私には2人の先生がいる。
一人は、川柳を始めたころに、インターネットで探しあてた人である。
1年間添削無料ということであった。
ただし、会誌を購入するというのが条件だった。
最初の2~3ヶ月は、添削してもらったが、その後は句の頭に丸がつけてあるだけだった。
それは初心者が対象だったので、1年間だけで終わった。
次に、もう一人は、現在川柳教室で、月に2回通って教えてもらっている先生である。
川柳教室では、宿題を提出し、教室のある日には、課題吟を30分くらいで詠み、その後講評が行われる。
今までの経験からすると、自分の詠んだ句に対して添削はほとんど行われないから、自分の詠んだ句が、どこがまずいのかがよく分からないことである。
たとえ、添削してもらっても、ただ書いてある17音字の川柳からの情報だけで添削が行われるだけなので、もし私が詠みたい事がそこに十分表現されていなければ、いくら添削してもらっても自分の心にしっくりと来ないことである。
有名な先生となると、1句を10秒くらいで読んで判断するらしいから、そのようなことを期待することは無理な話である。
川柳は奥が深いといわれているが、そのような事情のため川柳の入り口付近でうろうろしているのが今日この頃である。
一人は、川柳を始めたころに、インターネットで探しあてた人である。
1年間添削無料ということであった。
ただし、会誌を購入するというのが条件だった。
最初の2~3ヶ月は、添削してもらったが、その後は句の頭に丸がつけてあるだけだった。
それは初心者が対象だったので、1年間だけで終わった。
次に、もう一人は、現在川柳教室で、月に2回通って教えてもらっている先生である。
川柳教室では、宿題を提出し、教室のある日には、課題吟を30分くらいで詠み、その後講評が行われる。
今までの経験からすると、自分の詠んだ句に対して添削はほとんど行われないから、自分の詠んだ句が、どこがまずいのかがよく分からないことである。
たとえ、添削してもらっても、ただ書いてある17音字の川柳からの情報だけで添削が行われるだけなので、もし私が詠みたい事がそこに十分表現されていなければ、いくら添削してもらっても自分の心にしっくりと来ないことである。
有名な先生となると、1句を10秒くらいで読んで判断するらしいから、そのようなことを期待することは無理な話である。
川柳は奥が深いといわれているが、そのような事情のため川柳の入り口付近でうろうろしているのが今日この頃である。
昨日、娘が孫を連れてきてくれました。
敬老の日のお祝いだといって、リンドウの鉢植えを呉れました。
この娘からは、来年2人目の孫(私の孫としては3人目)が生まれることが何よりのプレゼントです。
今の孫も、1歳半を越し、我が家に来ても、すぐ懐くし、2人で散歩にも行けるようになりました。
敬老の日に祝ってもらうのは初めてであり、世間一般で言えば、まだその年齢にはなっていないのです。
しかし、70歳を過ぎて祝ってもらうころには、本当に祝える状況かどうかが問題です。
生活が苦しかったり、子供に面倒を見てもらって実際は邪魔者であったり、寝たきりになっていたり、で祝える状況で無かった場合には、子供達が祝ってくれても、本心から喜ぶことは出来ません。
その点、昨日のお祝いは、楽しい1日でした。
敬老の日のお祝いだといって、リンドウの鉢植えを呉れました。
この娘からは、来年2人目の孫(私の孫としては3人目)が生まれることが何よりのプレゼントです。
今の孫も、1歳半を越し、我が家に来ても、すぐ懐くし、2人で散歩にも行けるようになりました。
敬老の日に祝ってもらうのは初めてであり、世間一般で言えば、まだその年齢にはなっていないのです。
しかし、70歳を過ぎて祝ってもらうころには、本当に祝える状況かどうかが問題です。
生活が苦しかったり、子供に面倒を見てもらって実際は邪魔者であったり、寝たきりになっていたり、で祝える状況で無かった場合には、子供達が祝ってくれても、本心から喜ぶことは出来ません。
その点、昨日のお祝いは、楽しい1日でした。