稲刈りが済んだ田圃が点在し、初秋を感じる風景ですが、気温は超激暑の中、
今春、偕楽園を訪れた際、見学出来なかった旧水戸藩校である弘道館を見学しました。
徳川斉昭公(列公)が藩政改革の重要施策の一環として開校されました。
弘道館は水戸城内、三の丸にあります。
建築は、書院造りで、長廊下、大藩の風格が感じられます。
敷地も当時の藩校としては国内最大であったという。
天保12年8月(1841年)に仮開館式15年後の安政4年に本開館しました。
日本の発展には人材の育成は欠かせないものと考え藩士とその子弟が学び入学年齢は15才で卒業はありませんでした。
館内では文武両道の修練を積ませようと、
武道、医学、薬学天文学、蘭学など幅広い学問を取り入りた、総合大学のような藩校でした。
偕楽園は心身の保養地として、弘道館とは一対の施設になっている。
偕楽園記には『一張一弛』という孔子の言葉が記されていて、厳しいだけでなく、時には弛める事も大切と言う斉昭公の思いが原点のようだ。
水戸へ訪れた際は、是非お寄りください。
今春、偕楽園を訪れた際、見学出来なかった旧水戸藩校である弘道館を見学しました。
徳川斉昭公(列公)が藩政改革の重要施策の一環として開校されました。
弘道館は水戸城内、三の丸にあります。
建築は、書院造りで、長廊下、大藩の風格が感じられます。
敷地も当時の藩校としては国内最大であったという。
天保12年8月(1841年)に仮開館式15年後の安政4年に本開館しました。
日本の発展には人材の育成は欠かせないものと考え藩士とその子弟が学び入学年齢は15才で卒業はありませんでした。
館内では文武両道の修練を積ませようと、
武道、医学、薬学天文学、蘭学など幅広い学問を取り入りた、総合大学のような藩校でした。
偕楽園は心身の保養地として、弘道館とは一対の施設になっている。
偕楽園記には『一張一弛』という孔子の言葉が記されていて、厳しいだけでなく、時には弛める事も大切と言う斉昭公の思いが原点のようだ。
水戸へ訪れた際は、是非お寄りください。