長良の鵜 ズボラ余生

「ズボラ余生とは」:
何事も、前向きに捉え、楽天的に生きていくことです。

★川柳座談会が面白い

2008-07-23 06:44:27 | Weblog
先日、川柳座談会に投稿したことを書いた。
その後、いろいろの人が投稿して、座談会は盛り上がっている。
川柳誌では名の知れた人も投稿していたので、それに少しコメントを書いたが、その人からはその後投稿はない。
そんな新米の川柳子と議論できるかというところかもしれない。
ところで、ある人が、秀句としてあげた新子先生の川柳に、どこが優れているか分からないと書いた。その部分をここに抜粋する。

「例えば例句に出されていた、

大方の虫はしずかに生きて死ぬ

どんな虫でも人間でも必ず生きて死ぬもの。
では、静かに生きて死ぬかというと、大方の虫も人間も静かに生きて死ぬ。
(どの程度を静かというかについては議論の分かれるところである)
そう考えたとき、この句のどこがそんなにすばらしいのだろうと考え込んでしまう。」

これは新子先生の句であり、新子先生を神様のように信奉している人には頭にきた投稿かもしれない。
まだ、この投稿に対しての見解は掲載されていないが、たぶん川柳は理屈で鑑賞するものではないというのではなかろうかと思いながら、どのような返事が返ってくるかたのしみにしているところである。


★慣れてきた亜熱帯生活

2008-07-22 07:15:22 | Weblog
昨日で、真夏日は連続10日になったという。
そのため、身体も大分慣れてきた。
部屋の温度は最高36度となり、寝るころになっても30度くらいある。
しかしながら、33度までなら、クーラーをかけないでも過ごすことが出来る。
それだけ、身体が慣れてきたのである。
以前なら、熱帯夜といって25度もあれば、クーラーを入れないで寝ることは出来ず、タイマーが切れたときの寝苦しさはたまったものではなかった。
それが、室温が30度でも、窓を開けて、冷却ゲルを枕の下に置くだけで、ほとんど朝まで眠ることが出来る。
朝起きると、大体28度くらいに下がっているが、これで風でもあれば涼しすぎるくらいである。
クーラーの入っている職場で働いている人では、このように身体がなれるということも無いのであろう。
また、30度くらいでは、仕事の能率が下がって大変だというだろう。
我々高齢者は、生きているだけでも金がかかるのだから、少しでも節約して地球を温暖化から救うようにしなければならない。

★北京オリンピックの安全は大丈夫か

2008-07-22 07:00:12 | Weblog
昨日、中国昆明市でバスが2台爆破された。テロだと思う。
洞爺湖サミットでは、警備に5百億円がかかったという。
それから考えたら、規模が大きく、多数の外国人が来て、警備地域も広汎となる北京オリンピックの警備が心配となってくる。
モンゴルだ四川だと暴動がまだ最近起きたばかりであり、大地震も起きた中国で、安全にオリンピックを行うことが出来るのだろうか。
自動車規制により、地下鉄が大混乱しているという報道もある。
さらに言えば、食の安全もある。
オリンピックの選手が身体を壊そうものなら大変である。
安全には、金がかかり、また一朝一夕には出来ないことを中国当局者は十分肝に銘じて、ことに当たるべきである。

★妻から頼まれた音楽CDのコピー

2008-07-22 06:39:54 | Weblog
娘に上げたいから、音楽CDをコピ-して欲しいと頼まれた。
以前にコピーをしたことがあるので、ソフトを立ち上げ、コピーをしようとしたが、そのソフトさえ覚えていない。
そこで、パソコン日誌を読み直したら、以前にコピーしたのは6年前で、その後パソコンが新しくなっていたのである。
プログラムを探していたら、それらしきものがみつかったが、マニュアルがあるわけでもない。
それから、20~30分くらいいろいろとやっているうちに、やっとコピーをすることが出来た。
以前に別のソフトでも、コピーをしていたから、何とか新しいソフトでも音楽CDのコピーをすることが出来たが、もしコピーが初めてなら、かなり手こずったに違いない。
昔のパソコンは、何冊ものマニュアルがあったが、今のパソコンは分からなければヘルプを見るようになっているが、我々年寄りにはこれがまた大変なことなのである。

★なぜか忘れる魚焼き器の掃除

2008-07-21 06:33:32 | Weblog
時々、魚焼き器の掃除を忘れているときがある。
というのは、私が夕飯で魚を焼いたとき、受け皿を少し開けておくのである。
掃除を忘れないためである。
ところが、妻が後片付けをしたときに、引き出してある受け皿を閉めてしまうのである。
そのため、前日魚を焼いたということを私が忘れていると、魚焼き器は掃除されないことになってしまうのである。
それなら、夜、食事のあとに魚焼き器を掃除すればよいと誰でも思うだろう。
ところが、出来ないといって何もしないでは健康にも悪いということで、夕食後の片づけを妻にしてもらっているのである。
ところが、几帳面な妻は、掃除が出来ない魚焼き器まで少し開けておくことに我慢がならず、閉めてしまうのである。
そのため、ついつい掃除を忘れることが分かった。
魚を焼いたときには、魚焼き器に札でもつけることになるのだろうか。

★前原民主党前代表は第2の加藤紘一か?

2008-07-21 06:11:35 | Weblog
私は、加藤紘一は総理になるものとして応援していた。
加藤の乱後も、まだ総理の芽は消えていないと思い続けていた。
ところが、先日拉致問題での発言が物議をかもし、やはり、加藤紘一はそれだけの人間だったのかという思いとなっている。
そこで、気になるのが、前原前代表である。
民主党が政権をとったときには、総理にふさわしい人間だと期待していた。
それが、雑誌に論文を発表して、民主党から除籍とまで言われている。
確かに、前原前代表の危惧が分からないでもないが、政権をとる前は詳しい情報も無い中で政策を立案しているのだから、当然不透明な部分もあるはずである。
それよりも、国民の多くが、やはり自民党ではダメで、一度民主党にやらせてみようという風が吹いてきた中で、それに水を差すような発言をするようでは、やはり総理の器ではないといわざるを得ない。


★狭くなった海

2008-07-21 05:55:49 | Weblog
今日は海の日だというが、個人的にはあまり関係がない。
関係はあるが思い出があまり無いといったほうがいいかもしれない。
海無し県である岐阜県に生まれ、就職のために海無し県である埼玉県に来てしまったのだから。
しかしながら、海の日を制定した趣旨は、「海の恩恵に感謝するとともに、海洋国家日本の繁栄を願う。」だそうだから、海と関係ないことはない。
それにしても、小さいときには、海は無限の広がりを持っているように感じていたのが、大きくなるにつれて、海を小さく感ずるようになったということである。
まず、最初がマグロの水銀汚染であった。
次に、海水の温暖化である。部分的に熱くなるエルニーニョから南極、北極の氷の融解などである。
次に魚資源の枯渇である。クジラの捕獲制限に始まっていわしが少ししか獲れなくなったところまで来ている。
これら次々とあげていくと、無限に思われたあの海も、65億人?というような人間にとってはきわめて小さくなってしまった。
今後は、海は小さいという認識からすべての行動が始まる必要がある。
「海は広いな、大きいな」といったのは昔の話である。