・昭和44年3月17日(月)晴れ(草刈作業で負傷をする)
早々、エイジェンシィへ行ったら草刈作業を紹介され、その現場へ行った。会社事務所裏の庭が草ぼうぼうで、電動のこぎり付き草刈機で草を刈る仕事であった。
作業を始めて15分過ぎた頃であろうか、草を刈る目の前に有刺鉄線があった。電動草刈機を自分の脇に置き、その有刺鉄線を手で取り除こうとしたその次の瞬間、置いた草刈機が動いて有刺鉄線に触れ、その有刺鉄線が私の手と足に襲い掛かって来た。手に痺れを感じ、見たら手の数ヶ所から出血していた。痛いやら、驚くやら、電動草刈機は暴れまくっているやら、もう大変であった。
「助けてくれ!誰か来てくれ!」と事務所の方へ向かって大声を出し、助けを求めた。私に作業の説明をした男性スタッフが直ぐ現れ、草刈機を止めた。私の手は痺れを感じ、多量の血が流れ落ちていた。スタッフは簡単な手当をしてから私を直ぐに病院へ連れて行ってくれた。
建てたばかりの大きな病院、しかも清潔感があった。病院に着いたら、私はぼんやりして来て、一瞬目が見えなくなってしまった。負傷箇所は、左手に5ヵ所、内1カ所を数針縫って、左足首に1カ所を切る、と言う全治一週間程度の負傷であった。この会社スタッフの応急処置、親切で美人なナースの緊急な応対、それにドクターの適切な手当で怪我もたいした事がなく、本当に安堵した。
そして、会社は休業補償の保険も付けてくれたし、心配した治療代も会社が負担してくれて本当に助かった。臨時の労働者の私にこの様に補償してくれて、『さすがはオーストラリア』と感心した。
・昭和44年3月19日(水)晴れ(美人のナースさん)
私がオーストラリアに来て半月になろうとしていた。その間、定まった仕事、或いは大した仕事にあり付けず、お金は貯まらなかった。揚句の果てに手を負傷してしまい、仕事が出来ず冴えない日々が続いた。
負傷をして親切に手当てをしてくれた美人ナースに会いに行けるのが楽しみであった。そして今日はその日で、包帯の取替の為、病院へ行った。
彼女は、「良くなって来ていますよ。大事にならなくて良かったね。21日は抜糸をしますから。」と言いながら、包帯を交換してくれた。彼女は背がスッラとして美人だし、私の様な貧乏な日本人にも親切にしてくれた。食事にでも誘いたいが、声も掛けられない、金が無いのが悲しかった。