未熟者武道記

空手徒然。
二つの戈を止める武を核とし、諸諸と調和して溶け込んで。(いけたらいいな)

基本稽古とは

2019-05-25 21:59:35 | 稽古
一般部に新しく女性が加わったのと審査会も近いのとで基本稽古はじめ基礎的な見直しをしつつ稽古をしております。最近土曜日の人数が増えました^_^ そして稽古の中でも述べましたが、


基本稽古とは姿勢である。


と私は考えています。基本稽古に限らずストレッチから何からそう言えるのですが崩してはいけない部分の見極めですね。そこを掴むことが出来れば無理に力む必要も無くなります。武=姿勢とも言えますかね。





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さんすうの時間

2019-05-23 23:27:29 | 稽古
審査も終わり通常稽古へ。
今回の審査会では体の固い子が目立ったのですが、審査が終わって早々柔軟への意欲が死んだ分かり易い子もチラホラ(苦笑)

そこで今週は算数しながら時間の凄さを考えてもらいました。私も偉そうに言えた立場ではありませんが(o_o)


1年が365日。計算し易いように360日とします。
1ヶ月が30日。
1時間が60分。
1日は24時間。


この程度理解があれば大丈夫です。計算遅い子が多かったですが(笑)

閑話休題。
毎日欠かさず1分苦手なところの柔軟をしたとしましょう。

1×360で360分=6時間
毎日の1分が年間6時間になるのです。4分やれば24時間で丸一日分。やらない人との差は1年もあれば目に見えて顕れそうな数字です。

逆に無駄に使えばそれだけロスしているという事にも。
整列やサポーターを着けるのに何分も掛かる子は日常的に愚図愚図していると考えて良いでしょう。人より毎日計10分チンタラしていると年間で3600分=60時間、実に2日半を捨てている事になります。10年ダラダラ生活してきた子は普通の子に比べ凡そ1ヶ月、テキパキした子と比べるとその倍は無駄にしていると考えられるのです。

無駄にゲームを毎日1時間。
1×360で360時間=15日。実に2週間強を捨て、2時間やってると1ヶ月を捨てる事になります。小〜高校で丸1年分。その時間を勉強に充てている子とは天と地ほどの差になりますわな。交友関係等もありますからゲームの全てが無駄とは言いませんが結局はボタン押してるだけの何も身にならない時間ではあります。

時は金なりとは良く言ったものです。
何にしても数分の時間を作ってみる、無駄を減らすだけで変わる事は多々あるのだということです。きっと私が誰よりダラダラした人間だからこそオッサンと成った今後悔、自責の念が強くより一層そう思うのであります(笑)


たった1秒にも其処に無限が潜んでおるのです。



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目的は何か

2019-05-20 12:00:25 | 雑感
審査会が立て続けにあるこの時期。
なぜ人は進級したがるのでしょう。帯の色が変わって実力が変わるわけでもないのに不思議ですね。
私も高校生の頃初めて黒帯を貰った時は心踊ったものですが、飽きたと言うと語弊がありますが今では帯制度にそこまで意味を感じておりません。習う側のモチベーションを保つ点において意義はあるのかも知れませんが。


私は19で正道入門した当時、一度黒帯を締めたこともあってか進級に興味がありませんでした。入ってちょっとしたら黄帯を取り、それで試合にも出られるしこのままで良いと大学四回生まで黄帯でした。入賞しなかったら辞めて就職しようと望んだ大会で入賞し、後輩も出来て来た中で先輩が黄帯では我々が困ると言われるのでポンポンとテキトーに受けて緑帯に。尼崎支部に移籍した頃茶帯に。だから余り色帯時の記憶も思い入れもありません。審査用に練習した事がありませんからね。果たして青、緑帯で合わせて半年巻いてたかしら(笑)

が、初段は結構苦労しました。先生名乗るには流石に黒帯は要るだろうと考えましたがこれまでがテキトーだったのでまあしんどかったですね。ええ歳こいて稽古サボって先生方に叱られ受験を半年間延期させられたりもしました(苦笑)けどこの頃から芽生えていたのが現在の考え方。日時と場所、内容が決まっている処にコンディションを合わせにいく。それが武道なのか?というちょっとした違和感。初めは小さな波の揺らぎだったのです。昔習った形を活かせないのかと再考し始めたのもこの頃でした。在学中に甲野善紀先生の書籍に出会ったのも大きいですね。

初段で大学卒業後の二十代を過ごしました。空手の指導を続け三十路になる頃、教えれば教える程フルコンへの疑問は渦のようになっていてそれを払拭する為に初めて自分の信念?のために審査を受けようという気持ちになりました。ただし、審査用の練習はせずに。そして一番コンディションの悪い真夏の審査会で。これは体調の悪い時襲われても対応出来るのかを知りたかったのでそうしました。全ては当時の自分の武道観、武術観を試すために臨んでみようと。

当時は伝統形を臨む段位の数だけする審査もありました。形は初段取得以来七〜八年練ってきました。用意はそれだけです。組手は要らぬ変更をされたりして死ぬ思いをさせられましたが結果としては通りました。もし落ちたら基本や形を無視して組手だけみる組織ということで先も無いので辞めるつもりではありましたが。

あれからまた七〜八年が経ちますがもう今後受ける積もりは微塵もありません。あの日に色々試せたので今後はしんどいと分かってるところに態々飛び込む気が起きないのです。やれと言われたら出来ます。でもやる必要がない。冒頭のようにこれ以上金の線が増えたとて実力が変わるわけでもなし。このままでも技は進みます。だから金の糸は全部取りました(笑)上手いこと言えませんが嫌いなんですアレが。

何段か分からない方が目が肥えると思うのですがね。誰かが私を初段程度かなと評価するなら私はまだその程度です。その動きで未だ二段なの?と思ってくれれば嬉しい事ですし組織の黒帯の敷居も上がりますよね。沢山金線並べた人が訳の分からん動きされてたんじゃ此方が迷惑なので金線制度は廃止して欲しいのです。

随分話が自分語りに逸れましたが申し訳ありませんm(_ _)m


進級の動機はカッコいいとか良く見られたい見せたいとかそういう単純なもの。じゃあそのカッコよさに近付く稽古をしてきた自負はあるのか、というと見受けられない事が多いですよね。

そしてこれは審査内容が分かってしまっているのも問題なのだと思うのです。全方向に向けて稽古しなくて良くなりますから。真ん中の帯ぐらいで要領を得てしまえばあとは決められた行程を卒なくこなせば黒帯まで行ってしまうのです。しかし帯を上げるというのはその流派、道場の顔になるということ。取って仕舞えば戻れない。顔になる覚悟のない者は下の帯でいる方がそれこそ楽なんじゃないかと思うのですが。いつまでも下の帯じゃ恥ずかしいと思うのなら恥を濯ぐような稽古をしないと。帯の色は自覚の色。


初めての黒帯を授与された時、先輩に「もう誰にも負けれんのお」と言われた言葉は今も刺さっていて更に深く刺さっている感じがします。





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体の固い人へ

2019-05-20 01:04:01 | ストレッチ
今回の審査会でも固い子が目立ちました。固い子は子供の時から固い。最近の子は姿勢が悪いのが多いのでそこから来ているのも多いにあるというのが個人的な見解ですが。軟らかい子も姿勢次第では思春期付近で覿面に固まります。

ところでこんな物をご存知でしょうか。

グリッドフォームローラーと言われております。

買ったものの私滅多に使わないのですが中々よく出来たアイテムだと思うのです。筋膜リリースという目的で使われるのですが筋膜なんて何処にあるか知らんので適当に筋に当ててグリグリやってると一般的には軟らかい部類であろう私も結構スッキリします。特に大腿四頭筋や大腿筋膜張筋付近(太腿前面から付け根)がオススメ。

数年前、本部職員の方(テコンドー師範)が開いたストレッチ講座で先生が勧めておりました。それで買ったんだったかな?

これを使うにしろ自力でやるにしろ継続こそが血肉となるのでしっかり続けてください。やらない習慣がその固さとして具体的に現れているということなので。そして姿勢が一番体を作る習慣です。常に良い姿勢ではなくて良い姿勢が出来るように曲げ伸ばし。曲げるとこは曲げ伸ばすとこは伸ばす。止めるべきは止めて動かすべきを動かす。これ形なんかにも使えると変わりますよ。

固い動きは何より読み易し。




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春季審査会

2019-05-20 00:30:32 | 審査会
令和となって最初の審査会でした。

ちょっと前半クラスの出来が宜しくなかったかなあと思います。しかし生徒可愛さに鬼になりきれない私たち…
それでも期限付き保留の子は沢山いますので帯を上げたという自覚を持って、習い事をさせてもらっているのだという感謝を少しでも感じながら真剣に稽古をしてもらえたら嬉しいのですが。子供には解り難いかもしれませんが何もが当たり前ではないのでね。

帯なんて別に上げる必要はないのです。別に白帯で最後まで居ても良し。正直私も黒帯には余り価値を置いておりません。昔、正道の緑帯は他流派の黒帯に勝るなんて言われてました。がそんな事はどんな道場でも異口同音に唱えていて実に信憑性のないあやふやなモンです。そもそも自慢したり競う為のものではないのでね。言うなれば自分の覚悟の度合です。だから帯を上げたいと思った自分の決意、決断に背いてはいかんのではないかな?とは思いますよ。幾つであっても。先に進みたいと覚悟を決めたのだったら遣り通す最善を尽くすべきなのです。

後半クラスはさすがの出来栄えだったのではないでしょうか。勿論保留者や細かい注意点等は個々にありますが帯を上げる事に関しては自覚がある子が多いと思われます。そうでない子はそもそもお呼びしておりませんが。
前半クラスの子も何名か残って見学していましたが彼らの心に何か落とせたなら帯の価値もあるというものです。

次の帯に向かって出来ることを考えまた稽古に励みましょう!お疲れ様でした。


お手伝いの三人もありがとう!良い動き、見本を示してくれました。




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