てっちゃんの生活鉄道

鉄道を通して育児、仕事を楽しくこなす

31日赤更新

2010年03月31日 06時18分09秒 | 日記(自分の歴史の1ページ)
昨夜19時帰宅し、今から出勤です。3日休んだので仕事は山のようでしょう。

画像は昨日昼食べた上州の名物。うどんでなくひもかわ。幅が広いです。湯葉ではないで

すよ。

30日2089は確認出来ず。2088では原色

2010年03月30日 00時00分00秒 | 日記(自分の歴史の1ページ)
祖母の葬儀が終わり、三重に帰ります。長い高速の旅です。昨日の雪が気になります。

7時ホテルで朝食。8時過ぎひもかわという究極に太いきしめんを食べに群馬県桐生市へ。

11時開店ですが長蛇の列になるので、少し早い目に着くため早足で近場の観光。

岩宿遺跡の博物館。わたらせ鉄道の大間々駅で撮影。少し迷って10時50分開店前のひもかわ

屋さんふる川へ。一番乗り。11時過ぎで満員に。てんぷらひもかわとソースかつ丼ミニを食

べました。12時三重に向けて出発。北関東道の大田藪塚ICから7時間、10200円の高速料金で

した。途中横川SA、姥捨SA、梓川SA、鞍が池PA、御在所SAの5か所で5回WC、2回物品購入、1

回食事の行程でした。津についてホッとしました。約503.5キロでした。

28日深谷に向かっています

2010年03月28日 12時58分28秒 | 日記(自分の歴史の1ページ)
深谷はネギの有名な町。また、渋沢栄一の出身地。たまたま母方の叔父が勤務する東芝の事業所があるので、先月深谷へ旅立った祖母が、生涯を閉じてしまった。22年2月22日送りだしたばかり。何とも言えぬ気持ちです。今は生まれてからお世話になった祖母を見送ってくれだけです。


画像はアンパンマン南風号

28日 2089赤更新   午前に埼玉に向かいます。

2010年03月28日 06時15分19秒 | 日記(自分の歴史の1ページ)
昨夜EX予約で上り新幹線の指定を検索していたらE席の発売がのぞみ、ひかりとも見当たりません。春休みやしさすが大動脈だなあと感心しながら仕方なくのぞみの通路側のC席を取りました。さて、名古屋―東京間は予約できたものの乗車券は朝みどりの窓口に行ってからになるのでどういう経路で行くか思案しています。16時までに到着しなければいけないので。

画像はアンパンマントロッコ車内

27日三重スリーアローズ対茨城ゴールデンゴールズの試合に招待されました。

2010年03月27日 14時20分19秒 | 日記(自分の歴史の1ページ)
今日はいい天気でした。三重テレビから招待された三重スリーアローズの試合を引率で見に行きました。なかなか点の入らない投手戦でした。外野席なので寒い彡(-_-;)彡

27日 2089原色

2010年03月27日 05時25分53秒 | 日記(自分の歴史の1ページ)
27日深夜両親から電話があって、先月22日に埼玉県深谷へ送り出した祖母が亡くなったとの連絡がありました。しばらく仕事の調整をして行ってきます。


画像は岡山にてアンパンマントロッコ(こちらは分割民営化が決まって製作された国鉄色特急車キハ185です)

26日 2089原色

2010年03月26日 00時00分40秒 | 日記(自分の歴史の1ページ)
今日は天理臨時が出ますが、朝から仕事で撮れません。
27日から土日限定で多気9:30発 賀田11:34着の快速 熊野古道伊勢路号が運転されます。早く撮影に行きたいです。キハ5828がいたらこんな感じだったでしょうか。

22日 普段の生活に戻る 2089は赤更新

2010年03月22日 06時35分22秒 | 日記(自分の歴史の1ページ)
21日は徳島を朝9時の剣山で阿波池田に向かい、土讃線で土佐山田。バスでアンパンマンミュージアムに行きました。3連休ということもあって駐車場は相当混んでました。関西、中国からも車で来ていました。
今回アンパンマン三昧という旅で岡山から四国に入りましたが、淡路島を経由して徳島から旅を始めるのもいいなあと思いました。

アンパンマンは偉大だ

2010年03月21日 10時01分03秒 | 日記(自分の歴史の1ページ)
ふるさとに錦を飾るという言葉があります。アンパンマンの作者やなせたかしさんは四国高知県の出身です。アンパンマンがデザインされた鉄道が四国中に走っています。生まれて物心ついたこどもが必ずアンパンマンに興味を示します。そんなアンパンマンも作者が昭和48年に執筆。以後昭和の最後から平成にかけて高知を始め四国、全国で表彰を受け現在91歳。子どもたちのエネルギーを受けて、ますますお元気でいてほしいですね。

電気式ディーゼル機関車が活躍した四国

2010年03月21日 09時46分32秒 | 日記(自分の歴史の1ページ)
DF50-1は長年多度津工場に保管されていましたが、今は伊予西条の記念館内に0系といます。
紀勢本線でも長らく活躍していましたので、おなじみの機関車です。
紀勢線引退後は最後のお勤めで、ディーゼル王国予讃線土讃線の客車や貨物を引っぱってました。今の四国では高速輸送の波に対応できません。


ただいま土佐山田に向かって徳島から吉野川沿いを上がっています。