未熟者武道記

空手徒然。
二つの戈を止める武を核とし、諸諸と調和して溶け込んで。(いけたらいいな)

言葉と空手

2019-03-29 09:29:04 | 日記
ラジオCMでやたら英会話レッスンの紹介が流れてくるのですが私は日本の英語の在り方には懐疑的なので鼻で笑いながら聴き流しているのですが、ふと思ったのです。これ空手も同じじゃないのかと。

CMでは簡単な中学で習った単語を2つ3つ合わせるだけで通用する英会話、と言っておりますがその前後はどないするのでしょう。基礎や形がないのに中途半端なところを見せたら大怪我するだけです。

言葉の上達と技術の上達って凄く似ています。
例えば初めは「ありがとう」に対して「どういたしまして」を覚え、それを何度か繰り返す内に「ありがとう、今度御礼にご飯でも」になってみたり「どういたしまして。お役に立てて云々」となったり。その会話の前後や人間関係、或いは知識や語彙数で変化していきます。コレに対してこう、というのは在るようで無い、無いようで在るといったスタンス。聞き流すだけで喋れるようになる筈がないのです。シャツ着てるだけで筋肉も付くはずないのです。

技術もコレに対してこう、というのは在るようで無いので。正解はないが不正解はある、そんな感じですかね。

こう見えて私は大学で一応国語国文学を学びました。その中で文化を知らねば言葉は生きられないと刻まれ、そして英語を学ぶのも辞めました。関東人と話したって文化的にも言葉にも温度差があるのに外国語なんてどうなるのやら。言葉の地雷原が何処にあるか、それは文化として分からねば体得出来ません。挨拶代わりにアホと言われて傷つく人は関西圏外には沢山いるのです。
ちょっと見栄えのするカッコイイ技を覚えたからと後先考えずに試してしまうと大抵痛い目に合いますが、人間が踊らされる部分というのは大体こういう処ですね。

言葉の一つ一つがその国の心を作るのだとしたら空手もきっとそういう事なのだろうと思います。形や基本を通じて空手の真似事から空手へと成っていくのでしょう。それから空手ですらなくなり道になる?

守破離と言いますが兎角守が一番大変なのであります。




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親戚らしい

2019-03-25 20:28:08 | 日記
ガーデンズに行き、エスカレーターを上がったところにあったイベント広告に知った演歌歌手の名前が。レコ大の最優秀新人賞?を受賞した彼は親戚だそうです。

年末帰省した時に母が「ユウトがレコ大出るから見なあかん」と何度も言っていて、聞くと母の従兄弟の孫。面識も一応あるようで。私はありませんが三従兄弟か何かに当たるのでしょうかね。

祖父は若い頃音楽家で天皇陛下御前演奏もしたそうですから彼の大叔父としてあの世で鼻を高くしているかもしれません。今日はうちが45年来聴いている『ありがとう浜村淳です』にゲスト出演していました。

母がユウトユウト言うてる時に父が「この子、知らん親戚がこれから増えるやろな」と言ってましたがホンマそれです(笑)もう少し近い間柄なら全日本大会に国家斉唱に来て欲しかったなあ。




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【一期】川西ラスト【一会】

2019-03-25 18:27:43 | 稽古
川西教室が今日をもってクローズとなりました。
暖人一人だけが残って一ヶ月。その間卒業生の黒帯が手伝いに来てくれていたのでそこまで寂しい事にもならず。さすが黒帯。ホンマにええ子らです。

今日は約束通り瑠夏が来てくれました。最期は来ると言っていた晴心は来ませんでした(アレ?)…まあ部活が忙しいということにしておきましょう(笑)

組手や護身術をしてラストは百本蹴り。綺麗なフォームです。威力も高い。毛利蘭は超えたかな?ドアぐらいならぶち破りそう(笑)

暖人は最後までクセが直らなかったなあ(苦笑)この光景も最後か。

そして私の思う武道観を簡潔に述べて終了致しました。
教室はなくなろうと空手を学んだ事実はなくならないので武道を胸に逞しく生きていって欲しいと願います。成長を逐一見られなくなるのは残念ですが、また納涼祭等でお会いしましょう。

また空手をしたくなったら尼崎支部で待ってます。そうでなくても是非訪ねて来てくださいね。



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武を通して

2019-03-25 15:31:46 | 雑感
どんな人間にも良いところの一つや二つある、と言います。確かにそうでしょう、否定は出来ません。しかし人はわざわざ他人の良いところを探したりはしないのです。目に見える部分で判断します。報道で切り取られた発言に過剰反応する世間を見て分かる通りです。わざわざ発言全文に目を通した上で考えてくれる人なんてごく僅か。

泉があったとして、底を掘り返した所にどれだけ綺麗な真水が眠っていようと、表面が汚泥ならばその泉は汚泥なのです。だれも泳ぐこともなければ見る事もなく。目を向けたとて顔をしかめるでしょう。

対人であっても同じです。
良いところがあっても出し方を知らないままだと持って無いのと同じ。人はその他人の評価で生きていくことしか出来ません。

どんな人が良い人かというのは分かりません。人によっては単なる都合のいい人になるかもしれませんし偽善者扱いを受けるかもしれませんから。

そこで武道。
武の字は二つの戈を止めると書きます。二つの争いを止める事が出来る、或いは律する事が出来る。現代風に解釈するなら後者がしっくりくると思いますが。二つとは自分以外の二人でもあり、自分ともう一人での二人でもあり。自分を律する事が出来ぬものが他者を律するなど傲慢ですからね。自らを律し、そこから二人を律する事が出来れば武に触れた甲斐もあったのではないかと思うのです。

成れる成れないではなく、そう成ろう、そう在ろうとするのが武道だと私は考えます。強さは人に向けるものではないのだろうな、とも。武の道を考えたとき強さに触れられるような気がするのです。比べるのは自分。即ち比べるべき相手(=敵)など居ないのでしょう。




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勝ち方 負け方

2019-03-21 21:21:49 | 大会
今日は毎年恒例、尼崎支部主催の阪神地区交流大会でした。参加人数は五十名余と少なめではありましたが熱い試合が繰り広げられました。

先ずは入賞者たちと寸評を。向かって右から優勝、準優勝、三位です。

幼年気持ち的に幼年は皆優勝をあげたいのです。

一・二年女子いきなり決勝で緊張しただろうけど気合いが欲しかったかな。

一年男子決勝は経験の差が出たもののそれまでが紙一重の差の試合。気を抜くと来年ガラッと入れ替わるかも。

二年男子皇成にどれだけ食らいつくかでこの学年の底上げの幅は物凄いものになるでしょう。

三・四年女子決勝は去年と同じ組み合わせでしたが去年より差が随分縮まりました。来年が楽しみです。

三年男子勝っていてもちょっとした隙で勝敗がひっくり返ります。三年はそんな試合が多かったかな。

四年男子勢いだけでは勝てなくなる分かれ目の学年。自己分析。

五・六年男子六年生達は後輩にしっかり気持を残してくれたと思います。

敢闘賞選出にとても迷いました。

技能賞観に来てくださった品川先生がベタ褒めでした。決勝の上段はスゴいね。

ベストファイト賞凄い盛り上がりでした。


さて。

大会はただ出るだけでは成長はありません。出る事に意味や意義があるのではなく勝ち方、負け方に価値があります。仮に百人のトーナメントだとしたら九十九人は敗者。練習姿勢が勝利を更に色濃くし、敗戦が次に繋がる糧になるのです。試合の良いところですね。競技に溺れてしまうとそこが歪んできますが。これを記している当に今、テレビでは私が最も尊敬するイチロー選手の引退に絡む特集をしておりますが、彼は4000本安打を達成した時に「僕の数字で言うと8000回悔しい思いをしてきた訳で、そこと向き合ってこれたのは誇れるところです」という事を述べたこの言葉は途轍もなく深く重いですね。

一生懸命やって勝つことの次に素晴らしいことは一生懸命やって負けること。(Next to trying and winning, the best thing is trying and failing.)
という言葉が私は好きです。今日の勝ちも負けも今日だけのもの。ひたむきな姿勢はいずれ勝ち負け以上の価値が出るでしょう。頑張る姿は誰であれ幾つであれ美しいものです。


良い試合をありがとう👍




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