未熟者武道記

空手徒然。
二つの戈を止める武を核とし、諸諸と調和して溶け込んで。(いけたらいいな)

六年生

2021-02-02 00:23:00 | 審査会
日曜日に今年度の少年部審査が全て終了致しました。昇段に臨む人数も多めでしたが6年生は最後の審査にどう向き合ったでしょう?軽く考える人もいれば真剣に向かって来た子もいたと思います。心は動きに顕れます。


うちの子も6年生なのでやはり色々考えますね。モンキーパンチ氏の絵の如く細い息子も空手をやってたらもう少しガッチリしてたのでしょうか?


結果はどうあれ続けてきた事は必ず力になっているでしょう。頑張ったことがあるという経験は本当に大事です。そこに成功体験が加わると更に自信も付きます。


才能は人の数だけあれどどの道でも続けている者が一番強い。いい事も悪い事も積み上がっていきます。続ける強さを知っている、という経験値を持って中学生活でも結果を急がずコツコツ文武ともに積み上げていってください。



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目的

2020-08-02 19:30:00 | 審査会
神戸地区の審査会でした。
やはり「目的」というものが見えない印象を受けます。


なんで審査受けたの?と。
実は私、今回六甲道教室の子には審査の告知すらしておりません。コロナ禍を差し引いても受けるに値する子が一人も居ないので。


私が空手を習い始めた頃は喧嘩が日常でチープであってもそれに屈しない為という目的がありましたが、喧嘩のひとつもしないor出来ない今は空手の目的が見えにくいのかも知れません。喧嘩はおろか親にすら顔を殴られなくなった昨今、顔を守れなんて言ったところで実感が湧かないから危機感なんて持てないでしょうし、そういうところを飛び越えていきなり優しくなる為なんて言われても尚更訳がわからんのかもしれません。


しかし礼節がなってないのは上記の事に関係ありませんからね。道場の中だけで通用する帯の色であってほしくありません。正味な話、空手を習っていると聞いた人が「嘘やろ?」と言ってしまう子が殆どじゃないかなあ。願わくば「やっぱり!」と膝を叩くほどのスタイルを中でも外でも示してほしいです。


強くなるのは簡単でも強く在るのは難しい。強い人は優しい、と言われるのはどうしてなのか。優しいふりなら悪人にでもできます。帯を上げるついでに考えてほしい部分です。




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ついに審査会

2020-07-17 23:28:00 | 審査会
コロナ禍により延びに延びた審査会ですが漸く執り行うことができました。

練習量が満足に取れない中、特に上のクラスはよく出来ていたと思います。

中でも昇段に臨んだ2名、昊徳と凌希。互いに兄や姉も習っていた関係で赤子の時から知ってますしうちの子とも同級生。小さい頃道場で戯れていたこともありました(笑)そんな個人的な感情を入れてはいけないのかもしれませんが、2人の創作形を仕上げてきた姿を見た時は危うく涙が出そうになりました。さすが昇段に臨む茶帯だけある技のキレだったのでは。


ただ、総評として思うのは審査会や試合のために稽古があるのではないよということ。今回の出来を毎日出せる稽古をしてこそ。ここ数年ただ言われたことを淡々と無難にこなすだけの子が増えてきたので、審査会の頑張りを見ると辛くもあり(苦笑)

私個人の信条は「それ自身でなくなる為に」です。それを子供らに伝えるのは難しいのですが、答えのわかってるものの為に簡素な事を雑に繰り返し本番だけ本気でやることに意味を求めて欲しくないかなと思っております。

ここ5年程の間で熱の入りにくい子が急激に増えてきましたが、与えられたことを無難に作業としてするのではなく考えることをやめず取り組んでほしいのです。それはただ空手というものにぶら下がってるだけの状態。

何級とったとか何位になったとか。
それは一体何と比べてどないやねん、というあやふやな、名詞としてだけ機能するものに沿っていくのではなく自分の中に何が残るか。特に東支部の子は今回注意点のある子が多数でましたしそれを強く思うのです。

松井先生のよく言う「帯の価値」。
それがどういう事なのか考えてみましょう。
飾りではなく自負や覚悟の色であってほしいです。



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purpose

2019-11-10 23:32:25 | 審査会
本日少年部審査会を行いました。
正直なところを言うと個の弱さが更に進んできた事を感じさせられる出来だったかなと思いました。


当然個として立派な子も沢山居ます。

恥ずかしいとかそう言う自分の我儘を前面に出している内は武道の技を体得出来ることはない、と個人的に信じてやっています。鏡に自分の姿しか映っていない。

私の少年時代は審査日程など決まっておりませんでした。加えて先生からは「お前らみたいなハナタレに黒帯は巻かさん」とも常々言われておりました。実際地区大会や県大会でいつも優勝悪くて準優勝するような先輩はずっと茶帯でした。だから頑張る意味があったような気もしています。
比べても仕方ありませんが、もし今の子が同じ状況なら空手を続けるのかな?と考える時があります。何が目的なのだろうと。

将来何処かで「空手やってた」と言った時「嘘つけ」と返されないような稽古を日々積んでもらえたらなと思います。そういう時は「ああ、やっぱり!」と言ってもらいたいですもんね。



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神戸地区審査会

2019-06-02 23:22:59 | 審査会
前回は胃腸風邪につき欠席したので一年振りの神戸地区審査会。挨拶等に懸念があったのですがやはり期待通りの覇気の無さ。確かに組手は強いんですけどね。それだけです。技術があるかと言われるとそうでもなく。


久しぶりに審査員として参加してくださった方々も憤っておられたので彼らの人間性、人間的魅力というのはそういうレベルにあると言っても差し支えないかもしれません。特に上級帯。松井先生が叱責した意味を理解出来なければ終わりです。あのタイミングで先生に火を付けたのは確信しておりましたがもし松井先生が何も言わなければ私が言っておりました。そしてあの時、同時に西本先生も言葉を発しておりました。掻き消されてしまいましたが(笑)


弱者は群れます。
基本稽古で全員揃うと声を出せても形や組手では声が出ないというのは弱者である証拠です。自分に自信がない。


自分の事も相手の事も尊敬出来ないのなら闘いの場に上がるな、ということです。手伝いに来てくれた子も同様。頑張って欲しいから来たのでしょう?それとも自分の強さを誇示しに来ただけ?気持ちの有る無しで周りの印象はそれだけ変わります。


気を合わせるから気合。
自分の心と体を合わせます。先ず自分をコントロール出来ないと対峙する相手をどうこうするなど出来やしません。肉体としての強弱、勝ち負けはあれどそこに尊敬があるから繋がりが持てるのです。見てる感じでは殆どの子が心と体がバラバラなのです。


思春期だから?反抗期だから?生まれつきシャイ?
そんなもん知った事ではありません。そうであったとしてもそこをコントロールするのが強さでしょう。その意味で強い子は誰一人居なかったのかもしれません。


写真はありません。撮る気を一発目からゴリゴリに削がれたので。それでも前回受けた時に叱られてから変わった子も居ました。全員が変わるなんて事はまあ無いでしょうが一人二人理解してくれた子が種を蒔いてくれる事を期待しております。


葉をつけても花が咲かない種子もあり、花が咲いても実をつけない種子もあり。叱られ褒められ、そして考えて何者かになれるのでしょう。そのチャンスを設けてくれている御両親に感謝して稽古に勉強に励んで下さい。


果たして咲くや咲かざるや。実るや実らざるや。




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