未熟者武道記

空手徒然。
二つの戈を止める武を核とし、諸諸と調和して溶け込んで。(いけたらいいな)

移動稽古

2016-05-31 23:22:37 | 稽古
審査も終わり少し経ちました。審査明けはメニューを組むのにいつも戸惑います(苦笑)

今日はいつもの移動稽古に加えて形の一部を切り取った移動稽古もしてみました。
伝統的な運足の移動稽古は定期的にしますが不思議な事に所謂伝統派→フルコンは割とすんなり適応出来るのですが、フルコン→伝統派は非常に難儀するようです。

特に猫足立ち&手刀が決まりません。これは何故でしょう?私はまだ解明出来ずにいます。そこを払拭したいので今日は簡単に
①撃砕
②アーナン
③泊パッサイ(松林)
の触りの挙動を繰り返してみました。

①と②は前屈立ちと四股立ちとフルコンでも割と目にする立ち方。
③で猫足登場。やはり苦戦する皆様。中一の俊平などは完全に傾(かぶ)いておりました(笑)空手をせいw

組手は確かに楽しいのですがバックボーンが『肉体』或いは『空手っぽい何か』となるのは避けたいのです。私も昔は組手だけのクラスに出続けた時期がありましたが冷静に考えると何がしたいねんと(苦笑)
そんな過去も踏まえつつ飽くまで『空手』の中の組手(技術)であってほしいと願っていますので煩わしくとも少しずつモノにしていってくださいませ<(_ _*)>いつか光る筈ですよ。




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観見一致

2016-05-30 22:20:34 | 稽古
審査まであと稽古日が二日の川西清和台教室。いつも構えで注意を受けることの多いこの教室の生徒達なので今日はフォームチェックを行いました。

毎回口酸っぱくガードや足幅等に関して言っておりますが真の意味で痛い目にあった事の無い彼らに自己流は中々捨てられない様子。

ならば自分の姿を見てもらおうという事でスマホを鞄から取り出し、第一希望者恭一のフォーム(審査で行うミットへの蹴り)を撮影。結果、即おかしい事に気付いてくれました(笑)

私は古い考え寄りなので指導中余程でない限り自ら写真や動画の撮影は敬遠したいのですが、これはこれで現代風観見一致として刺激になったかも知れません。

最初は「俺も!俺も!」と言っていた彼らでしたが恭一の無惨に敗北した姿を見て「やっぱりイヤや!」と言い始めましたがそんな事言われたら全員撮るしかないでしょう(笑)一同目を背けてましたが嘘偽り無き己の姿、確と目に焼き付けるが善いぞ(˵¯̴͒ꇴ¯̴͒˵)

今は手軽に動画が撮れますので自分がどんな動きをしているのか客観的に捉えやすく上達のツールとして活用しない手はありません。
本気で取り組んでいるからこそ変であるはずが無いと思いたいでしょうが写真、動画は正直であります(苦笑)

私も自分の試合を見た時、余りの技の流麗さの無さに愕然としました。それ以来自分が思い描く動きが出来れば私の勝ちと勝手に決めて試合の勝敗に左右されなくなったのは良かったのか悪かったのか…

それはさておき。
こっそり形や基本を自宅で自撮りしてみるのも良いかもしれませんね。自分本位に無かった事に出来ますから(笑)



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戒め

2016-05-27 16:37:43 | 筋トレ
鍛える(鍛えさせる)のが好きな男と認識されているかも知れませんが、私自身筋力は簡単な空手をしない為の自身への戒めとしてある程度保持しております。

痛めて体の動きが悪くなっている時やこんな動きがしたいなと思ったら必要に応じて鍛え、感覚が改善されれば脱ぐといった感じですから歳も歳ですしあまり締まりのある体ではありません(苦笑)

技の理解を深めるには何より身体を知る事だと考えています。見て真似出来る、或いは輪郭を掴めるミラー機能の高い身体は技そのものです。
何をする為の膂力か見方を変えると単なる苦行ではなくなるかもしれません(*•̀ᴗ•́*)و ̑̑




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老若男女を問わず

2016-05-25 23:09:36 | 雑感
フルコンタクト空手は文字通り組手がメインです。当てるからこそ加減や思いやり、強者と対峙した時の一歩に対する決心や決断力の向上に繋がるのだろうと思います。

七つの時に空手を始めて今三十四。
力の無い子供時代~色々動ける二十代~衰えを感じ始める三十代。

二十数年やってきた中でスポーツとして取組んでいた十年余、武道として捉え始めて十年余。年代により目的は多種多様で良いと思いますが最近よく考えるのは武は老若男女を問わずということです。
いくらフルコンとはいえ若い子の価値観に皆が合わせなくてはならないのでは健全な武道を名乗れません。

若者でもなく大してオッサンでもない私。これから体ももっと思うように動かなくなっていく今だから考える事も沢山あります。
今日も成長著しいリックと組手をしたところ非常に疲れました(笑)が、敢えてノッソリノッソリ動く私に幾度も転ばされ回される事に彼自身も周りで見ている人も何か思う事があったなら先人が衰えて行く事に意味があるのかも知れないなと思います。逆に誰に何も思わせる事が出来てなければ私の武道はまだまだ道のりが長い…(苦笑)

歳で体がついてこないから、とか男性の力が怖いからという理由で辞めていく人がいない道場でありたいですね。




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気付きの土壌

2016-05-24 19:24:54 | 雑感
「この子はやれば出来る子なんですけど云々…」という言い訳をよく耳にします。

それはそうなのかも知れませんが聞かされる側にとってこれ程どうでも良い情報もありません。出来ない事が問題なのではなく誰よりもやらない事を平気で居られる精神が一番の問題なのです。そして事実出来ていない。なのに認められたい。それは無理でしょ。
うちの道場でも今回の審査受験を認められなかった子や厳しい事を言われて何とか許可が下りた子が大勢居ますが、その子達は次回稽古からやる気を見せるかと云うと九割以上そうではなく…。

こればかりは親や先生がどうにか出来る事ではなく最終的には自分で気付く他ありません。
私も少年期は同じ事を何度言われても改善されないので父からよく「犬でも三回で覚える」と嘆かれたものです(笑)運良く気付く機会がありましたので人並な倫理観や道徳観を持つことが出来ましたが、我が子を見ているとこれが血か…と抗えない力を感じます(苦笑)

根本的なところは変わりません。
しかし性格を変えるのではなく「弁える」だとかどういう場所かを「知る」事が彼らには何より急務だと思うのです。或いは「隠す」か。
同じお調子者でも場を弁えられるか否かで人気者とトラブルメーカーに別れますからね。それを教えられるのは、何度でも一番厳しくぶつかれるのは一体誰かという話です。

「自分らしさ」だとか「伸び伸び」だとか。
耳心地は善いのでしょうが迷惑をかけないのが大前提。野生のままでは気付く土壌が培えません。
武道始め、稽古事は珠を磨くただの布です。原石もただの石。珠に仕上げるのか石コロのままにしておくのかは御両親の考え一つでしょう。




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