murota 雑記ブログ

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ヴォルテールの啓蒙的な能力

2019年06月21日 | 通常メモ
 かつて、イザヤ・ベンダサンの著作、『ユダヤ人と日本人』は大ベストセラーになった。この本は、書名も怪しいが、筆名は架空の人物名だが、実は山本七平だった。作家は筆名によって自分すら騙すものだ。ヴォルテールの『歴史哲学』も、歴史哲学とはいえないのに『歴史哲学』という書名になっている。この本は古代民俗誌とも古代風俗誌ともいうべき内容を扱った饒舌な報告だ。ヴォルテールが歴史哲学と銘打ったのも面白い。ヴォルテールが甘えたシレーのシャトレ夫人を念頭において綴ったものだ。そのシャトレ夫人に向けて「私が歴史の真実を語りかけているのだ」という芝居をしてみせた。そんな風に松岡正剛氏が述べていた。 . . . 本文を読む

フリードリヒ2世とマリア・テレジア、その前後の時代も興味深い。

2019年03月13日 | 歴史メモ
 イギリスやフランスが絶対主義国家として中央集権化を図っていた時にドイツでは内乱が起きていた。それが三十年戦争(1618~48)だった。ことの発端は宗教対立、1555年、神聖ローマ皇帝カール5世はアウグスブルグの宗教和議を行い、ドイツの宗教内乱は収まったかに見えた。当初、アウグスブルグの宗教和議は、新教徒にも信仰の自由を認めるものに見えたが、根深い問題が潜んでいたのだ。一つは、個人に信仰の自由が与えられなかったこと。諸侯が選んだ教会をその土地に住む住民は信仰しなければならない、つまり、信仰の自由は、諸侯にとっての自由にしか過ぎなかった。もう一つは、カルヴァン派の信仰は認められていなかったことだ。従って、アウグスブルグの宗教和議は中途半端な妥協の産物でしかなかった。 . . . 本文を読む

(歴史メモ) 日本の鎖国当時に進出してきた外国、驚きの背景

2019年03月12日 | 歴史メモ
 ポーランドはドイツとロシアにはさまれた国、ここは、16世紀後半にヤゲロー朝が断絶してから、貴族の選挙によって王を決めていた。選挙王政といわれる。もともと貴族の力が強かった、王は強大な権力を持つことができなかった。だから、ヨーロッパの潮流になっていた絶対主義による中央集権的国家建設ができなかった。強力な中央政府を持たないポーランドは、隣国による分割で消滅してしまう、これがポーランド分割、ポーランド分割は三回あって、第一回が1772年。ロシア、プロイセン、オーストリアによって領土を奪われる。このときのロシア皇帝がエカチェリーナ2世、プロイセン王がフリードリヒ2世、オーストリア皇帝がマリア=テレジア。この段階では、ポーランドは領土が縮小したが、まだ存続していた。第二回が1793年。ロシア、プロイセンによって、さらに領土が奪われた。第三回が1795年。ロシア、プロイセン、オーストリア三国によって、残されていた領土も完全に分割され、地図上からポーランドが消滅する。この時にロシア軍に対してコシューシコという愛国者が抵抗運動をしている。この人はアメリカ独立戦争に義勇兵として参加していることでも有名で、現在ポーランドでは英雄になっている。 . . . 本文を読む

(歴史メモ) ロシア、ピョートル大帝とエカテリーナの時代が面白い。

2019年03月11日 | 歴史メモ
 ロシアの始まりを振り返ってみると、ロシア人はモンゴル帝国以来、キプチャク=ハン国の支配下にあった。キプチャク=ハン国が衰えると、1480年にモスクワ大公国が独立する。これが、現在のロシアの始まりになる。この時のモスクワ大公国の支配者がイヴァン3世(位1462~1505)。この人は、ビザンツ帝国、つまり東ローマ帝国の最後の皇帝の姪と結婚していた。その関係で1453年にビザンツ帝国が滅びると、イヴァン3世は「ツァーリ」という称号を使いはじめる。ツァーリというのはカエサルのロシア訛りになる。この称号を使うということは、ビザンツ帝国のあとを引き継ぐという象徴的な意味あいがある。ツァーリを日本語に訳すときは皇帝と訳す。モスクワ大公国をさらに発展させたのがイヴァン4世(位1533~84)。イヴァン雷帝ともいわれる。この人は、大貴族を抑圧し、中央集権化を進める。また、農奴制を強化。ツァーリを正式な称号として採用。激情型の性格でユニークなキャラクターだ。ロシアでは非常に有名な王で、小説や映画の題材に取り上げられる。有名なのが資料集に載っている絵のエピソードだが、ある時、イヴァン雷帝は長男の嫁を身なりがだらしないといって殴る。長男が怒る。長男と言い争いになった雷帝は、カッとなって持っていた杖で長男の頭を打つ。長男の頭がパックリ割れて倒れ、殺してしまった。我にかえった雷帝が息子を抱きかかえて泣き叫んでいる、そのシーンを描いたものだ。この短気で凶暴な性格で、自分に逆らう大貴族たちの領地を取り上げて中央集権化をすすめていった。 . . . 本文を読む

太平洋戦争、本当はそうだったのか。

2019年01月20日 | 歴史メモ
 藤井厳喜氏がその著「太平洋戦争の大嘘」の中で述べている。第二次大戦後、アメリカは世界の超大国となったため、大戦当時の大統領であったフランクリン・ルーズベルトを偉大な政治家とする見方が現在のアメリカでも一般的だが、ルーズベルトは大戦の終戦直前1945年4月に急死し、当時副大統領だったトルーマンが大統領を引き継ぎ、その後に、広島、長崎に原爆投下が決定されている。このルーズベルトの前の第31代フーバー大統領に注目したい。フーバーはルーズベルトより8歳年上で、終戦後も生き、1964年(昭和39年)90歳になるまで生きていた。フーバーの著作「フリーダム・ビトレイド」(Freedom Betrayed)、日本語に訳すと、「裏切られた自由」という本がある。この本は50年近くの間、出版されなかった。そこには、本当のことが書いてあり、知られるとまずいことが書いてあるので、すぐには出せなかったらしい。この本は2011年(平成23年)になってフーバー研究所から出版されている。この本はアメリカ人が一般に信じている第二次世界大戦論、いわゆるルーズベルト史観というものを真っ向から否定している。このルーズベルト史観は今もアメリカの主流といえるが、大戦は多くの戦死者を出した悲惨な戦争であり、アメリカは参戦する必要がなかったともフーバーは論じている。 . . . 本文を読む