時代が始まっている。応仁の乱は応仁元年(1467年)から文明9年(1477年)まで11年にわたる大乱だった。室町幕府の八代将軍・足利義政(あしかがよしまさ)に息子がいなかったので、弟の義視(よしみ)を後継者としたが、その直後に義政の妻の日野富子が男児を出産し、富子が我が子を将軍にしようと画策、折しも幕府の実権を握ろうとしていた細川勝元(東軍)と山名宗全(西軍)の両雄がそこに介入し、応仁の乱が勃発したというのが一般的な説明だが、この通説に対しては批判もあるようだ。最初は京都のみが戦場だったが、戦乱は地方に波及し、全国各地で合戦となった。大規模で長期にわたる戦乱なのに、大名たちが何のために戦ったのか見えてこないというのも不思議だ。 . . . 本文を読む

太平洋戦争末期、日本と南方諸国の興味深い話

2017年07月24日 | 歴史メモ
 加瀬英明とヘンリー・S・ストークスの著「なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか」によれば、この500年の世界史は白人の欧米キリスト教諸国が、有色民族の国を植民地支配した壮大なドラマだったといっている。第一次大戦に勝った連合国が1919年1月からパリに集い、ドイツにどのような条件を課するか討議したのがパリ講和会議、その当時は日本も連合国の一員だった。この会議では、各国首脳が講和だけでなく、国際連盟の創設を含めた新たな国際体制づくりについても協議、日本は内容的に人種差別撤廃提案ともいうべき案を提出したが、議長だった米国のウイルソン大統領が強く反発、当時、米国では黒人を「ニガー」と呼んで、法的にも社会的にも差別していた。白豪主義のオーストラリアのヒューズ首相も退席するほどの強硬な反対だった。英国、米国、ポーランド、ブラジル、ルーマニアなどが反対したが、出席16か国中セルビアをはじめとする11か国の小国が賛成し、可決された。だが、議長のウイルソン大統領は重大な案件は全会一致と言って受け入れなかった。今日の文明世界ではあり得ないことだった。 . . . 本文を読む