未熟者武道記

空手徒然。
二つの戈を止める武を核とし、諸諸と調和して溶け込んで。(いけたらいいな)

最後哉。

2017-02-26 23:26:31 | 審査会
総本部で一般部審査会が行われました。多くの関西支部は一旦正道会館として最後の審査会と云う事でいつもより多目の受験者が。昇段が十名以上居るのはここ十年程見られなかった光景で久し振りの長丁場となりました。

尼崎管轄からは昇段含め六名が挑戦。皆練習の成果を発揮し全員合格。特に中学生達の形が素晴らしかったです。

各々が色々思う事もあるでしょう。
ある者は誰かを信じて付いて行き、ある者は何も知らずに翻弄され。

人がする事ですから武道だろうが宗教だろうが揉めるのが人の世の常。何処であれ自身の為になる空手道を邁進して頂ければ幸いであります。

年配の方々も頑張っておいででした。
その姿を見ていると、お孫さんの頭を撫でるその手はさぞ優しいのだろうなと思いました。幾つになっても力強くそして優しく。いつかそのような精神で分裂しない空手団体が出来る事を期待しております。

随分久々に組手をしたので疲れてしまいましたが、昇段挑戦の皆さんはラッキーポイントが私だけというメンバー構成の中よくぞ完遂されました。天晴れ。

皆様お疲れ様でした。
よくよく身体を休めて回復したのち又前を向いて進んで行ってくださいませ。




.


守る

2017-02-24 22:45:38 | 稽古
六甲道教室には1年生が3名いてこの子達は幼稚園からの友達同士。

1人は幼稚園から始めて現在柿帯。身体は大きめで力も強い。2人は一年生になってから入門しました。何故か関東弁混じりの2人は体格は平均的。1人は器用なタイプでもう1人は運動音痴タイプ。皆落ち着きのない性格で3人揃うと天下無双。調子に乗ってよく叱られます(苦笑)

今日は器用なタイプの子がインフルエンザで欠席していたので1年生2人を重点的に見ていましたが、運動音痴タイプの子が良い受けをしていたのです。丁寧に確実に。

攻撃となると運動センスもある程度関与してくるので未だ未だ練習が必要ですが防御に関しては1年生の中でダントツ。支部教室合わせても低学年では一番良いんじゃないかな?

同い年で組手となるとガンガン来られて萎縮したりして持っているものは中々出せませんが長い目で見るとコレは将来に残る空手だなと感じました。穏やかな性格な子ですから多くの人と同じ様に攻撃に空手を見出す必要もなし。

(態々)倒す空手ではなく倒させない空手があっても良いでしょう。その方が誰も傷付かないし武道らしいですね。





.

上手はゆるり

2017-02-24 01:08:42 | 雑感
『兵法のはやきと云所、実の道にあらず。
はやきといふ事ハ、物毎のひやうしの間にあはざるによつて、はやき遅きと云こゝろ也

(中略)

これ、上手のする事ハ、緩々と見ヘて、
間のぬけざる所也
諸事しつけたるものゝする事ハ、
いそがしくみヘざるもの也

(中略)

又、人のむざとはやき事などにハ、
そむくと云て、静になり、
人につかざる所、肝要也
此こゝろ、工夫鍛錬有べき事也』

【五輪書 風の巻「他流にはやき事を用る事」より抜粋】



現代語訳は各々で調べてください(笑)
要約すると、下手は速さを求め拍子ずれを起こすが、上手はゆったり隙がないってな感じでしょうか。

前の全関西Aクラス軽中量級を見ていて丁度これを思い浮かべていました。決勝戦は当にこの理屈のまま。そう思うと優勝した上村選手の成長幅はスゴいものがありますね。少し前までは決勝の相手の子然り、少年部上がり特有の速さだけで圧も怖さもない印象でしたがここ数年で一皮も二皮も剥けましたね。組織が変革する今後にも期待。

閑話休題。
動きには拍子があり、速かろうと遅かろうと何処かでピタリと合う瞬間があります。それを機と言い、そこを捉える事が技術。
速さと速さのぶつかり合いも素人目線では大変に面白いのですが未熟のぶつかり合い故に怪我前提。身が持ちません。いくら皮を斬ろうと一刀で骨までぶった斬られたらおしまいおしまい。そこを探るのが組手の本懐だと私は解釈しております。手数を競うゴッコ遊びに非ず。

例えば2のリズムの人と3のリズムの人は6の処で綺麗に交わります。仮に1の拍子を持っていれば今の今に合わせられる訳です。そうなると遅い速いはありませんね。
結果として速いだけで必ずしも速く動く必要はなし。ただ其処まで行くには速く動くだけの未熟な時代も必要なのでしょうけど…。

何となくジャズのイメージです。
各々が好きに演奏しているようで確たる技術が調和しているあの感じ。誰もが誰をも追い越さない。

ただ緩いだけでもダメ。動の為の静、静の為の動。兎角稽古は深く儘なりませんな。




.

なんでもあり とは

2017-02-23 19:46:37 | 雑感
フルコンタクト空手の多くは手による顔面攻撃を認めていないところが殆どですが、何処とは言いませんがどうやら顔面攻撃採用の方向へ持っていく動きのある団体があるようです。

愚の骨頂と先にはっきり申し上げておきます。お止めなさい。

主催側の文言として多いのは「空手は本来何でも有り」という極めて浅いものですが、そんなに軽々しく言うものでもありません。
そもそもその言葉を発せられるのは空手として形も武器術も修めた人物であってフルコン諸派の流祖風情が口にして良いものではないでしょう。

今の組手は謂わば劣化版キックボクシング。それを道着を着たキックボクシングに変える。何がしたいのか。じゃあもう空手じゃなくていいじゃない。空手であろうとする意味が分かりません。

空手は本来何でもあり。確かにそう。けどそれは空手に限ったことじゃない。全ての武術に当てはまることで、例えば古式ムエタイのムエボーランが分かりやすいのですが、随分とエグ味が増します。
しかしそれがムエタイだという事は直ぐに判ります。それは競技として続く今もワイクルーなどの伝統を軽んじていない姿にあるのだろうと個人的には感じております。

じゃあ空手は?
いざ顔面攻撃解禁したらグローブ付けてキックボクシングの真似事ですかそうですか。此処に拭い去ることも隠す事も出来ない未熟さを見ます。

これはフルコンを興した面々が古式を無駄なものだと廃し軽んじてきた結果です。たった数年の経験で「要らない」なんてよく言えたものです。進化する空手というなら原理的な軸がないといつか空手ですら無くなるのでは?もう9割方そうですけど。

空手としての古典があります。叡智です。でもそれを誰も知らない。じゃあ何故上の者は学びに出ないのか。それも分かりません。空手を空手たらしめるには空手を学ぶしかないのに。
一撃、と宣いながら何度も小突き合い今度は顔を腫らしながら殴り合おうと言うのですか。下法中の下法ですね。

別に好きにしてくれたら良いのですが相当人を選びますね。若者しか出来ない。この若者が少なく若者が格闘技に興味を示さない時代に殊勝な…。
パリーではなく外受け内受けを。ダッキングではなく上段受けや立ち方を。ヘッドスリップではなく運足や間合いを教えてあげて欲しいものですが。

「空手として」の何でもありを提唱するなら応援しようと思えますが単なる道着着用のキックボクシングは御免被ります。何でもありだからこそ見えてなければならないところが多い筈なのですがね。先生名乗るなら尚更。

これから空手と信じて其処の門を叩く人達に責任をとれるのか?というところで方向性が腑に落ちないのであります。
やはりこうして二十数年空手をして思うのは先生やるなら二十年以上、流祖になるなら三十年以上は稽古積んでからでないと技術も人も色々纏まらんなという事です。





.