YOSHIの果てしない旅(人々との出会い、そして別れ)

ソ連、西欧列車の旅、英国滞在、欧州横断ヒッチ、イスラエルのキブツ生活、シルクロード、インド、豪州大陸横断ヒッチの旅の話。

ヒッチでシドニーへ行く決心をする~ダーウィンの旅

2022-03-16 08:33:35 | 「YOSHIの果てしない旅」 第11章 オーストラリアの旅
・昭和44年3月25日(火)晴れ(ヒッチでシドニーへ行く決心をする)
 ダーウィンは本当に小さな町、稼ぐ為にも、他の国へ旅する為にも、結局シドニーへ行かなければならない様な町であった。シドニーへはヒッチで行くか、それともバスで行くか、私は迷っていた。同部屋のロスの話によると、バス運賃は65ドル、日数は4日間掛かると言う。それにしても65ドルは、私に出せる額でなかった。
 ヒッチと言えば、3月8日(土)に南オーストラリア州へ行こうと思い、ダーウィン郊外でヒッチをしてみたが、全く車が走ってなく、町に戻って来た経緯があり、そのヒッチ率の悪さ、そして暑さと空腹で参った事があった。オーストラリアは国土が広く、殆んど砂漠の様な所で人も住んでいないし、何と言っても車が走ってない、それに地域によって気候の違いもある。従って、今回のオーストラリア縦断ヒッチの旅は、日数的に10日以上掛かり、相当厳しくなるであろう、と予想が出来た。『取り敢えず、ヒッチで行ける所まで行こう。やるしかないのだ。さもなければ、もう日本へ帰れないのだ』と判断した。明日、道路地図を買う事にした。
 ダーウィンで働いたが、今日まで10ドル位しか貯まらなかった。本当にここでは稼ぎにならないが、だからと言ってシドニーへ行けば安定した仕事が見付かるか又、長い滞在許可が得られるのか分からないので、そう言う事の心配もあった。そんな訳で今日、既にエイジェンシィへ行って、仕事を見付ける気がしなかった。アボロジニに首を絞められそうになって、別の建物の2階に来てから親しくしていたイギリス人のロスは、昼にシドニーへバスで旅発って行った。