グローバリズムとは地球を一つの共同体と見なして、世界の一体化(グローバリゼーション)を進める思想であり、言葉通り訳せば地球主義となるが、一般的には多国籍企業が国境を越えて地球規模で経済活動を展開する行為や、自由貿易および市場主義経済を全地球上に拡大させる思想になってきた。一方で、新自由主義は、ニューリベラリズムといわれ、かつての自由放任主義的な自由主義に対して、自由な個人や市場の実現のために政府による介入も必要と考え、社会保障なども主張していた。それが近年では、ネオリベラリズム(略称でネオリベ)といわれるようになり、市場経済に対して個人の自由や市場原理を重視し、政府による個人や市場への介入は最低限にすべきという考え方になってきた。1970年以降の日本では、新自由主義は、このネオリベラリズムの意味で使用されている。
世界では、実際にどのような新自由主義的政策が行われたのかを振り返ってみると、代表的な出来事は4つあった。
1、アメリカ・レーガン大統領のレーガノミクス
「レーガノミクス」は、1980年代にアメリカのロナルド・レーガン大統領が行った経済政策。当時、アメリカはスタグフレーションと失業に苦しんでいた。そこで減税を行って家計の活性化を狙い、規制緩和によって市場経済の回復を目指した。また、社会保障費を縮小し、軍事支出を拡大することで経済発展を図った。ちなみに、安倍首相が掲げている経済政策「アベノミクス」は、この「レーガノミクス」に由来している。「ミクス」は、「エコノミクス(経済学)」のこと。
2、イギリス・サッチャー首相のサッチャリズム
20世紀のイギリスは、「ゆりかごから墓場まで」がキャッチフレーズになるほど福祉で守られた国だったが、そのぶん国際経済に遅れを取り、経済停滞が深刻化したことを憂いて新自由主義に舵を切ったのがマーガレット・サッチャー首相。1980年代、サッチャー政権が確立するとサッチャリズムの名のもとに電気、ガス、水道、航空といった国営事業が次々と民営化され、また規制緩和も行われた。そして所得税減税を推し進め、それと引き換えに消費税を増税して国民に家計管理を強く意識させることを目指した。
3、中曽根康弘首相の三公社民営化
日本で新自由主義に基づく政策を行った人物として有名なのは、1982年から87年まで在任した中曽根康弘首相。日本専売公社、日本電信電話公社、日本国有鉄道の三公社を民営化し、半官半民だった日本航空の完全民営化を進めた。
4、小泉純一郎首相の聖域なき構造改革
2001年から2006年まで在任した小泉純一郎首相もまた、新自由主義的な政策を行った。「聖域なき構造改革」をスローガンに、郵政事業と道路四公団を民営化し、小さな政府の実現を目指した。また、労働者派遣法の規制緩和により、派遣社員として働く人の数が増加した。
新自由主義では、さまざまな国営事業を民営化することにより、自由競争が生まれる。政府による規制がなくなることにより、参入する企業が増え、経済が活性化される。かつて、公衆電気通信事業は電電公社(日本電信電話公社)が官営で運営されていたが、 1985年に通信の自由化が行われ、日本電信電話株式会社 (現・NTT)として民営化された。今でこそ電話事業の自由化は当たり前になっているが、第二電電(現・KDDI)や日本テレコム(現・ソフトバンク)が参入したことにより、通信会社を自由に選べるようになった。一社独占の状態では価格競争が起きず、選択もできないが、新自由主義から生まれた自由競争により、企業間の価格競争によって消費者が安い価格の商品を選択できるようになる。適度な価格競争が生まれると経済が活性化するので、新自由主義のメリットとしては理想的だが、価格の値下げというメリットがある反面、価格競争が激化するとデフレが起こるリスクもある。値下げは消費者にとってはありがたいが、行き過ぎた価格競争は業界にとってマイナスになる。
自由に競争できるからといっても、ビジネスは持続可能なシステムでないとやってゆけない。デフレは安い価格で商品を買えるという消費者にとっての利点がある一方で、企業の業績が悪化するため、社員の給料が下がることもある。そうなると、価格が下がっても最悪の場合は会社が倒産して失業者が増えてしまう。新自由主義に基づいた政策の中には、大企業に有利になるものが多い。資金力も人材力もある大企業が市場を独占する状態、それを新自由主義と言えるのかといった疑問も生ずる。中小企業にとってメリットのある政策は実現されにくい。大企業に有利になる政策が実施されれば、中小企業はますます経営が苦しくなる。資金力を持つ大企業はさらに金持ちになり、資金力の乏しい中小企業は重税によってますます経営が苦しくなる。つまり新自由主義によって生じる格差の拡大は大きな課題となっている。
さて、経済成長が続いていた時代にケインズ的政策や為替の自由化を進めてインフレが加速する一方で、1970年代のオイルショックにより経済が停滞すると、失業者が増えるようになった。また、物価が上がるのに賃金が増えないスタグフレーションと呼ばれる状態にもなった。その原因は、政府の規模が大きくなったことで非効率化が進み、多くの規制や税の負担が自由な経済活動を妨げていたことにあった。その頃、脚光を浴びていたのがアメリカのミルトン・フリードマンだった。もともとフリードマンは「リバタリアン」と呼ばれ、人間にとって『自由』がもっとも大切だから、他人に迷惑をかけなければ何をしても自由にすべきという考え方の持ち主で、それを経済政策にも適用しようと主張していた。
フリ-ドマンは、ケインズのような考え方の政策を、自由を阻害するものとして批判し、規制緩和、減税、関税の撤廃など14の提言を行った。特徴的なのは、生活保護や雇用保険といった社会保障をすべて「負の所得税」によって置き換えるという提言もしている。例えば、現在生活保護の受給者を行政が決めているが、それでは行政の負担が大きくなり、裁量が入ることにより不公平が生じている。そのため、生活保護を受けやすい自治体に申請が集中するという社会問題も起きている。そこで、仮に、一定以下の所得に対しては負の所得税をかける、つまり所得額に応じた割合の給付金を受け取れるようにしたらどうなるか、世帯ごとの特殊事情を考慮せずに所得額という一元的な観点から支給額を決めるのは乱暴かもしれないが、社会保障については一律に公平に行うことで生活の見通しを立てやすくなり、人々の生活に政府が干渉することもなくなり、社会保障にかかる経費そのものも圧縮できるといっている。
新自由主義に基づいた政策はどういった効果をもたらしたか。当時のイギリスでは、金融市場の規制緩和によって、金融の中心としてロンドンが再興を果たした。そして1970年代の「英国病」を脱し、英国の金融サービス収支はアメリカを大きく引き離し、世界一の黒字国となった。日本でも、民営化によってJRやNTTは黒字化され、法人税を支払うことで国家の財政にも貢献している。また規制緩和によって参入障壁が減り、自由競争が活発になった。航空業界ではLCCとよばれる格安航空会社が誕生し、航空運賃の値下げにより利用者は大きな恩恵を受けてもいる。コンビニでキャッシングができることも規制緩和のおかげともいえる。
しかし、新自由主義的政策を導入したことで、世界中で「矛盾」も生じてきている。一般的に言われるのは、格差の問題だ。自由競争が促進されることで「持つ者」と「持たざる者」の差が開いた。例えば、小泉・竹中政策の規制緩和によって派遣労働が自由化され、リーマンショック時には大量の派遣切りも起きた。正規労働者と非正規労働者の間の格差が固定化し拡大もしてきた。アメリカでも同様に貧富の格差が増大し、社会保障が充実していないため低所得者は満足な福祉を受けることができないという問題も起きた。当時の米国民主党オバマ政権は「オバマ・ケア」とよばれる医療保険システムを導入しようとするなど、ケインズ主義的政策路線に戻そうとしたが、国論が二分され、未だ解決していない。日本ではバブル崩壊後、まだ経済が未回復の時期に消費税増税と規制緩和を同時に行ったことで、不況が長期化した。規制緩和で自由競争を促しているにも関わらず、減税せず、かつ財政支出の削減(緊縮財政)を行ったことで、市場に出回る金が減り、デフレーションにつながったとも言われている。
新自由主義では金融の面でも裁量を排除しているため、定まっている金融政策に対して、中央銀行が恣意的に関与することは望ましくないとされてきた。そのため大規模な金融緩和といった大胆な政策を打てないまま不況が長引いてしまった。社会学者の宮台真司氏の著書「日本の難点」の中に新自由主義について述べた言葉がある。「新自由主義はもともと”「小さな政府」で行くぶん「大きな社会」で包摂せよ”という枠組だった。 ~(中略)~その意味で、元々の新自由主義と、いわゆるネオリベラリズムとは区別しなければなりません。ネオリベ=市場原理主義は、「小さな政府」&「小さな社会」の枠組です。「大きな社会」、すなわち、経済的につまずいたりちょっと法を犯した程度であれば路頭に迷わずに済む「社会的包摂」を伴った社会を、グローバル化の流れの中で、どうやって作り、維持するのか。~(中略)~新たな相互扶助の関係性(新しい市民社会性)を、構築し、維持するしかありません。大きな政府とは、「政府が経済活動に積極的に介入することで、社会資本を整備し、国民の生活を安定させ、所得格差を是正しようとする考え方」であると。一方、小さな政府とは「政府の経済政策・社会政策の規模を小さくし、市場への介入を最小限にし、市場原理に基づく自由な競争によって経済成長を促進させようとする考え方」であると。政府の財政に限りがある以上「大きな政府」ではやっていけないから、政府による支援のシステムを社会に戻す「大きな社会」で「小さな政府」を補完するのが本来の新自由主義的政策の役割だったという。つまり、新自由主義政策によって生じてしまう弱者に対して、手を差し伸べるべき社会が未成熟であったということが、矛盾を生じている原因だというのだ。宮台氏は、新自由主義的政策の失敗を「大きな社会」の構築が不完全であったことに帰着させている。リーマン・ショック以降、日本は数年間の不況に陥り、各種経済指標も低調だったのが、2014年頃から円安に伴って株価の上昇がみられた。消費者物価指数も上昇局面となり、デフレからインフレへとパラダイムが転換した。これには金融政策が密接に関わっていたともいわれる。
ところで、民主党政権時、日銀トップであった白川総裁は新自由主義のメッカであったシカゴ大学で学び、フリードマンの授業を受けるなど、リバタリアニズムの影響を強く受け、中央銀行は金融政策に対して積極的な介入をすべきでないという考え方の持ち主だった。金融システムの安定的な維持の功績はあるが、リーマン・ショックとそれに続く不況下でも市場に委ねていたため、適切な介入を怠ったという批判を受けている。それに対し、自民党政権となって黒田総裁がインフレ目標を定め、積極的に金融緩和を行うという、いままでの新自由主義的な考え方とは異なる政策を実践した。これによって市場にカネが出回り、株価や一部不動産価格の上昇がみられた。副次的な効果として有効求人倍率の上昇や税収の改善もみられ、経済は今、少しずつエンジンがかかり始めている。
一方で、物価の上昇の割に賃金の上昇が現れていないという批判もある。日本では、白川元総裁はフリードマン派で金融政策への介入をしなかったが、黒田総裁はリフレ派で金融政策への介入を積極的に行った。どちらも一長一短はある。新自由主義の理想は確かに人々の自由な生活を保障し、政府からの恣意的・裁量的な干渉を受けないとするものだ。市場における自由な競争は間違いなく、生活を便利にし、豊かにしてきた。しかし、新自由主義的思想はその理想が必ずしも達成されず、市場原理に偏った形で導入された上、そこで現れる矛盾を解決する手段として、市場は弱者にとって厳しいものともなっている。自由を保障することは大切だが、自由競争についていけない人も存在し、その人たちに対するセーフティーネットの存在も競争の前提となるべきだ。大きな政府、小さな政府といった枠組みだけでは論じ得ない「第三の道」があるということも視野に入れて考えるべきであろう。
新自由主義は開放経済、つまり、モノや資本、人の移動の自由化、特に資本の移動の自由を求めている。資本の国際的移動の自由が高度になってくると、各国政府は国際的資本を自国に呼び込むために、また自国の資本を国外に流失させないために改革を行うようになる。「あの国はビジネスしやすい環境が整っている」「あの国に資産を移したほうが得だ」と評価されるような政策、例えば「法人税の引き下げ」「規制緩和や民営化」「労働者の権利の削減」「福祉や公共事業の削減」などが各国で競って行われるようになる。政府は国際競争力をつけるためという名目で、国民の声よりも、国際的な投資家や企業家の声を重視した政策を進めるようになる。これを「黄金の拘束服」を着込むと表現したのが、アメリカのトーマス・フリードマンだ。自国の状況に合わせた政策を行う自由度を失って拘束されてしまう。経済のグローバル化が進んだ現在、経済競争に勝っていくには、この拘束服を着込むしかないという。「黄金の拘束服」を着込んだ政府は国民一般の生活基盤が不安定化すると知りながら企業家や投資家に有利な政策を実現させていく。賃金の上昇は抑制され、労働条件は改悪される。日本では正規雇用が減り、非正規雇用が増えた。法人税は大幅に下げようとする一方で、税収不足をその他の税、消費税などの引き上げで補わざるを得ない。世界を股にかける企業や投資家は、より儲けやすくなったともいえる。
新自由主義を世界に発信してきたアメリカでさえ、国際的企業が巨万の富を築いたのに対し、一般庶民の暮らしは深刻さを増し、大変な格差社会が到来している。日本でも、1980年代後半から新自由主義的な政策がとられるようになり、バブル崩壊後の1990年代後半からは構造改革、グローバル・スタンダードの導入ということで新自由主義的な政策が本格化した。例えば派遣労働の解禁だが、それまで通訳などの専門的な職業のみに限られていたのが、1996年以降、派遣業種の範囲が拡大されてゆき、日本の実質賃金は著しく低下していった。また、グローバル化の進展で、安い労働力を求めて生産工場を海外に移す日本企業が増えた。その分、国内の雇用は失われていった。海外に工場を移しても、多くの製造業は日本の国内市場向けの製品を生産し、海外から逆輸入されてくる安い製品に対抗するため、国内の人件費を切り詰めるようになり、国内では賃金や所得の低下が生じ、国内需要の低迷にも連動している。また、皮肉なことに、新自由主義的な政策のもとでは、規制緩和や民営化などで企業の供給力が増大し、需要を大きく上回る、その結果、日本経済はデフレ不況に陥ってきたというのも事実だ。
世界では、実際にどのような新自由主義的政策が行われたのかを振り返ってみると、代表的な出来事は4つあった。
1、アメリカ・レーガン大統領のレーガノミクス
「レーガノミクス」は、1980年代にアメリカのロナルド・レーガン大統領が行った経済政策。当時、アメリカはスタグフレーションと失業に苦しんでいた。そこで減税を行って家計の活性化を狙い、規制緩和によって市場経済の回復を目指した。また、社会保障費を縮小し、軍事支出を拡大することで経済発展を図った。ちなみに、安倍首相が掲げている経済政策「アベノミクス」は、この「レーガノミクス」に由来している。「ミクス」は、「エコノミクス(経済学)」のこと。
2、イギリス・サッチャー首相のサッチャリズム
20世紀のイギリスは、「ゆりかごから墓場まで」がキャッチフレーズになるほど福祉で守られた国だったが、そのぶん国際経済に遅れを取り、経済停滞が深刻化したことを憂いて新自由主義に舵を切ったのがマーガレット・サッチャー首相。1980年代、サッチャー政権が確立するとサッチャリズムの名のもとに電気、ガス、水道、航空といった国営事業が次々と民営化され、また規制緩和も行われた。そして所得税減税を推し進め、それと引き換えに消費税を増税して国民に家計管理を強く意識させることを目指した。
3、中曽根康弘首相の三公社民営化
日本で新自由主義に基づく政策を行った人物として有名なのは、1982年から87年まで在任した中曽根康弘首相。日本専売公社、日本電信電話公社、日本国有鉄道の三公社を民営化し、半官半民だった日本航空の完全民営化を進めた。
4、小泉純一郎首相の聖域なき構造改革
2001年から2006年まで在任した小泉純一郎首相もまた、新自由主義的な政策を行った。「聖域なき構造改革」をスローガンに、郵政事業と道路四公団を民営化し、小さな政府の実現を目指した。また、労働者派遣法の規制緩和により、派遣社員として働く人の数が増加した。
新自由主義では、さまざまな国営事業を民営化することにより、自由競争が生まれる。政府による規制がなくなることにより、参入する企業が増え、経済が活性化される。かつて、公衆電気通信事業は電電公社(日本電信電話公社)が官営で運営されていたが、 1985年に通信の自由化が行われ、日本電信電話株式会社 (現・NTT)として民営化された。今でこそ電話事業の自由化は当たり前になっているが、第二電電(現・KDDI)や日本テレコム(現・ソフトバンク)が参入したことにより、通信会社を自由に選べるようになった。一社独占の状態では価格競争が起きず、選択もできないが、新自由主義から生まれた自由競争により、企業間の価格競争によって消費者が安い価格の商品を選択できるようになる。適度な価格競争が生まれると経済が活性化するので、新自由主義のメリットとしては理想的だが、価格の値下げというメリットがある反面、価格競争が激化するとデフレが起こるリスクもある。値下げは消費者にとってはありがたいが、行き過ぎた価格競争は業界にとってマイナスになる。
自由に競争できるからといっても、ビジネスは持続可能なシステムでないとやってゆけない。デフレは安い価格で商品を買えるという消費者にとっての利点がある一方で、企業の業績が悪化するため、社員の給料が下がることもある。そうなると、価格が下がっても最悪の場合は会社が倒産して失業者が増えてしまう。新自由主義に基づいた政策の中には、大企業に有利になるものが多い。資金力も人材力もある大企業が市場を独占する状態、それを新自由主義と言えるのかといった疑問も生ずる。中小企業にとってメリットのある政策は実現されにくい。大企業に有利になる政策が実施されれば、中小企業はますます経営が苦しくなる。資金力を持つ大企業はさらに金持ちになり、資金力の乏しい中小企業は重税によってますます経営が苦しくなる。つまり新自由主義によって生じる格差の拡大は大きな課題となっている。
さて、経済成長が続いていた時代にケインズ的政策や為替の自由化を進めてインフレが加速する一方で、1970年代のオイルショックにより経済が停滞すると、失業者が増えるようになった。また、物価が上がるのに賃金が増えないスタグフレーションと呼ばれる状態にもなった。その原因は、政府の規模が大きくなったことで非効率化が進み、多くの規制や税の負担が自由な経済活動を妨げていたことにあった。その頃、脚光を浴びていたのがアメリカのミルトン・フリードマンだった。もともとフリードマンは「リバタリアン」と呼ばれ、人間にとって『自由』がもっとも大切だから、他人に迷惑をかけなければ何をしても自由にすべきという考え方の持ち主で、それを経済政策にも適用しようと主張していた。
フリ-ドマンは、ケインズのような考え方の政策を、自由を阻害するものとして批判し、規制緩和、減税、関税の撤廃など14の提言を行った。特徴的なのは、生活保護や雇用保険といった社会保障をすべて「負の所得税」によって置き換えるという提言もしている。例えば、現在生活保護の受給者を行政が決めているが、それでは行政の負担が大きくなり、裁量が入ることにより不公平が生じている。そのため、生活保護を受けやすい自治体に申請が集中するという社会問題も起きている。そこで、仮に、一定以下の所得に対しては負の所得税をかける、つまり所得額に応じた割合の給付金を受け取れるようにしたらどうなるか、世帯ごとの特殊事情を考慮せずに所得額という一元的な観点から支給額を決めるのは乱暴かもしれないが、社会保障については一律に公平に行うことで生活の見通しを立てやすくなり、人々の生活に政府が干渉することもなくなり、社会保障にかかる経費そのものも圧縮できるといっている。
新自由主義に基づいた政策はどういった効果をもたらしたか。当時のイギリスでは、金融市場の規制緩和によって、金融の中心としてロンドンが再興を果たした。そして1970年代の「英国病」を脱し、英国の金融サービス収支はアメリカを大きく引き離し、世界一の黒字国となった。日本でも、民営化によってJRやNTTは黒字化され、法人税を支払うことで国家の財政にも貢献している。また規制緩和によって参入障壁が減り、自由競争が活発になった。航空業界ではLCCとよばれる格安航空会社が誕生し、航空運賃の値下げにより利用者は大きな恩恵を受けてもいる。コンビニでキャッシングができることも規制緩和のおかげともいえる。
しかし、新自由主義的政策を導入したことで、世界中で「矛盾」も生じてきている。一般的に言われるのは、格差の問題だ。自由競争が促進されることで「持つ者」と「持たざる者」の差が開いた。例えば、小泉・竹中政策の規制緩和によって派遣労働が自由化され、リーマンショック時には大量の派遣切りも起きた。正規労働者と非正規労働者の間の格差が固定化し拡大もしてきた。アメリカでも同様に貧富の格差が増大し、社会保障が充実していないため低所得者は満足な福祉を受けることができないという問題も起きた。当時の米国民主党オバマ政権は「オバマ・ケア」とよばれる医療保険システムを導入しようとするなど、ケインズ主義的政策路線に戻そうとしたが、国論が二分され、未だ解決していない。日本ではバブル崩壊後、まだ経済が未回復の時期に消費税増税と規制緩和を同時に行ったことで、不況が長期化した。規制緩和で自由競争を促しているにも関わらず、減税せず、かつ財政支出の削減(緊縮財政)を行ったことで、市場に出回る金が減り、デフレーションにつながったとも言われている。
新自由主義では金融の面でも裁量を排除しているため、定まっている金融政策に対して、中央銀行が恣意的に関与することは望ましくないとされてきた。そのため大規模な金融緩和といった大胆な政策を打てないまま不況が長引いてしまった。社会学者の宮台真司氏の著書「日本の難点」の中に新自由主義について述べた言葉がある。「新自由主義はもともと”「小さな政府」で行くぶん「大きな社会」で包摂せよ”という枠組だった。 ~(中略)~その意味で、元々の新自由主義と、いわゆるネオリベラリズムとは区別しなければなりません。ネオリベ=市場原理主義は、「小さな政府」&「小さな社会」の枠組です。「大きな社会」、すなわち、経済的につまずいたりちょっと法を犯した程度であれば路頭に迷わずに済む「社会的包摂」を伴った社会を、グローバル化の流れの中で、どうやって作り、維持するのか。~(中略)~新たな相互扶助の関係性(新しい市民社会性)を、構築し、維持するしかありません。大きな政府とは、「政府が経済活動に積極的に介入することで、社会資本を整備し、国民の生活を安定させ、所得格差を是正しようとする考え方」であると。一方、小さな政府とは「政府の経済政策・社会政策の規模を小さくし、市場への介入を最小限にし、市場原理に基づく自由な競争によって経済成長を促進させようとする考え方」であると。政府の財政に限りがある以上「大きな政府」ではやっていけないから、政府による支援のシステムを社会に戻す「大きな社会」で「小さな政府」を補完するのが本来の新自由主義的政策の役割だったという。つまり、新自由主義政策によって生じてしまう弱者に対して、手を差し伸べるべき社会が未成熟であったということが、矛盾を生じている原因だというのだ。宮台氏は、新自由主義的政策の失敗を「大きな社会」の構築が不完全であったことに帰着させている。リーマン・ショック以降、日本は数年間の不況に陥り、各種経済指標も低調だったのが、2014年頃から円安に伴って株価の上昇がみられた。消費者物価指数も上昇局面となり、デフレからインフレへとパラダイムが転換した。これには金融政策が密接に関わっていたともいわれる。
ところで、民主党政権時、日銀トップであった白川総裁は新自由主義のメッカであったシカゴ大学で学び、フリードマンの授業を受けるなど、リバタリアニズムの影響を強く受け、中央銀行は金融政策に対して積極的な介入をすべきでないという考え方の持ち主だった。金融システムの安定的な維持の功績はあるが、リーマン・ショックとそれに続く不況下でも市場に委ねていたため、適切な介入を怠ったという批判を受けている。それに対し、自民党政権となって黒田総裁がインフレ目標を定め、積極的に金融緩和を行うという、いままでの新自由主義的な考え方とは異なる政策を実践した。これによって市場にカネが出回り、株価や一部不動産価格の上昇がみられた。副次的な効果として有効求人倍率の上昇や税収の改善もみられ、経済は今、少しずつエンジンがかかり始めている。
一方で、物価の上昇の割に賃金の上昇が現れていないという批判もある。日本では、白川元総裁はフリードマン派で金融政策への介入をしなかったが、黒田総裁はリフレ派で金融政策への介入を積極的に行った。どちらも一長一短はある。新自由主義の理想は確かに人々の自由な生活を保障し、政府からの恣意的・裁量的な干渉を受けないとするものだ。市場における自由な競争は間違いなく、生活を便利にし、豊かにしてきた。しかし、新自由主義的思想はその理想が必ずしも達成されず、市場原理に偏った形で導入された上、そこで現れる矛盾を解決する手段として、市場は弱者にとって厳しいものともなっている。自由を保障することは大切だが、自由競争についていけない人も存在し、その人たちに対するセーフティーネットの存在も競争の前提となるべきだ。大きな政府、小さな政府といった枠組みだけでは論じ得ない「第三の道」があるということも視野に入れて考えるべきであろう。
新自由主義は開放経済、つまり、モノや資本、人の移動の自由化、特に資本の移動の自由を求めている。資本の国際的移動の自由が高度になってくると、各国政府は国際的資本を自国に呼び込むために、また自国の資本を国外に流失させないために改革を行うようになる。「あの国はビジネスしやすい環境が整っている」「あの国に資産を移したほうが得だ」と評価されるような政策、例えば「法人税の引き下げ」「規制緩和や民営化」「労働者の権利の削減」「福祉や公共事業の削減」などが各国で競って行われるようになる。政府は国際競争力をつけるためという名目で、国民の声よりも、国際的な投資家や企業家の声を重視した政策を進めるようになる。これを「黄金の拘束服」を着込むと表現したのが、アメリカのトーマス・フリードマンだ。自国の状況に合わせた政策を行う自由度を失って拘束されてしまう。経済のグローバル化が進んだ現在、経済競争に勝っていくには、この拘束服を着込むしかないという。「黄金の拘束服」を着込んだ政府は国民一般の生活基盤が不安定化すると知りながら企業家や投資家に有利な政策を実現させていく。賃金の上昇は抑制され、労働条件は改悪される。日本では正規雇用が減り、非正規雇用が増えた。法人税は大幅に下げようとする一方で、税収不足をその他の税、消費税などの引き上げで補わざるを得ない。世界を股にかける企業や投資家は、より儲けやすくなったともいえる。
新自由主義を世界に発信してきたアメリカでさえ、国際的企業が巨万の富を築いたのに対し、一般庶民の暮らしは深刻さを増し、大変な格差社会が到来している。日本でも、1980年代後半から新自由主義的な政策がとられるようになり、バブル崩壊後の1990年代後半からは構造改革、グローバル・スタンダードの導入ということで新自由主義的な政策が本格化した。例えば派遣労働の解禁だが、それまで通訳などの専門的な職業のみに限られていたのが、1996年以降、派遣業種の範囲が拡大されてゆき、日本の実質賃金は著しく低下していった。また、グローバル化の進展で、安い労働力を求めて生産工場を海外に移す日本企業が増えた。その分、国内の雇用は失われていった。海外に工場を移しても、多くの製造業は日本の国内市場向けの製品を生産し、海外から逆輸入されてくる安い製品に対抗するため、国内の人件費を切り詰めるようになり、国内では賃金や所得の低下が生じ、国内需要の低迷にも連動している。また、皮肉なことに、新自由主義的な政策のもとでは、規制緩和や民営化などで企業の供給力が増大し、需要を大きく上回る、その結果、日本経済はデフレ不況に陥ってきたというのも事実だ。