murota 雑記ブログ

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感染症の流行で思うこと。

2021年09月21日 | 通常メモ
 人類と感染症の歴史に転機が訪れたのは、18世紀以降のことだ。すなわち、1798年にイギリスの医師エドワード・ジェンナーが初めて天然痘のワクチンを開発し、人間の体内に前もって抗体ができれば感染しないということが分かってきた。そして19世紀になって細菌学者であるフランスのルイ・パスツールとドイツのロベルト・コッホによって、病原体の存在も明らかになり、この二人によって近代細菌学が確立されたといわれている。
 これまでさまざまな感染症との戦いがあったが、顕著なのは次の二つの事例。一つは、中世ヨーロッパで大流行したペスト(黒死病)であり、当時のヨーロッパの2000万から3000万人もの人々が亡くなり、さらに、全世界にも広がって7500万人が亡くなったといわれている。二つ目は、天然痘、これは10年に一度くらいの頻度で流行を繰り返してきていたが、その死亡率は20%から50%といわれる。天然痘が日本で最初に大流行したのは奈良時代、735年に中国大陸との交流によって、大宰府(現在の福岡県)で広がり、2年後の737年に平城京(現在の奈良県)にも拡大し、大量の死者が出た。一方で、天然痘は人類が初めて根絶に成功した感染症でもあり、1980年にWHOは天然痘の根絶を世界に宣言している。

 さて、2000年以降に発生した感染症の中では、感染拡大を防ぐことができた好例もある。2003年に発生した感染症SARSの対策だ。当時SARSは世界に広がり、約8000人の感染者を出し、亡くなったのは800人。発生場所は中国・広東省の広州市、コウモリが持つウイルスがハクビシンを経由して人間に感染したともいわれる。その時、WHOが感染拡大の地域への渡航を自粛するように勧告を出し、封じ込めの措置をとったことが効果的だったといわれる。
 一方で最悪の事例は、1918年から1919年にかけて大流行したスペイン風邪であり、死者は世界中で約5000万人、当時日本人にも34万人の死者が出ている。当時の第一次世界大戦で多くの軍人が移動し、軍人による感染であった。SARSの時とは異なり、発生地とされるアメリカからヨーロッパに軍隊が派遣されて戦地内に感染が拡大したようだ。人類の長い歴史の時間軸から見れば、現在の新型コロナウイルスも歴史の一コマになるのかもしれない。

 コロナウイルスには7つの種類があるという。最初の4つはいわゆる風邪を引きおこすものであり、5つ目がSARSで致死率10%、6つ目がMERSで致死率35%、7つ目が今回の新型コロナウイルスだという。コロナとは、ラテン語で王冠という意味であり、電子顕微鏡で見ると王冠のような形をしている。感染源はコウモリともいわれている。新興の感染症はこれからも発生し続けるようだ。SARS(重症急性呼吸器症候群)が2002年末から中国広東省で、MERS(中東呼吸器症候群)が2012年にアラビア半島で発生したのだが、いずれもコロナウイルスによるもので、現在流行の新型コロナウイルスは、その3種類目になるという。今回の新型ウイルスを、ウイルス学者がCOVID-19と命名しているのは、コロナウイルスによる新しい病気の流行は今後もあると見ているということのようだ。

 2003年にSARSが流行した際、人間の体内の免疫系の暴走によって重症化したと考えられる症例も少なくなかったという。いわゆる「サイトカイン・スト-ム」と呼ばれる症状である。サイトカインは、感染局所に免疫細胞を招集したり、活性化させたりするなど、さまざまなメッセージを伝達する物質だという。それが過剰に産生されると自分自身の体内に向けられ、臓器を破壊してしまうという。つまり、免疫系は諸刃の剣ともなるようだ。つまり、ウイルスそのものの毒性ではなく、これを排除する体内の免疫系が重症化の要因になるようだ。これからは、免疫反応をどうコントロールできるかが大きな課題になるという。大局的に見ると、調和が大事になってくるようだ。なぜなら、我々の体は多くの生命の調和的統合で成り立っているからだ。

 一方で、自然界の森林伐採が急速に進む地域では、通常は野生生物の間でのみ発生する感染症が、人間にまで広がる事例がみられるという。自然破壊が進めば新たな感染症を引き起こす状況をつくることになると警鐘を鳴らす専門家もいる。また、人間の体内においても、人の腸内には100兆個ともいわれる細菌が共生していて、その多くの細菌が、腸内に入ってきた食べ物を分解して、さまざまな物質を合成してくれている。そのおかげで我々は生命活動を維持している。人の体内の免疫系を維持するための免疫細胞、その育成のためにも腸内細菌が必要だという。つまり、賢明な食生活で腸内細菌のバランスを整え、免疫系の調和をとることが必要だという。調和は体内だけでなく、人間と環境においても求められる。今後、調和は人類的課題のキーワードになってくる。これからは、人間と環境の共生の哲学が求められてくるという。すなわち、人類は自然と対決するのではなく、自然と共に生きる道を模索してゆくことが求められている。

 話は変わるが、釈尊は弟子に対して、人ではなく、法を拠りどころとして生きよと教えたという。変化する人の心に依るのではなく、宇宙・生命の法理を拠りどころとしてゆくことを説いた。また、20世紀最大の歴史家といわれた英国のアーノルド・トインビーは、自分自身はキリスト教の国に生まれたが、キリスト教が説くところの人格神を信じない、むしろ、東洋の仏教の説く、宇宙と生命を貫く法の存在を信ずるといっている。つまり、宗教というのは、人間が勝手に創作したものではなく、もともと宇宙・生命とともに永遠に存在する法理ともいえる、それを覚知した人が仏(覚者)といわれる。つまり釈尊は覚知した人ということになる。もともと仏教の始まりには仏像や絵像などなかった。それは後世の人が創作した芸術作品であり、信仰の対象などではなかったようだ。釈尊は人間生命と自然界を切り離して説いてはいない。すなわち、法華経は宇宙と生命を一体とする永遠の法理を説いているといわれる。

 また、仏法で説かれている中道とは、中間とか真ん中、英語のニュートラルといった意味ではない。中道とは、「道に中(あた)る」と読み、自分の判断や行動が「人間としての道」に反していないかどうかを問い直しながら、自分の生きる証(あか)しを社会に刻(きざ)み続ける生き方を意味するようだ。単に極端な考えや行動を排することでもない。また、釈尊が晩年の説法で、ダルマ(法)を州(す)とせよと強調しているのも、一人一人が自分自身を拠り所とせよと説いているのも、この中道の生き方を示している。自分自身を拠り所にするといっても、自分本位の欲望のままに振る舞うということでもない。仏教学者の中村元博士は、その真意を、「誰の前に出しても恥ずかしくない本当の自己というものをたよること」と述べている。原始仏教で釈尊が人間の生きる道の根本としていた「ダルマ」、それは、サンスクリット語で「たもつもの」を意味する「ドフリ」からつくられた言葉であり、漢訳仏典では「法」や「道」と訳されてきた。一人一人の人間には、自分自身を「たもつもの」がなければならず、「人間として守らねばならない道筋がある、それをダルマと呼んだ」と中村元博士も述べている。

 そのダルマに則(のっと)って生き抜くことを促した釈尊は晩年の説法で、ダルマを「州(す)」にたとえたようだ。つまり、洪水が発生し、あたり一面が水没しそうな時の、人々の命を守り、安心の拠り所となる「州」にたとえているようだ。そういう意味では、政治と経済が本来になうべき役割も、弱い立場にある人々のために「安心の拠り所」をつくり、生きる希望を取り戻すための足場をつくることにある。中道思想の本義もそのあたりにあるようだ。


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