・消える川と地下の大水源の話
オーストラリアの東海岸沿いに〝一本の山脈〟(大分水嶺山脈)がある。その山脈の東側に降った雨は、川となり海に流れ込む。日本人の概念として『川は海に流れ込む』と当然、思っている。しかし、その西側に降った雨は川となるが、如何せん高低差がなく、しかも海まで遠い。その為、広大な地域を流れる内に、その川は自然に無くなってしまう。要するに多くの水が伏流水となって地下に潜ってしまうのだ。オーストラリアにはそんな川がたくさんあり、その川を「リバー」と言わないで、「クリーク(Creek)」と言っている。
所で、その伏流水はクィーンズランド州南西部からノーザン・テリトリー、ニュー・サウス・ウェールズ州の北西部、更に南オーストラリア州にまで広がる巨大な盆地の地下深くに蓄えられる。この世界一の規模を誇る盆地をThe Great Artesian Basin(大鑽井盆地だいさんせいぼんち)と呼ばれている。
大鑽井盆地は、この様な理由から地下に豊かな水源を抱える為、この国の大農業地帯、牧蓄地帯として知られている。しかしこの盆地の気候的は半乾燥地帯(半土漠地帯)で、雨は少ないのだ。取れる農産物も小麦、その他の麦類、トウモロコシ、綿花程度であり、牛肉と羊毛の生産を重複させている。
オーストラリアは東海岸以外、殆んど砂漠か土漠地帯となっている。入植以来、人々は水に難儀しながら、牧場や農場の開拓に努力して来た。特に水は、人のみならず、牛や羊にも直接生死にかかわる事、その苦労は並大抵なものではなかったと想像がつく。
オーストラリア人は水に対するシビアな感覚を持ち、地名の他にも普段から水の大切さ、節約、そしてその使い方に気を使っている様であった。ダーウィンに住んでいた部屋の大家(マダム)は、「水は大切にしろ、無駄使いはするな」と五月蝿(うるさ)かった。それ以外は五月蝿くなかった。
・オーストラリアの広さの話
何しろ1大陸が1国家で占められているわけだから広い。オーストラリア大陸の総面積は7,686,848平方キロで、ソ連、カナダ、中共(1969年現在、この国は中国と認められていなかった)、アメリカ、ブラジルに次ぎ世界第6位なのだ。因みに、日本の22倍ある。
大陸本土の東西直線距離で4,000km、南北直線距離は3,100kmと言う北海道の一番北の稚内から日本最南端の西表島より長い距離なのだ。当時、沖縄を含め与那国島は日本に帰属していなかった。1平方kmの人口密度を比較すると、日本は253人、イギリスは211人、アメリカは21人、しかし、オーストラリアはたったの1.3人(2人も住んでいない)である。
シドニーやメルボルンを訪れただけで、オーストラリア旅行をした、とは言えない。オーストラリア大陸を東西、或は南北を横断しなければ、この国の自然環境、その厳しさ、国土の広大さ等を肌で感じる事は出来ないのだ。そう言う意味で、私は、『本当のオーストラリア旅行をした。従ってこの国に来た甲斐があった』、と言う事だ。