YOSHIの果てしない旅(人々との出会い、そして別れ)

ソ連、西欧列車の旅、英国滞在、欧州横断ヒッチ、イスラエルのキブツ生活、シルクロード、インド、豪州大陸横断ヒッチの旅の話。

電線敷設作業、その他~ダーウィンの旅

2022-03-13 08:43:12 | 「YOSHIの果てしない旅」 第11章 オーストラリアの旅
・昭和44年3月12日(水)晴れ一時スコール(仕事無し、今度の部屋)
 昨日は一昨日の倉庫の労務をこなした。そして今日エイジェンシィへ行ったが、仕事は無かった。しかし、明日の建設現場の電線敷設作業の仕事を紹介された。
 今日、インドのお土産や不必要の背広等の衣類関係を段ボールに詰めて航空便で実家へ送った。
 10日の夜に怖い思いをしたが、結果的に落ち着ける別の建物の2階の部屋へ移動が出来、本当に良かった。部屋は綺麗で、私の他に西洋人2人が居た。その内の1人は、Ross Smith(ロス)と言って、ロンドンから来ているイギリス人の彼と仲良くなった。この部屋には、チョッとしたキッチンがあり、テラスで食事も出来た。それで宿泊代は、変わらなかった。

・昭和44年3月13日(木)曇り(電線敷設作業)
 今日、電線敷設の仕事があった。電線は重いし、作業中の意思疎通が中々諮れず、作業は大変であった。その訳は、私の英語力不足(hearing and speaking)に加え、彼らが話すオーストラリア英語の田舎弁であったからでした。でも、パブで昼食を奢ってもらい1日8時間労働で12ドル、今までで最高に率が良かった。
今まで、通常1日8時間労働すると9~10ドル、1時間働くと1ドル20セント(約483円)程であった。物価は日本の4~5倍であるが、ビールは安いし、食料品も割安感であった。

*3月16日までの仕事~
3月14日(金)曇り後スコール~午前は電線敷設作業、午後はエアーポートの荷役作業
3月15日(土)晴れ~午前は昨日の荷役作業
3月16日(日)曇り~日曜日で仕事なし