未熟者武道記

空手徒然。
二つの戈を止める武を核とし、諸諸と調和して溶け込んで。(いけたらいいな)

極意

2019-04-12 21:59:28 | 名言考察
「ジャズの極意は、バレエと同じ。難しいステップを踏むことじゃなく、簡単なステップを、いかに優雅に踏んでみせるかにある。」(レスター"プレズ"ヤング)

空手もややこしい、長い形を覚えるだけでは意味がありません。この言葉を体現しているのが知花朝信先生のナイハンチですね。https://youtu.be/H51f6-qwly8初めて見た時は色々価値観がひっくり返るような、今までの全てが無駄だったのかと思わされるような衝撃を受けました。

派手に飾る必要はなし。使えるものはいつだってシンプル。だからこそ技はいつも真実且つ本物でなければなりません。


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超訳 般若心経

2017-05-07 23:47:43 | 名言考察
人よ、何を見ているのか。
お前の眼には、
いったい何が映っているのか。
眼の玉が見たものに脅え、驚き、戦き、
心を騒がせているのか。
それほどのものが見えているとでもいうのか。

人よ、かつてのおまえは今ほど臆病ではなかった。
ふくよかで暖かい胸に抱かれていたとき、
乳房のたおやかな峰の向こうに見えていた世界は
美しく輝いていたではないか。
おまえは少しの怖れもなく、
世界に向かってほほえんでいたではないか。


あの美しき日々は
いつ遠ざかってしまったのか。
唇に与えられたものすべてが美味だった日々は
どこへ消えてしまったのか。
かぐわしき花々のゆらめき、
甘い息の漂い、
清らかな風の流れはいつ色褪せたのか。


小さな手が
まだ何も掴めなかったあの頃、
おまえの眠りは死だった。
そして朝に新しく生まれ、
人生の一日がゆったりと流れ、
また夜が来て、
おまえは死んだように眠っていた。
再び朝に生まれ、
あらゆる経験におまえの胸は歓喜していたというのに。


今のおまえはどうだ。
数えきれない悩みを抱いている。
何も正視できず、震えながら眼をそむけている。
多くの怖れ、多くの不安、後悔。
おまえの人生は苦しみに満ちている。
しかし、もう眼をつむるな。
金輪際、かおをそむけるな。
しかと視よ。何がそこにあるか、しっかりと視よ。
何が自分に見えているか、
はっきりと見えるまで見つめ続けよ。


そこに見えているのは人間か。
そこにあるのは物か。
おまえの眼に映るものは何か。
見えているものが
人であろうが物であろうが、
さらによく見つめよ。
それがつまらなく感じられるまで、
他の瑣末なものと見分けがつかなくなるほどに見つめよ。
それが人が物か
わからなくなるまで見つめよ。


さあ、どうだ。
何か起きたか。
何も起きない。
心が動いたか。
いや、
心はかえって静かになり、
今では心すらない状態だ。
見えているものは何か。


人であろうが物であろうが、
そこにあるものは
大きくも小さくもない。
強くもない。
ただ、
それはそこにあるものでしかない。
あたかも、そこにあるかのように
自分の目に映るものでしかない。


だのに、
なぜ今までそれをおまえは怖れていたのか。
利害からか。妄想からか。
憎しみからか。愛着からか。
思い出からか。想像からか。
金の有無からか。
それも見つめよ。
自分の心を、
まるで過去の汚れた遺物を調査するかのように見つめよ。
逃げずに見つめよ。


見つめれば、もう静かにわかるはずだ。
本当は何もなかったということが。
見えるものと自分の心を勝手につなげて
気持ちをいたずらに動かしていたということを。
自分が損得や勝ち負けにこだわっていたから
焦りや感情に縛られていたということを。
見えるものすべてを
自分のくだらない自尊心の物差しではかっては
勝手に価値や判断をしていたということを。
すべてを自分のものだと思い込む
利欲の根性に染まっていたということを。
つまるところ、
自分が卑しかったということを。


だから、そういう自分のすべてを捨てろ。
気持ちまでも捨てろ。
そうして、
自分というものの
いっさいがっさいを捨て去れ。
ただ、命だけは残しておけ。


すると
おまえはいまだかつて知らなかった
自由の空に飛ぶことができる。
何をすることもできる。
不可能なことは一つだにない。
すべては可能だ。できないことはない。
ただ、
悪をなせば、
昔の濁った自分がたちまににして戻ってくる。


まずは悪でないこと、
人が必要としていることを自分でなせ。
人のために、善のために、自分を使え。
それこそが大いなる自由の空を飛ぶことだ。
そのとき、
世界は一変する。
いっさいが澄んだ静けさの中で変わる。
いっさいが静かな歓喜に満たされる。
おまえは初めて、人になる。

↑より全文引用。



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審査前に

2017-05-07 02:12:51 | 名言考察
色々な名言を探すのが趣味の一つなのですが『人生には、難しそうに思えることがたくさんある。でも、その大半は簡単なことの積み重ねでできる』

という言葉を見つけました。当に至言であります。

少年部一般部共に昇級審査を控えていますが、白帯の時に十人組手を見たら余りの怖さに自信が持てなくなるかもしれません。私も入門時は「あんなもんいけるんか?」と思いましたが何とかなるものです。
そして十人組手に震えていた過去の自分を現在の自分が立っている処から眺めてこの冒頭の言葉のような事を感じる訳であります。受かる受からないはさて置き積み重ねが自信に繋がるのは確かです。

一般部ではよく「僕なんかが、私なんかが…」と審査に対して畏まり過ぎる人も居て中には受かって尚同じ事を言っている人も居ますが(笑)、確実に進んでいる人に次のステップの為オススメしているので是非挑戦して新しい帯を巻いて頂きたいものです。

少年部では普段の稽古姿勢から受験資格不十分と言い渡される子が大勢いますが、週2時間と決まっている稽古をそのたった2時間でどれだけの価値に変えているかが凄く個々の差として顕れてるのではないかなと思います。

積み重ねるにも土台がグニャグニャしてたり斜めになっていたら何も乗らんのでインフラ整備が急務。インフラ=家庭生活ですな。これも日々の積み重ね。良いことだけではなく悪いことも重なると凄いことになってしまうのです。




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Knowledge

2015-11-07 00:19:32 | 名言考察
“All types of knowledge, ultimately mean self knowledge.”
「私が思うに全ての知識は最終的には自己認識につながっていく」

ブルース・リー


私は武道を一つの哲学として捉えています。全ての知は一つのものとして完結する筈なのです。それが学業であれ運動であれ会社勤めであれ。
しかし例えば多くの学生がそうであるように、ただ学問を学問するような知識の得方では無理。私が学業に今ひとつ熱が入らなかったのはそこにありましたが。点を取れば上に行ける。だから何だと。考えている振りをするなと。

空手においては単に肉体的に強いだけではどうにもならんという事が解り、強さとは何か?という問いが脳にこびり付いております。本当の意味で考えられるといいましょうか。
安直に組手(或いは形)だけに価値観を求める者も少なくありませんが、あんなものは物の一表現に過ぎず。

自分の知を肉体運動を介してどう表すのか、また何処でどのように知を得るのかという処にどうにも離れ難い魅力を感じているのですね。それもいずれは自己循環してゆくのでしょうが。

私はヨガに惹かれるものがあり入門編からマニアックなものまで幾つか書籍も揃えているのですが、それは何故かと考えたところやはり哲学として思想として、様々な形を肉体で表現するところからなのでしょう。全身を澱みなく動かせるようになれる可能性も含めて。
近年溢れている◯◯ヨガといった子供騙しで底の浅いものには嫌悪感しかありませんが。

全く違うジャンルで生きている人同士でも、考えてきた人同士なら話が合い何か得られることもあるでしょう。
浅い者同士だときっと疲れるだけ。

文武両道と言いますが、それは単に勉強もスポーツも満遍なくしなさいという教えではなく、一つの事象から知性的なものと肉体的なものを導き出しなさいという事なのではないかなと思う今日この頃なのです。



冒頭の言葉を残したブルース・リー。彼は哲人でもありました。勿論武道を哲学として捉えていました。
よく本当に強かったのか?と問われていますし、ネット検索でブルースリーと入れると予測検索の中に「強かったのか」と挙がります。幼稚な問いです。

個人的にはイップマンに師事していた事やデモンストレーションの動きからも相当な強さだったと思います。
しかし彼の凄い処はそんな強い弱いというチンケな価値観上にあるのではなく、彼の偉大な処は彼自身の武道哲学を彼の身体で表現し切ったところにあるのだと考えます。

何に従事していようが哲学を持つことと体現する事が肝要なのでしょう。








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方法

2015-10-28 14:39:16 | 名言考察
Everybody’s talking about peace, but nobody does anything about it in a peaceful way.
“みんな平和について語るけど、誰もそれを平和的な方法でやってないんだ”
John Lennon


少年部は審査シーズンに入りました。
今週から受験の是非を問いに来る子達。但し今回受けられる子は少な目です。支部長も私もそう告知してきております。それでも予定よりだいぶ多くなったと思いますが。

受けられないと告げられて絶望に満ちた顔をする子も少なくありませんが、ただその顔は頑張って頑張って頑張り抜いて『ダメ』と評された時にして良い顔だと私は思うのです。

忘れもしません、昔入門したての頃。四級の審査を受けた時に隣の人(30代半ば位?)が不合格になりました。それもその筈、彼は腕時計をしたまま臨んでいましたしそれ以外でも未だ二十歳になっていない世間知らずな私が変な人やなと思った程です。
しかし合格発表で名前を飛ばされた彼は崩れ落ち拳を畳に叩き付け悔しがってました(苦笑)マジかおっさん…と思ったものです。ただやる気はあったのでしょう。

そこで上のジョンレノンの言葉。ここの『平和』を「努力」とか「頑張り」に変えてみればよく分かります。
論と実践がありますが、頑張ります!だけでは頑張りになりません。

頑張れば報われる訳ではありませんが、どんな自分も見てくれている人は居るものでそれが今回の評価というところです。




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