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シュペングラーの「西洋の没落」をどう見るか。

2018年10月19日 | 歴史メモ
 シュペングラーは「西洋の没落」を世に問うたが著作の成果を歴史学界が受けいれたことはない。いまなお問題作にとどまっている。シュペングラーの方法と成果は10年を経てトインビーやソローキンやクローバーらに継承されたが、トインビー学派の総集編的な継承でもあったため、シュペングラーの独自性は見えてこない。これはゲバラの愛読書だったともいわれる。そのように松岡正剛氏は述べている。そして、第1巻「形態と現実」は世界史をアポロン的なるものとファウスト的なるもので捉え、その中にインド文化、ギリシア・ローマ文化、アラビア文化、ヨーロッパ文化などを並進させて比較し、第2巻の「世界史的展望」ではそれを、起源・土地・科学・国家・貨幣・機械というふうに発展史的にたどりつつ、ヨーロッパに比するアラビア文化の充実を説いており、ベストセラーでロングセラーでもあった。表題がセンセーショナルでもあり、ヨーロッパ中を疲弊させた第一次世界大戦が終了する1918年の刊行とともに爆発的に売れた。だが、全部が刊行されたのではなく、初期の草稿にあたるものの刊行(第1巻)であり、「西洋の没落」というフレーズはその後のヨーロッパの現代と未来を語るうえでの常套語にもなっている。

 問題作である理由については二つある。ひとつには、本書は「あらゆる文化は予定された歴史的運命によって発展し、変貌し、ついに円環をなす」と読めるため、本書は当時ちょうど台頭しつつあったナチズムを勇気づけ、鼓舞してしまった。ナチズムはゲルマン民族の現代的未来的神話の捏造によって第三帝国を予言的に実現しようとしたので、もってこいの歴史書だったといえる。ともかくナチからのシュペングラー賛歌がいっとき連打され、後にシュペングラーの歴史家としての立場が問われることになる。戦後には"思想戦犯"の扱いも受ける。シュペングラー自身はナチに入党せず、ナチからの誘いも断っている。日本ではGHQの出版統制リストに本書があり、戦後しばらく翻訳刊行が禁止されていた。もうひとつは、本書は「反歴史学」であり、歴史記述にあるまじき態度だという見方から問題作にもされた。

 この大作の第1行目に「歴史を前もって定めようという試みがなされたのは、本書がはじめてである」とある。あまりに大胆な文句であり、大それた自信でもある。こんな規定が歴史にあてはまるとは誰も思わない。経済学におけるコンドラチェフの周期や回帰予想のように、統計学による推定ならありうる。だがシュペングラーは「意味」における歴史実証を試みた。学界はそっぽを向き、一般読者は喜んだ。「反歴史学」めいているが、こんな歴史書はありえないという非難を浴びる。シュペングラーは第一次世界大戦を体験して、ここにヨーロッパが混乱し没落しつつあると実感、このことは当時のトーマス・マンをはじめ多くの当時の知識人の実感と一致する。ほとんどの知識人は世界大戦がヨーロッパで起こったことに半ば絶望的な思いをもっていた。

 なぜヨーロッパがこうなってしまったのかを解明したい。シュペングラーは今後のヨーロッパの運命を見定めるには、世界の歴史がどのように変遷してきたかという「歴史論理」を見いだし、その「歴史論理」によってヨーロッパの将来を予見する以外にないと考えた。シュペングラーは過去の歴史に「歴史論理」を見いだすことに熱中し、自分の試みが「歴史を前もって定める」とは言っていたが、そうはならなかった。シュペングラーは反歴史学に失敗し、歴史の見方を新たに樹立しようとしただけだった。

 オスヴァルト・シュペングラーはハルツ地方はブランケンブルク生まれのドイツの数学者であり、もともと歴史家ではない。ハレ大学、ミュンヘン大学、ベルリン大学で自然科学と数学を専攻、卒業論文はヘラクレイトスだった。その後、ミュンヘンに移っている時に第2次モロッコ事件が起こり、これで世界大戦の危惧を感ずる。そこで、予定していた「保守主義と自由主義」をめぐる政治理論の執筆計画を捨て、歴史の解明のための大著にとりかかる決意をする。第一次世界大戦が勃発したときは34歳になっていた。それ以前、シュペングラーは形態学の研究に入っていた。特にゲーテの形態学に没入した。そこで、「死んだ形態を認識する方法には数学は有効だが、生きた形態を理解するには類推こそが有効だ」という着想を持つ。これはゲーテに学んだことで、シュペングラーはしばらく生命的形態の分化や進化や遡及に関心を持ち、歴史に適用してみることを思いつく。「形態の原理と法則の原理とが世界を形成する根本因子なのではないか」と。ゲーテは死んだ自然が生きた自然と対立していることを、法則が形態に対立していることが間違いと考えていた植物形態学者でもあった。それならば「生きながら発展していく歴史というものを印象づけられないか」、そのようにシュペングラーが大胆な踏み出しを決意したのは、ゲーテとニーチェによるところが大きい。ニーチェの哲学には歴史を永遠回帰させる意志が満ちている。ニーチェはまた、生きた意志の発展を「アポロン的なるもの」と「ディオニソス的なるもの」の交代と連絡によって記述した。シュペングラーはそのディオニソス的なるものに、ゲーテから学んだ「ファウスト的なるもの」を代入することを思いついた。そこに始まったのが世界大戦だった。シュペングラーは動顛してしまう。これがヨーロッパの現実か。これがヨーロッパの歴史的帰結なのかと。

 開戦した第一次世界大戦のその後の展開や結末を予想できる者など、一人もいなかった。ましてドイツが敗北し、未曾有の経済負債を背負わされ、暴落するマルクの地獄に堕ちるとは想像などついてもいない。戦禍が広がるなか、シュペングラーはゲーテ=ニーチェ的意志による歴史適用を急ぐ。アポロン的魂とファウスト的魂は「生きている自然認識」のための武器から、ヨーロッパの混乱と没落を救うための「生きている歴史認識」を料理する武器に変更された。こうして著作されたのが『西洋の没落』だった。一言でいえば高度に成熟した歴史文化はどういう特徴をもっているのかという分析の書であった。それ以上の反歴史学といった方法は確立していない。シュペングラーは驚くべき集中力と比較類推の手法によって、まずギリシア・ローマ文化と西洋文化の比較をおこない、これをパターン(形態)に分け、それをエジプト文化・バビロニア文化・アラビア文化・インド文化・中国文化・メキシコ文化の6つの歴史領域にあてはめていった(後にロシア文化が加わった)。とくに本書においてアラビア文化に費やされた執筆量は多く、この一点だけでもまったく類書を寄せつけなかった。

 次にシュペングラーがとりくんだのは、6つの歴史領域にひそむパターン(形態)が、共通してどのように変遷していったかということだった。ここでは「春・夏秋・冬」ともいうべき3段階をへて、どんな文化形態にも成長期・後期・没落期がおこっていることを"立証"した。特に工夫を凝らしたのは、各段階の現象や表象は地域と年代をこえて「同時代的」だとみなしたこと。ニーチェの少なからぬ影響がある。この同時代的比較からすると、春ではトロイ戦争と十字軍が、ホメロスと『ニーベルンゲンの歌』が、建築ではドーリス様式とゴシック様式とが時代をまたいで同時代的だ。夏秋では、ディオニソスとルネサンス、ピタゴラスとピューリタニズム、ソフィストと啓蒙思想が並び、ついに冬になるとすべての文化は爛熟と退嬰に入って、これを回復するのは絶対に不可能であると論じた。

 それでヨーロッパの現状がどこにあるか、シュペングラーは「秋」に入っていると断じ、今後のヨーロッパ社会は国家や家族は分散して新たなつながりを求めざるをえなくなる、母性の力がそうとうに後退して性と資本とが近づいて欲望と商品が直結し、そこを縫うように泳ぐのはデラシネ的なコスモポリタンになるだろうと予想した。さらにシュペングラーは、この段階に入ったからには、もはや後戻りはありえず、それをせめて新たな円環にしなければならないが、それには宗教の腐敗と都市の爛熟がこれを阻むだろうから、結局はヨーロッパの文化はしだいに有機体のような完全開花をめざして没落していくだろうと結んだ。つまり、歴史は生命有機体に似て、もはや新たな創造力を失い、全身をフル稼働させながら老境に向かって衰退していくしかあるまいと見た。まことに風変わりな叙述だ。緒言や第1部の冒頭で、観相学の方法とゲーテとニーチェの方法を交ぜている、これが歴史書として綴られていることなどそっちのけで、むしろこれまでの歴史学が指摘してこなかったことばかりに目を奪われる。シュペングラーがフリードリッヒ・ウィルヘルム1世の軍事的官僚主義の道徳と規律にいちじるしい創造性を感じていて、そのぶんワイマールの議会制民主主義や20世紀の大衆民主主義を強く批判しているのも面白い。

1 コメント

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面白い歴史観ですね。 (H.K)
2018-10-19 11:18:37
どんな文化形態にも成長期・後期・没落期がおこっている。各段階の現象や表象は地域と年代をこえて「同時代的」とみなした。この同時代的比較からすると、春ではトロイ戦争と十字軍が、ホメロスと『ニーベルンゲンの歌』が、建築ではドーリス様式とゴシック様式とが時代をまたいで同時代的。夏秋では、ディオニソスとルネサンス、ピタゴラスとピューリタニズム、ソフィストと啓蒙思想が並び、ついに冬になるとすべての文化は爛熟と退嬰に入って、これを回復するのは絶対に不可能とみるなど、面白い。
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