murota 雑記ブログ

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興味深い日本国の成立経緯。

2017年07月17日 | 歴史メモ
 日本の国家の形成は、中国や朝鮮の国家形成と深い関係にある。特に、秦・漢の成立は朝鮮と日本に大きな影響を与えた。漢の時代すでに九州は倭人の住むところとして中国にも知られており、交易もしていた。このことは西暦57年、漢が日本の委奴国(イト国)に「漢委奴国王」(漢のイト国王)という金印を与えたという記録からも読み取れる。歴史学会では、「漢委奴国王」を「かんのわのなのこくおう」と読ませ、奴国が金印をもらったとしているが、「かんのいとこくおう」とも読める。「わ」は「倭」であり、「委」ではない。「いと」国は、魏志倭人伝に「伊都国」という呼び名で出ている。現在の糸島半島の「糸(いと)」は、その名残と言われる。中国の王朝は、たびたび周辺諸国に「印」を与えているが、中国からみれば、金印を持つものが、その地の王であり、中国と「交易権」を持つ人になる。委奴国は金印をもらってから、130年間は平穏だったと思われる。 . . . 本文を読む

「古事記」と「日本書紀」成立の事情。

2016年12月16日 | 歴史メモ
 古事記は天皇や関係者に見せるための本であり、日本書紀は特に中国を意識して作られた国史(正史)と考えられる。古事記は日本書紀を作るための雛型本でもあった。日本書紀は全て漢文で書かれている。中国や朝鮮に対する独立の意思表示であり、国体(天皇制)の確立を主張しており、唐の皇帝に献上されたものと思われる。現存する正史の最古のものは、古事記(712年完成)、それから8年後、日本書紀(720年)が完成している。古事記は、上巻、中巻、下巻から構成され、神代から推古天皇までが書かれているが、日本書紀は、推古天皇から100年ほど下がった、持統天皇(41代の女性の天皇)までが書かれている。古事記については、不可解な伝承がある。平安時代には、古事記は宮中深く保管され、見てはならない本とされていた。  . . . 本文を読む

朱子学の歴史的影響。

2016年12月11日 | 歴史メモ
 朱子学は別名「宋学」といわれるように、漢民族の王朝であった「宋」が、野蛮な「金」や「元」に滅ぼされる過程で発生している。世界の中心たる「中華」という自負を持った中国、当時の「宋」にとっては、野蛮な「金」や「元」に滅ぼされることなど、漢民族のプライドが許さないが、現実に起こってしまった。その「宋」で誕生した朱子学は、現実を無視し、空理空論に走るものとなっていった。 . . . 本文を読む

( 歴史メモ ) 興味深い藤原氏の闘争過程を見る。

2016年10月06日 | 歴史メモ
 「中臣鎌足(なかとみのかまたり・藤原氏の祖)」以降の数百年間、謀略によって次々と敵を倒し、家系の権力を強大なものにしてゆく最後の謀略が「安和の変」であった。それ以降は他氏の排斥は行わず、藤原氏内部の抗争が中心となっていった。そこに至る経過をたどってみたい。また、「承平・天慶の乱」も終結し、世の中の乱れが何となく収まってきた946年、「朱雀天皇(すざくてんのう)」は満22歳の誕生日を目前にして突然、3歳年下の実の弟「成明親王(なりあきらしんのう)」に皇位を譲り、「村上天皇(むらかみてんのう)」として即位。「朱雀天皇」の時代は「富士山の噴火」「大地震」「洪水」などの天変地異が全国で頻繁に起こり、とどめとして「承平・天慶の乱」が起こっている。 . . . 本文を読む

( 歴史メモ ) 藤原氏の権勢の確立に迫る。

2016年09月22日 | 歴史メモ
 復習になるが、桓武天皇は和気清麻呂の進言を取り入れ、造営中であった長岡京をあきらめ、新たに都を造営する場所を山背国葛野郡宇太村(やましろのくにかどのぐんうだむら・現在の京都市)に決定、早速造営を開始させると同時に副都であった「難波宮(なにわのみや・現在の大阪市中央区)」を廃止(793年) 。794年には、造営中の新都を「平安京(へいあんきょう)」と名付け、長岡京から遷都された。ここから平安時代が幕を開け、江戸時代の末まで1000年間、日本の都として続くことになる。さて、桓武天皇(かんむてんのう)の死後に起こった平城天皇(へいぜいてんのう)と嵯峨天皇(さがてんのう)の抗争事件で、権勢を誇っていた「藤原式家」が没落し、「藤原北家」が台頭するきっかけとなったのが「薬子の変」である。784年、桓武天皇は平城京の仏教勢力から逃れるために都を長岡京に遷都するが、翌年の785年、長岡京造営の責任者であった藤原種継(ふじわらのたねつぐ)は暗殺されてしまい、794年には桓武天皇は長岡京を放棄、平安京へと遷都。この桓武天皇の行動に対し、不満を募らせたのが、藤原種継の子・藤原仲成(ふじわらのなかなり)と藤原薬子(ふじわらのくすこ)の兄妹だった。 . . . 本文を読む